村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

508.原基:原点・基本に帰る・守ることの大事さ

2021-02-17 19:15:17 | 人生
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    村上原基
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   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)  

村上原基人生勉強会   kazutakajiのtwilog      地図
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒
  東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒
テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
  東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀山中⇒滋賀田舎町

「やれ」といってもやらない「やめろ」と言ってもやめない、だから変わらない
世の中が便利で豊かで自由で安全安心になっていると思うのは大きな錯覚だ
平和必しも平和ならず、健康必しも健康ならず、豊必しも豊ならず

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テーマ:原基:原点・基本に帰る・守ることの大事さ

私は山暮らしの最中に65歳くらいのときにふとしたことで村上原基人生勉強会を
立ち上げ、山暮らしを通じて自分なりに生き方や暮らし方を根本から変えて来た
変えて来たというより、山暮らしを続けたことで、自然に変わって来たというのが
正しいかもしれない。20年の山暮らしを通じて図らずも自分が結果的に大きく変わる
ことを幸いにも体験し思い知らされた
当初、私は自分が若い時の自分と変わって行くことの原因が全く分からなかった
でも相変わらずその後も自分は勝手に変わって行った。そして山を下りて田舎町で
暮らすようになって、何となく、これは山暮らしをしたことそのものが利いたのだと
分かって来たのだった。そうかんがえないとどうしても説明できないのである

田舎や都会で多くの人に交わって暮らすことは山暮らしに比べると
孤独・独立・自立があったとしても、それは中途半端なものでしかない
山暮らしでは、人との交わりはほぼない、自分や自然と向き合う日々となる
山暮らしを長く続けると、自然に自分で考え自分で行動するようになる
都会暮らしでは、自分自身で考え行動してはいない、大きなうねりの中に
巻き込まれ。右に左に受動的・従属的に動かされているだけに過ぎない
都会の様々な固定観念という亡霊がしつこく付きまとう
そんな亡霊は無視するか捨てきってしまえばよいのだがそれが出来ない
その亡霊に日々悩まされ続けるのであり、一生都会のその牢獄から出られない


ペットを除く人以外の生き物は、ほぼ私の山暮らしのように独立し自立している
ごく僅かな例外を除き生き物達は他に過度に依存しないで影響もあまり受けていない
人間はいつしか基本原点から大きく乖離して、あまりに依存し、何だかんだと
あらぬことを考え、行動してしまうのである
そのあまりにひどい乖離を矯正するために、原基が大事な鍵を握るのである
(ちなみに、せっかっく原基に生きようとしている自然の生き物を、勝手気ままに
愛玩ペットとして家に拘束し飼い慣らす行為は、私は非道だと考えている)

現在78歳の老いぼれ爺さんで暮らしは平凡だが随分と平和で快適かつ楽しい

村上原基人生勉強会の原基とは原点・基本に帰るという意味だ
しかも大事な本質的なことを原点基本に返すことが必要なんだが、
それでは普通の人にはあまりに分かりにくいので
私なりに具体的な身近な原基を紹介する
本来であれば、基本原点について具体例なんかを出すものではないが
基本原点について、少しでも分かって戴こうと、具体的例を挙げてみる
どれも当り前のことだが、それはそうで、原点基本はごく当り前の世界なのだ

・田舎に暮らす(人の少ない不便で自然が多い場所)
・過密な大都市には住まない
・安易に捨てない、再利用する
・無駄をしない
・贅沢しない、地味に暮らす
・お金を節約する
・神社や寺で願い事をしない
・炭水化物を大きく減らす
・肉・油を食べ過ぎない、野菜を多くする
・深酒をしない
・誰とも、どんな人とも会話する
・明るく笑顔
・あわてない、じっくり慎重に考え行動する
・10:30に寝て6:30に起きる
・やたらに観光旅行しない
・深くゆっくり呼吸する
・姿勢を正す
・顔や手足や口を含め身体全体を動かす
・毎日ラジオ体操・ストレッチ・筋肉労働
・家事は他人任せにせず自分でやる
・威張らない
・派手にしない・目立とうとしない
・相手の良い所を見出す
・引篭もらない
・心配し過ぎない
・厳しさを受けて立つ
・やるべきことは断固やり続ける
・反省する
・予防・緩和・事前準備しておく
・優しく仲良くする
・他人に学ぶ
・喧嘩しない
・何でもチャレンジする
・固定観念を捨てる
・住む場所や会社を適度に変わる
・きちんと調べて安全な場所に安全に住む
・いい恰好をしない
・各種道具を使い一日4回歯を磨く
・自動車に依存し過ぎない
・子供は実家から出す、独立させる
・結婚式や葬式は簡便に家族だけでする


きりがないのでこれくらいにする。なぜならばこんなことが沢山出来た
ところで別段大したことではないのだ

ところで私の実感では人間関係が一番厄介なことで、「やれこうだの、あーだの」が多い
私は山暮らしを通じて人間関係はきっぱり捨てきれ・割り切れ、原点基本に戻れたように思う
これは意外に大きな利益である、というのは人間というものが何やかんやと害を及ぼすから
、この点をクリヤーしておくのが原基道を進む大事なポイントになるように思うからである
その他では
欲望・固定観念・思い込み・社会通念・生老病死・名誉・好き嫌い・腹立ち・頑固なども厄介である
そういうものも原基に戻って捨てきれば、こんな良いことはない


