1月28日 おはよう日本
大手デパートのそごう横浜店。
去年リニューアルした化粧品フロアの1番の売りが
国内外70の化粧品ブランドがまとめて陳列されているブース。
これまで化粧品業界ではブランドごとに個別のブースを構えて販売するのが半ば常識だった。
ブランドの価値を守るためである。
このデパートではその“タブー”を破ることに挑戦。
ブランドの垣根を超えたブースを実現したのである。
お客さんにとっては大きなメリットが。
一見同じ赤に見えるリップも
使う人によって全く印象が変わって見える。
ここでは様々なブランドを1度に試すことができると人気を呼んでいる。
(客)
「ブランドのブースに入るのに勇気がいる。
メーカー問わず見られるのはいい。」
予約をすれば無料でフルメイクのサービスも。
リニューアル以来フロアーの集客は前の年に比べ2倍にアップしたという。
(そごう横浜て年)
「まずブランドの壁を越えて試して納得したうえでブランドを買っていただく。
ビューティーフロアのハブ拠点として
ここから発信をしていきたい。」
ブランドの垣根を超える取り組みはほかでも。
日本橋三越本店が去年10月から始めたのは
コンシュルジュによるトータルコーディネート。
およそ90人の専門家がスーツやアクセサリーなど無料でコーディネートしてくれる。
一方ブランドの価値を高めるこんなアプローチ。
去年日本に初上陸したイギリスのおもちゃブランド ハムリーズ。
特徴は“お店で遊べるおもちゃ屋さん”。
自社ブランドのおもちゃで楽しませる販売戦略で
認知度とブランド価値のアップを狙っている。
(客)
「衝動買いです。」
「孫に買います。」
売り上げは予想を上回るペースだという。
(ハムリーズ)
「体験を通しておもちゃの魅力を伝えることがこの企業のブランド。
ライブ感たっぷりに客に提供していくことが
事業拡大につながっていくのではないか。」
1月26日 おはよう日本
(十八銀行 森拓二郎頭取)
「地元のために最大の貢献ができる銀行を作っていく。」
経営統合により長崎県内に本社を置く唯一の上場企業 十八銀行が上場を廃止する。
これにより県内の上場企業の数は
1から0へ。
上場企業がないのは全国で唯一長崎県だけになる。
Q.知っている長崎の会社は?
(学生)
「ないです。」
「知名度がない。」
「できれば県外へ出たい。」
県の調査では
県内の大学に通う学生の約7割が県外での就職を希望。
魅力的な企業がなければ人材流失も止まらず
優秀な人材を確保できなければ企業の勢いはそがれてしまう。
(長崎県 中村知事)
「地域機材をしっかりと支えていただけるような
企業をもっと育てていく。」
県は支援策を講じているものの上場までは至らないのが現状である。
そんな長崎の先行きを危惧する人がいる。
東京の大手監査法人で新規上場を手掛けてきた公認会計士の手塚智三郎さん。
7年前
自らが育った長崎へ戻った手塚さん。
企業収益などは十分なのに上場を目指さない地元の企業をみて違和感を感じたという。
こうした背景には長崎の気風があると指摘する。
(公認会計士 手塚智三郎さん)
「長崎県は保守的でしょうね。
最近で言えば観光があって観光客がお願いしなくてもだいたい来てくれるような環境があって
何か新しいことをしなくちゃというような経済環境がなかった。」
長崎に上場企業を誕生させたい。
手塚さんは創業87年を迎えた長崎市の老舗ねじ製造会社に目を付けた。
グループ全体の売り上げや経常利益は東京証券取引所の上場企業に匹敵する。
経営に携わる濱田屋商店3代目の濱田康平さん。
手塚さんから話を聞き
上場すれば事業拡大や人材確保などの面で十分なメリットがあると感じた。
その一方株主からは短期的な利益ばかりを求められるのではないかという懸念も抱いた。
(濱田屋商店 濱田康平さん)
「視点が短期にならないかとか
そういうものをものすごく気にしています。
