村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第67号 村上和隆の人生塾「一言」 厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国

2009-04-21 13:10:39 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:(台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)
※お知らせ:今後3~11月は滋賀県高島市の滋賀支所に常駐しています
滋賀支所
12~3月は京都市伏見の本部事務所に常駐しています

67、厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国

昨年から未曾有の不景気が世界を震撼せています。ニューデイール政策などと、またぞろ無能な政治家が大きな顔して、更に借金を増やし、ばらまきをし”救済”を打ち上げつつあります。
日本人なのに何故か欧米のやり方に追従しようとする「あたかも欧米流が最高だ」と言わんばかりですが、今回の原因は欧米がやった悪さなんですがねー?

もっと日本独自・自分独自のピンチへの対応をすべき時期が来たと思うのですが、私は、もっぱら自分流・日本流で自分なりの改革をここ10年くらい独自にやって、かなり成功しているのですがねー?欧米流は誤魔化し・一次しのぎ・テクニカル・・・で決して良い結果にはならないことはすでに証明済みだと思うのですが、もっと日本独自の暮らし方・人生・社会を世界標準にしたいですね。

本当にこんなことで良いのでしょうか?ピンチをピンチとして応急手当で凌ぎ、国民に媚を売り、選挙の票集めをするのです。
戦後日本は急速な経済成長をしました、いろいろな支援もありました、しかし根本は国民のへこたれない精神・がんばり精神によるものであったことを忘れてはなりません。

現代で最も危険なことは愚かな政治家や親が介入し、不自然な保護や救済をし、安易に大盤振る舞いすることではないでしょうか?
世界にはその日に食べるものにも困っている国民が大多数というのに、先進国では更に国家や県がこれでもかこれでもかと救済してくれるのです。
動物が減ったので、動物保護と称して、エサを与えたところ、動物が増えすぎ、生態系が崩れ、結果的に環境を更に悪化した事例は枚挙に暇がないのです。

一例に過ぎませんが私の生い立ちからピンチをチャンスに変えてきた自分史を振り替えらせて戴きます。多くの同世代の日本人は同様な道を歩んできたはずです。そういう点では、私の体験なんか、さほど大したものではないかもしれませんね。
ところで私個人は、多額な税金を払い続けてきましたが、どんな厳しい時期や状況においても、国や県からお金を補助されたり救済を受けた経験が皆無です、幸せと言えば幸ですが、なんとも割り切れません。一方ではピンチをチャンスにして頑張っている国民や会社も多いのです。

■ 私、村上和隆のピンチをチャンスに変えた経歴の一部紹介
1・昭和18年、第二次大戦の真最中、東京の浅草に生まれ、母におんぶされ大空襲の東京からやっとのことで逃げおおせ、戦後の暮らしも貧乏で着るものや食べるものにも困る時代が続きました。
しかしその後、ご存じのように、日本は、その苦しさや貧しさに耐え忍び、勤勉とがんばりで世界ビリから世界一へと成長するのです。
2.医療事情の悪い戦争中、ジフテリアという病気にかかり、鼻の穴と鼻自身が萎縮、身体に電気治療のアザができ、幼少時に長いことコンプレックスになっていました
しかし今となっては、そういう幼少時の身体的なコンプッレクスと戦って克服できたことは、他人への思いやりや優しさなど、むしろ幸いであったと思っています。
3.我が家は親も兄弟も皆記憶力は弱い、私もご多分に漏れず記憶力が弱い、更に早生まれや、体力もさほどではなく、学校の成績は中の上、頑張るがそれだけの結果は出ない
しかし記憶力が悪いハンデをなんとか努力でカバーし、ついに国立一流大学の東工大に入ってしまった、親族あげてびっくりしたようだ
4.その後、大学院を修了し、大阪の松下電器に就職しましたが、当時は松下幸之助さんの下、無借金経営で破竹の勢いでした
しかし当時日本一優れた経営を標榜しながら、この会社は大企業病のような状況に陥り、その後伸び悩むのです。そういう中でなんとか独自に成果をあげたのを契機に転職する
5.さほど魅力を感じなかった大企業の松下電器を10年で退職し、京都の零細企業の電子部品会社のエンゼル工業に就職しました。
就職したときこの会社は会社をたたもうかというような最悪の状況でしたが、独自の新製品や設備開発と必死の頑張りで急速に業績を回復したのです
6.さすが身体がボロボロになり、休暇をとった後、京都の半導体電子部品のローム㈱に転職しますが、この会社は当時業界最低の地位でしたが、とにかく私も頑張りました。
この会社は、有能な専務などの幹部と社員の必死の頑張りにより、ついに日本一の高収益企業にと脱皮したのです。
7.東京から大阪へそして京都へ、ますます故郷は遠くなり、京都弁や京都の習慣にもなじめないまま、生来の口下手・お世辞下手・社交下手で出世も思うようにできませんでした
しかしそういう中で万年課長で、身寄りのない京都で、管理畑の実務畑やいろいろの会社や職種を体験し成果をあげてきたことは大きなプラスになる
8.青天の霹靂、元気なはずの妻が突如、癌で闘病生活となり、関西に身寄りがいない状況で、仕事との両立もままならず、55歳でロームを退職し、介護を1年くらいしました、そして平行して経営コンサルタントの道に踏み込むのです
コンサルタント会社に入社しましたが、あまりのひどさお粗末さにあきれ、3カ月で退職し、コンサルタント業を自営独立をしてしまいます。当時ISO14001支援はコンサルタントがいないために非常に儲かりました
9.しかしISO14001支援もひとわたりすると、ISOコンサルタントも増え、営業力の弱い私どもの会社は受注が不安定になってきます
そんな折、業界に先駆けて、ISO14001支援のやり方を根本的に見直し、180度大幅に独自の改善を敢行します、それによって支援の成果もあがり、受注は急増します。営業もインターネットの充実で安定化しました。
また個人でコンサルタントをやる場合の障害は営業力の弱さですが、これも独自にホームページを相違工夫し検索で上位をキープしてこられたのです。今では苦手だったパソコンやインターネットについて教える立場に変身したのです。
10.妻が癌で死去し、その後、私も前立腺癌になり、関西で一切身寄りのない私は、本当の困ったを実感しました。治療の副作用や高齢化により、どんどん体力も衰えていきます。
そういう中で、田舎暮らしを開始し、独自の健康体操など健康管理を根気よく続けることによって、年齢を重ねるほどに。健康や体力に大きな自信を再度とり戻したのです。
11.長年私は管理畑の実務畑を黙々と歩いてきたのですが、55歳で未経験の経営コンサルタントをやることになったのですが、当初は全く自信なんてなかったですね
しかし長年いろいろな会社やいろいろな職種いろいろな困難及び会社の再生を経験してきた私は経営コンサルタントを背負うような意気込みでのめりこんでいきます
12.また私は社交下手・会話下手で、友人や人々との交流をむしろ避けてきたほうですが、交友関係かなり狭いものでした。
しかしコンサルタントを自営するにつれて自信や望ましい会話のやり方を順次習得していき、以前に比較して人付き合いに前向きになり、ついに会話支援までやるよう大きく脱皮したのです。

「厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国」なんです

「金を残す人は、不景気のときに金を使う人」だと言います(景気の良い時は倹約して金を貯める)
すなわちピンチの時こそ前向きに動くということでしょうか?良い時はむしろ自重しているということでしょうか?
多くのそうではない人は、逆のことをしてしまうものだそうです

昨年、百年に一度の未曾有の不景気は自分や会社が本物かどうかを試すチャンスなんです

いいですか、このピンチをピンチのまま、政府などの救済を得て、なんとなく2~3年を過ごす人や会社は間違いなく将来はありません。
しかし、もしこのピンチに、むしろ伸びる会社は人がいたらその人は間違いなく確実に将来が期待されるはずです。
お嬢さん貴方もそういう頼もしい人や会社を選ぶべきなんですよ!

さあ自分自身や自分の周りを見ていて下さい、こんなピンチでも
伸びる会社があります
伸びる人がいるのです
そういう人や会社になるかどうかは、心がけ次第です。

ピンチのとき、ドップリ困って、そこでもがいて、なんとかアイデアや勇気を出して独自の対処を果敢に実施することが大事なんですね

日本政府は、今度のピンチにおいて、「国民が必死にがんばる」「死ぬ気でがんばる」ようにリードすべきなんですが、
保護政策・とにかくお金を与える政策・甘やかし政策・場当たり政策・その場しのぎ政策をするのです

その結果ピンチはチャンスにはならず、むしろ遠い将来において更なる大きなピンチに結びつくような構造にさせてしまう結果になるのです
甘えてはいけません
ピンチにあたって誰かが助けてくれる」と思ってはいけません
トコトン困って・困って・困り抜くことこそが大事なのです
トコトン困るからこそ、アイデアが生まれる・正しい路線に戻る・必死になるのであります

生まれ故郷の東京を離れ関西で全く身寄りもなく、数々のピンチを乗り越えてきた私には、「天は自ら助ける者を助ける」ということを自らの人生で体験してきました
安易に助けてくれる身寄りの人達が周囲にいることは、良いことのようで結果的には最悪なんです。

「可愛い子には旅をさせよ」「他人の飯を喰わせろ」というのは真実なんですが、これを避けてしまう人は多いですね
国民は可愛くないのです、政治家にとって国民は、単なる票なんです。可愛くないから、ご機嫌とって、甘やかすのです。

私の体験では、すごく困ったときでも関西には身寄りがなく、国も社会も会社も、誰も何の助けもしてくれなかったことが自分を強くしてくれたことを改めて思い出すのです。そういう意味では、誰も助けてくれなかったことに感謝したいくらいのものです。
とにかくつらいですよ、下手するとノイローぜや自殺しかねない状況ですから怖い面もありますが、「安易に助ける」ことはいつまでたっても結果は出ませんよ。
禅の修行はそれはそれは厳しいと聞きますが、その禅の精神は、我々俗人にも基本的に必要だと思います。

変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない

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東京都浅草出身/京都市伏見住人の京都雑感と会話ブログ
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