村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

331.自然から遠ざかる現代人

2013-06-18 08:58:05 | 森の暮らし
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

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村上原基今日の一言

今70歳、山で暮らして14年、私は徐々に山で暮らす時間を増やしてきた
最近はほとんど山でひっそり暮している、不便で面倒なことも多いが
特に最近は不平・不満・不自由・不便さ・不快さを感じることない

この山に土地や家を所有している人は大阪・京都の人が中心
200区画くらいの別荘地、家を建てている家は30軒弱
その中で、ほとんど山に暮している人は3軒、その他頻繁に来る人は6軒程度
我が山に来る人をつらつら分析すると次のようなものか

 ①最近も立派な家を建てた人もいる
   ⇒でもほとんど来たり泊まることはない
 ②家を建て続けている人もいる
   ⇒ところがある時を境に、ほったらかしにする
 ③すごく高そうな立派なログハウスがある
   ⇒ほとんど来ないし泊まらない
 ④立派なログハウスがある
   ⇒時々来るが、なぜか日帰りだ
 ⑤時々来るが
   ⇒バーべキューして酒飲み大騒ぎして帰る、静かに自然を味わうことはない
 ⑥時々来るが
   ⇒空調をきかせ、ゲームし、テレビ見て昼寝して付近を散歩して帰ってしまう
 ⑦時々来るが
   ⇒家の周辺は雑草だらけ、木も伸び放題、自然の中の作業は一切しない
 ⑧時々しか来ないから
   ⇒家はカビ臭い、布団も湿気る、ダニや虫もはびこる、
    正直、閉めぱなしのログハウスは不衛生で、ぞーとしない
 ⑨時々しか来ないから
   ⇒家の手入れや補修もできていない
 ⑩時々来るが
   ⇒3日とか6日とか長く滞在することはまずない
 ⑪一緒に来る人もあるが
   ⇒自然に目を向けたり、自然に溶け込むことはしない、自然の話しもほとんどない
 ⑫一緒に来る人もあるが
   ⇒虫を嫌がり、やたらに都会的なことを持ち込む



日本は山国だが、多くの日本にとって山は自然としてではなく
単なる観光的な場所、遊戯場、居酒屋程度にしか見られていない

自然に親しむ・溶け込む・一体になるなんてことはさらさらない
私の友人や知り合いが来ることはあっても
自然の景観や暮らしぶりについて深く対話する人はほとんどいない
自然について何一つ知識・経験・基盤がないから当然だが
自然の都会的な面、食べ物や遊びや快適な家や付近の買い物や温泉などにしか興味がない

まあ京都観光に来るよそ者の旅行者と同じだ
京都に観光に来る人の多くは、本物の京都を観に来るのではない
飾り立てた、普段着ではない余所行きの豪勢な歴史的な場所や上辺だけを観たり、味わいに来る
京都の本質なんかには、全く興味もないし
本物の京都を理解しようなんて意志や願望もない、むしろ真実は見たくない
観るのは、京都の観光業者や神社仏閣の関係者の客商売による演劇ものでしかない

「京都に5回も行った」「京都が大好き」なんてよそ者は絶対に信じない
彼等は京都の実態・人々の生の暮らし・裏を見ないし、知らない
現代人に共通することは、本質を見ずに、枝葉末節を見て嬉しがる
私も東京・大阪から更に40年京都に暮らしてみて、やっと京都が少しだけ理解できてきた
私のような人が京都を本当に知っている、愛しているよそ者だ、
むしろ部分的には普通の京都人より知っているかもしれない

多くの日本の観光者は、京都の人々の普段着の暮らしに入り込むことはない
旅館・寺・庭・名所旧跡・京都土産や豪華な食事にしか興味がない
舞子さんは美しいし、舞や振る舞いは素晴らしいが、それで京都が分るわけではない
京都の人にはあまり興味のないものに、観光者は目を奪われるのだ
京都に長く暮らすと寺も神社もお庭も大して興味がなくなる。日常でしかない
山も同様で山に長年くらしてきた私が興味あることに、来訪者は一切関心を示すことはない

旅行だけの旅行は意味がない
より良き場所を探すという目的を持って、もし良い場所があればそこに移り住む
それこそが真の旅行だ、
そうでないと旅行は観光に過ぎない
京都観光して、もし京都が気にいったら、勇気をもって移住するべきだ
でも私の体験では、特に京都や山奥に移り住むのは大変、覚悟が必要です

自然は本質に近い又は本質そのものである
ところが現代の都会人は本質を観ようとはしない、むしろ毛嫌いする
本質から現実を観るのでなく、現実をそのまま眺めてしまう
だから良し悪しが定まらないか又は極めていいかげんだ

山にまで都会的なものを探して、それがないことを知るとがっかりする
虫・不便・静寂・闇夜・退屈がかなり嫌いだ
まことに、扱いにくい人達、御しがたい人達、深みのない人達・・・
自然はそういう都会人には重い、向き合い難い存在になっているのだろう

自然から遠ざかる=本質を無視すると私は思う
本質に触れるために、私は積極的に自然に交わって暮してきた
私の山暮らしの実験でも、それは正しかったように思う

コメント
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