利益を上げていかなければならないが
今後マーケットの動きというのはかなり激しくなってくると思う。
そういう時に株主側を気にしすぎて判断を間違わないかどうか
自分としては気にしている。」
県内の経営者に広く“上場”という選択肢を知ってもらいたいと
東証の担当者に加え
8年前に上場を果たした企業の社長を講師に招き
セミナーを開催することになった。
セミナーには38の県内企業が参加し
濱田さんも自ら足を運んだ。
長崎県に隣接する佐賀県伊万里市の会社社長は
上場によって人材が確保しやすくなったことを強調した。
「上場すれば数は来ます。
100人の求人に対してわが社のエントリーは約2万人です。
市場はどういうことを求めているか。
今を求めていません。
未来どうするんだと
おたくの会社
あなたは未来をどうするんだということを考えています。」
濱田さんは“上場”という選択肢をより前向きにとらえるようになった。
(濱田屋商店 濱田康平さん)
「短期間でなく
もっと自分が見ているより大きい視点で見てるんだなと感じました。
かなり勇気をいただいたと思います。」
(手塚智三郎さん)
「上場も含めて企業の“継続”だけでなく
“発展”それからもっと“成長”するということに対して
もっと今よりも力強くサポートしていけるようにしたい。
“長崎だったらいろんなチャンスあるぜ”
“やってやろうじゃねえの”という若者が残って
トライできるような長崎になったらいいなと思っています。」
1月25日 編集手帳
作家の小林信彦さんは、
のちに「寅さん」役で大俳優となる渥美清さんを若い頃から知っていた。
その魅力は声と見かけとのギャップではなかったかと書いている。
食事の席などでする何げない話からして、
人を引きつけたという。
<まず、
声がいい。
失礼ながら、
あの顔で、
声だけ二枚目というのが、
当時は面白かった>
(『おかしな男 渥美清』新潮文庫)。
チャーミングな人は得てして相反しそうなものを併せ備えるのかもしれない。
テニスの大坂なおみ選手の場合、
コートで見せるとびきりの強さに対し、
やさしさ、
明るさ、
そして天真爛漫てんしんらんまんな受け答えだろうか。
きのうは普段はむずかしい顔つきで机に向かっている記者の多い小欄の職場でも、
テレビの前で拍手を送る人がいた。
全豪オープン準決勝で、
大坂選手がはらはらどきどきの展開でチェコの選手を下し、
あすの決勝の舞台にすすんだ。
至上の対戦に手に汗にぎったあと、
いつもの屈託のない笑顔が見られるといい。
勝てば、
昨年の全米オープンに続いて、
四大大会2連覇となる。
どんなコメントになるだろう。
偉業とのギャップを夢想してしまう。
さらに収入を増やそうと
1月25日 おはよう日本
ファーストリテイリングが開いた記者会見。
来年の東京オリンピック・パラリンピックで
ユニクロがスウェーデンの選手団の公式ウェアを手掛けることになった。
(ファーストリテイリング 柳井正 会長兼社長)
「スウェーデンオリンピック委員会から光栄なオファーを受けて
大変うれしく思います。」
(スウェーデンオリンピック委員会 ピーター・レイネボ CEO)
「これはオリンピックの素晴らしいパートナーシップだ。
ユニクロの品質・革新性・接続可能性に着目して採用した。」
この契約獲得
ファーストリテイリングにとって大きな意味がある。
スウェーデンといえば
世界第2位のブランド H&M発祥の国。
これまで公式ウェアを受注してきたのはH&Mだったが
そのライバルの牙城を崩した。
ユニクロとしてはこの受注をきっかけに
ヨーロッパでの展開を強化したい考えである。
世界で活躍するアスリートにウェアを着てもらうことは
メーカーの重要なブランド戦略である。
アディダスは全豪オープンで決勝進出を決めた大坂なおみ選手と契約。
ウェアを提供している。
一方デサントはウェア用の新たな素材を開発。
売り上げアップを狙う。
開発を行う大阪の拠点。