しかし現実に多くの周辺の人々を観ていると、何でこんなことが出来ないのかと
不思議でならないことが多い、中には立派な国家指導者でも、とんでもないひどい
人間だったりしてびっくりする(北朝鮮・中国・ロシア・ミャンマー軍事政権など)
これらの国民は自国の恥ずべき指導者をそのままのさばらせておいてはならない
かつての第二次世界戦争時の最悪な日本の政治体制そのものではないか?
こんなひどい指導者を持つ国民は、平和な暮らしを将来を通して保証されることはない
なんとしても民主的な手続きによって、自分の利益だけを考える指導者を駆逐して欲しい

やって当たり前のことばかりで、確かに、基本原点に戻れた人には
当然のように伴ってくることではあるが、これらが出来ている人が必しも
完璧にきちんとした人であるとは言えない
もっと本質的に原基が身に付き、人間が出来上がって来ないといけない

以上書き出した事でさえも、そんなに簡単に続けられはしない
是非、自分は出来ているというものをチェックし個数を数えてみて欲しい
多分半分はおろか、ほとんどきちんと出来ていないのではないだろうか?
なかなか物を捨てられない断捨離のように、意外に上手くいかない
多くの人がまずは断捨離という仕事をやってみるのだが
一度断捨離が出来た所で、その人が断捨離を完全にマスターしたことには
ならないのと同じことなのだ
断捨離を根本から身につけないとまた以前のように物が増えてしまう
ダイエットが一二度成功しても、むしろひどいリバウンドをしてしまう
ようなものである
必死にあれこれやってもリバウンドが起きる(元に戻る&もとより悪くなる)では
何の意味も価値もない
ところが都会でいかなる立派な修業や勉強をしても必ずリバウンドしてしまう
リバウンドしないためには20年くらいの山暮らしをつうじて徹底的に自分を捨てきる
以外は良い方法が思い浮かばない
だから都会暮らしの人が偉そうなことを言っても私は信用しない

断捨離の話にやや脱線するが
「好きな飼い猫を捨てなさい」⇒多分多くの人が絶対に捨てないだろう
自分にとって大事な物を無用と切捨てられないようでは、まず何も出来やしない
断捨離というのは必要な物は取っておくという考えだが、未練がましい
気持ちが少しでもあれば、断捨離は進まないのである
断捨離とは言い変えると未練を捨てることだと思う
原基に戻るとは、自分を捨てることだと思う


そして基本原点に帰る場合は、相当に大変な決断をしなくてはならないのだが、
決断が出来ないので、基本原点に帰ることは最初から難しくなるのだ
自分が大事と思い込んでいるあれやこれやが自分を苦しめ悩ます元になる
すなわち原基自身が何かが分からない、どうしたら原基に戻れるかも分からない

もし断捨離を成功させたいと思うならば、他人にやってもらえばよい、
自分でやろうとすると、すぐに壁にぶち当たってしまう
すなわち自分自身の未練を捨て切れてないのだ
自分を捨てれば何でも意外と簡単なものだ

ところが自分を捨てるのは、そう簡単なんことではない

 ある程度やっているとか
 時々やるとか
 出来るだけやる

という程度の人が多いと思うが、当然だがそんなことでは駄目なのだ
基本・原点は何か?を常にいろいろな場面で問い続けなければならない
原基と言う意味はそういう意味であって、適当とかいい加減では話にならない
「今日だけはとか、これだけは特別許して」なんてことは絶対に駄目
例外はない、徹底して基本原点に帰る努力が必要なのだ

きちんと真面目に守る、もし守れなかったら、しっかり反省すること
「なぜ自分は基本原点を守れないのか?」「自分はまだまだ駄目だ」と
「そんな自分で良い訳がない、絶対に許さない」と問い・求め続けることだ

守れるようになると、「こんな簡単なこと」になるのだがやれない人には
すごく困難なことなのだ
素人には難しいことが、プロにとっては「こんな簡単なこと」になるのだ
そこまでやるかどうか、やるとなったらトコトンやるかが問題なのだ

さて原基に挑戦してみますか?
 簡単なようで難しい
 難しいようで簡単
私の場合は20年の山暮らしを通じて、それがやっと少しは出来るようになった

安曇川田中竹の里のわが家の隣の家100坪に100㎡の平屋の建設開始兎に角広い
あくまで勝手な推定ですが、土地250万円と家1550万円?合計1800万円かな?
わが家も、そこそこ広いと思うが50坪に62㎡の平屋、5年前中古で350万円で購入

ちなみに我が中古の家を京都で買うと1800万円では買えるぎりぎり
隣の家100坪に100㎡の平屋が京都であれば1億円はしそうだ
田舎町の当地で家を建てれば京都の1/5以下ということ
我が家の価格が本来そんなものであり、京都や都会の土地家が異常に高すぎるのだ
土地や家の価格も都会においては原基から大きく乖離しているという例かもしれない
何事でも、「一体何が原基なのか?」を問うことだ
現状肯定や既成観念に安易に従うことは大きな間違いに繋がり易い
いつも基本原点に戻り、面倒だがそこから考え直す習慣を身に着けることだ

都会の土地・家が異常に高いことを当然とせず、疑念を抱くべきではないのだろうか?
コメント
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