村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

414.異文化で苦しむのと無文化の山で自由気ままに暮らすことの大きな違い

2016-12-28 08:57:16 | 人生
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村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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テーマ
異文化で苦しむのと無文化の山で自由気ままに暮らすことの大きな違い

概要
1.状況       なぜずーっと昔に仏教なんて最高のものがあったのか考え直すべき時
「こんな山奥にひっそり暮らしていて何しているの?」とよく訊かれる。私は「何もしない」と答える
何もしなくてよいのだ、何もしないほうがよいのだ
手当たり次第あれこれしようと、欲張って我武者羅に動き廻るから、苦しみ、悩む
山寺での修行僧の座禅や作務の暮らしは、異文化に身を置くのではなく、全てを捨てる行
グローバル化、技術革新、IT化など、豊で便利な時代になっているが、どこまで行っても所詮は空
合理性、科学技術、それらをどれだけ追究し高めたところで、世界は良くなるどころか状況悪化
進歩発展しているようで、むしろ確実に堕落し、問題は複雑になり、仏教の教えから離れて行く

2.問題      現状に甘んじて、きっかけをつかまないと、人間は人間に戻れない
京都の会社を55歳で退職後、経営コンサルタントをし、偶然山に移り住み18年暮らし続けてきた
山や自然が好きだという理由であって、山で修行をしようなどとは全く考えもしなかった
”山は何かするところ”ではない”人がいない”、”店もない””何もしないところ”、”全てを捨てて”
”自然に戻る”、”自分を取り戻すところ”、だから普通の人は耐えられず、やがて来なくなる
長く山に暮らして気づいたのは、数件のログハウスの人は別荘族で私は住人であったことだ
18年都会の人や喧騒を離れて、結果的にいろいろな過去の固定観念が剥がれ落ちたらしい
自然だけの山で暮すことは格別な修行や異文化移住でもなく、過去の垢を捨てさせてくれた

3.私はどうしたのか、何をしたのか     異文化移住でなく、無文化の自然への突入だった
60歳くらいから都会を嫌悪するようになった、そしていつしか山が安住・安楽の場所になった
山の管理放棄の空地や森や庭をきれいに整理、清掃するようになり、付近は綺麗になっていった
自然の山でそういうことを黙々と続けるうちに、徐々に自分の心が洗われて行く感覚になってきた
都会への嫌悪感が更に強まり、田舎暮らしを決意するようになり、71歳で町にも終の棲家を買った
東京から大阪や更に京都に移住したとき異文化に暮らすことがつらく大変だったことを思い出す
東京と大阪や京都の文化や考え方や暮らし全てが違うので葛藤しつつ合わせるつらい日々だった
それに反し、山奥は異文化ではなく、合わせる必要もない、淡々と、捨てる、自然に戻る感じだった
山奥に決まった文化はない、素直に一から見直し、原点に戻り自分自身の文化を形成していく感じ

4.私はどうなったのか       異文化に移り住んで得意になっていても何も起こらず、更に苦しむ
自分独自の決まった文化がないから、次々に異文化に移り住んでも、苦しみは増すばかり
人も何もない場所に自分を置く、そここそ一般人が自分を無や空にするに適切な環境だった
染み付き汚れたままの自分に逆らって真っ当になるのは難しい、いっそ一度全て捨てた方が良い
特に都会人は悪い束縛や影響を多く受け入れ、社会や自分自身に振り回されて苦しみ続ける
まさに麻薬患者そのものなのだ。後生大事に、染み付いたものを捨てられない、止められない

5.一体なにが原因で出来なかったのか      染まった文化を一度完全排除しないと始まらない
属する文化に縛られているから、苦しみや悩みが溜っている、まずそこから抜け出さないといけない
抜け出すこと即ち、大袈裟に言えば、無や空に戻ることだが、現状のままでは簡単に出来ない
例えると、ごちゃごちゃして散らかり・汚れ放題の部屋を、まず全部思い切り捨ててしまえということ
部屋が散らかり汚れているのを、片づけ清掃すればよいのに、いつまで経っても捨てきれない
散らかった部屋をきちんと片づけられる資質や能力を持ているのに、そんな簡単なことも出来ない

6.何が良かったのか       きれいになり、すっきりし、原点に戻り ⇒ 出直す、やり直す
山奥で長く暮すということは、山で都会的な事をするのではない、むしろ都会的なことを捨てる場所
 ・理屈をこね回さず、捕らわれず、妄念・妄想に縛られなくなる
 ・自立、強い心を持つ、依存しなくなる      ・一切は無・空、拘りを捨てる、欲を捨てる
 ・自在に動く、強い心を持つ     ・自分を知る、自分を捨てる、自分に克つ、自分を取り戻す
偉い坊さんや先生や有識者の話を沢山聞くだけでなく、山奥で18年くらしたほうが早道なのだ
麻薬を我慢するより、専用の更生施設に監禁された方が早道なのと同じことだ
私も読書や講演や坊さんの話を沢山聴いて来た、しかしそれは始まりや小さなきっかけに過ぎない
山暮しを始めるのは、麻薬患者が隔離室に何年も監禁されるのに似ているが、大きく違うのだ
監禁されて、麻薬を完全に断てる深く悔いる人と釈放されたら又又、麻薬をやってしまう人もいる
自分が正しい、自分のおかげだ、自分のほうが優れている、自分が自分が・・・が薄れ、なくなる

7.提言       異文化への移住はつらいだけ、無文化への移住は続ければ、安息や安楽を得る
自分が正しいとか間違っているなんて百年早いのに、何となく自分は正しいと主張してしまう
苦しみ、悩みが抜けず、うつ病や自殺へと進んでしまう、どうでもよいことにしつこく拘わる
そんなに拘らなくてもよいのに、なぜか拘ってしまう、麻薬患者が麻薬を止められないのと似ている
何かに拘って自分を苦しめるなら、それを捨てさえすればよいのだ、「山奥で何している?」ではない
山奥で長い年月かけて心を洗い流すのだ、山奥で都会と同じことやっては何の意味もない
おもてなし・オリンピック・頑張る・栄誉賞・老人ホーム・都会暮らし・大金持ち・・・嘘っぱちを捨てよ
スポーツ競技も芸術も金儲けも、自慢したり、認められたりするものではない、そんなこと喜ばない
競わない、必死にならない、怒らない、がっかりしない、つらそうにしない、頑張らない、自慢しない
都会の現代人も言わば麻薬患者、山奥に監禁でもしなければ簡単には直らない、永遠に直らない

追伸
年寄りは逆に欲が無くなっていくことも問題だ無気力や腑抜け、認知症にもなる
なぜ晩年欲無し人間になるか?麻薬づけみたいな時を長く過ごし無気力が心の底に染み付いた
まず全て捨てる、捨てたら自分自身でルールを決める、決めたルールを守る、間違っていれば直す
徹底して捨て、自分を深く知ってくると、摩訶不思議な状況になっていることが少しづつ分かってくる
悟ということは、自分が悟って、初めてわかることで、悟以前には全く理解できないことらしい

安曇川田中の竹の里の町内会では年末正月の盆栽飾りを作ってお菓子を付けてお年寄りに配る

ど素人男の私もさんざ苦労の末、そこそこのものが出来て年末の我が家を飾っている
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