人口的に雨を降らせる部屋でウェアの機能を実験している。
新たな素材は
体の表面にたまった熱を外に逃がす機能である。
通常のウェアに比べて3度ほど温度が低いという結果になった。
今後こうした高い機能をオリンピックなどで売り込み
ブランド価値を高める戦略である。
(デサントR&Dセンター)
「より良いウェアを提供していくことがミッションですから
アスリートに安心して着てもらえる商品が提供できたことはうれしい。」
スポーツウェア国内市場は
2016年 5,244億円
2017年 5,353億円
2018年 5,554億円
2019年(予想)5,770億円
オリンピック効果もさることながら
大きくけん引しているのが
日常生活でも着用できるスポーツウェア=アスレジャー
athletic(競技) + leisure(余暇)
このようなファッションスタイルが広がっている。
各メーカーとも
おしゃれな高機能なスポーツウェアの開発に一段と力を入れている。
1月25日 おはよう日本
大阪 あべのハルカス近鉄本店で開かれているバレンタインフェア。
世界中から最新のチョコレートが集められている。
塩キャラメルがガラスのように輝くチョコレート。
蜂が運んできた花粉を使ったチョコレート。
今年のトレンドは原料となるカカオの産地にこだわったチョコレート。
カカオの味は産地によって大きく異なる。
メキシコ産やマダガスカル産など
チョコレートごとに味の違いを楽しむことができる。
板チョコをイメージしたワンピースに身を包んだ女性は
ネックレスにブローチ イヤリングまでチョコレートの
チョコレートバイヤーのみりさん。
22年間 神戸の通販会社で世界中からチョコレートの買い付けを担当してきた
知る人ぞ知るチョコレートの専門家である。
(チョコレートバイヤー みりさん)
「昔は南米やアフリカだけだったが
アジア地域もどんどんカカオを生産している。
それぞれの国の違いや文化をチョコで感じられる。」
みりさんが注目しているのがオーストラリア産のカカオ。
「まだ本当に希少です。」
その味わいは
「カカオがスパイシー。」
「割と個性的で
そこがおもしろいポイント。
世界から集めたチョコを
まるで映画やお芝居を見るつもりで
“味の国際交流”だと思って食べてほしい。」
京都にはカカオの時代を象徴する店がオープン。
JR京都駅の一角。
ここでは目の前でカカオ豆からチョコレートをつくってくれる。
使うのはインドネシア産のカカオ。
特殊なマシンに焙煎したカカオ豆を入れると
中でさらに細かく挽かれて
わずか1分。
カカオペーストが絞り出されてきた。
(DariK マネージャー)
「挽きたてと
そうでないチョコレートは
香りが一番違う。」
砂糖とミルクを加えた新鮮なチョコレートのタルトは店の1番人気である。
とにかくカカオの香りが強い。
「とてもフル-ティ。
酸味があって
カカオという果実のフルーツらしさを存分に味わえる。」
これまでにない濃厚な味わいに
(客)
「すごくいい経験。
貴重。」
平成最後のバレンタイン。
カカオにこだわってみるのもいい。
1月24日 おはよう日本
日本は街のあちこちに自動販売機がある“自販機先進国”。
1962年にコカ・コーラが清涼飲料の日本初の自販機を導入した。
もともとはアメリカである。
アメリカでは自販機は壊れていたりあまり良いイメージがないが
最近は驚くような進化を遂げている。
防犯カメラには
自動販売機を蹴りつけたりバールを突っ込み現金を盗み出す映像が。
こうした事情もあってアメリカでは自販機は屋外にはほとんど置かれていない。
一方ひとの目が届きやすい屋内での自販機設置は最近増えている。
サンフランシスコ市内のホテルの自販機で売られているのは
地元のアーティストがデザインしたネックレスやシール。
絵画まで売られている。
サンフランシスコ国際空港で月に100万円以上売り上げる自動販売機は
ユニクロの自販機。
日本では店頭でしか売られていないダウンジャケットも買うことができる。
(利用客)
「列に並んで待つ必要がない。
すぐに買えるのがいい。」
自動販売機による売り上げは2011年から毎年400億円以上伸びている。
なかにはアメリカらしい遊び心あふれる自販機も。
中古車を購入した客が特製のコインを入れると
まるで自販機で買えるような気分で
車を受け取れる。
背景にあるのが景気拡大による人件費の上昇である。
自販機の方がコストを抑えられるとして人気が高まっているのである。
(自動販売機協会 CEO)
「今は従業員を確保するのがとても難しいので
企業は店を出す代わりに自動販売機を作るようになっている。」
大手の自販機メーカーも市場拡大を見込んで開発に力を入れている。
今年4月に発売予定の新機種。
クレジットカードを登録したスマホをかざすとドアのロックが解除される。
“買う前に商品を手に取って選べる”自販機である。
商品棚に戻してもカメラやセンサーが識別。
ドアを閉じると料金がクレジットカードに請求される仕組みである。
(SWYft CEO)
「私たちは顧客に利便性を提供する。
今後も革新的な新技術を使った自販機を作っていきたい。」
1月24日 おはよう日本
ふだんスポーツの会場に直接足を運ぶのが難しい人たちでも
試合や会場の熱気や臨場感を味わえる技術の開発がすすめられている。
開発に取り組む航空会社。
新たな旅の形を提案しようと生み出したのが分身ロボット“アバター”。
行きたい場所にアバターを送り込むことで
まるで自分がそこに行ったかのような体験ができる技術で
今回初めてスポーツ観戦に活用することになった。
その仕組みは
自宅などにいる利用者がパソコンのキーボードを操作すると
離れたところにいるアバターを自由自在に動かすことができるのである。
さらにパソコンに向かって話しかけると
離れた場所にいる人とやり取りすることもできるという。
(ANAホールディングス)
「試合会場に友だちは行っているが自分はいけなかった場合
アバターにログインして
友だちと一緒に観戦を楽しみ
同じ空間・雰囲気を味わえる。
新しい観戦の形をアバターを活用してトライしたい。
今回初めての実証実験が行われたのが
富山市で行われたプロバスケットボールBリーグのオールスターゲームである。
アバターを操作することになったのは
富山市のとなりの高岡市の福祉施設に通う小学6年生の優くんである。
手足があまり成長しない難病で車いすなしでは自由に動くことができない。
バスケットボールの試合はテレビで見たことはあるが会場に行ったことはない。
「どの選手に声かけるか一緒に決めよう。」
優くんにはお目当ての選手がいる。
日本代表にも選ばれている馬場雄大選手。
地元富山県の出身で優くんにとってあこがれの存在である。
「応援したいです。」
当日優くんのいる施設から20km以上離れた海上にアバターがやって来た。
まず向かったのはオールスターゲーム限定の応援グッズ売り場。
「何が売っているんですか?」
グッズのリストは友だちがサポートして見せてあげる。
優くんが選んだのはリストバンド。
「黒と白どっちほしい?」
「黒。」
優くんもみんなと一緒に並んだ。
「リストバンドの黒ください。」
「これがリストバンド。
うれしい?」
「ありがとうございます。」
アバターを通して試合観戦も。
「馬場選手~!」
コートののすぐそばまで寄れるためテレビとは違った臨場感が味わえる。
次々と彼なプレーが飛び出すが
「うわぁ だめか。」
「専用回線の通信が悪いみたい。」
なんと試合の途中から映像が途切れ途切れに。
「切れちゃって接続が。
全然見えなくて。」
原因は会場に設置していた通信機器のトラブルだった。
試合の方は残念だったが
アバターを通してあこがれの馬場選手と対面することができた。
「こんにちわ。
楽しかったです。」
「本当ですか。
こっちもみんなが笑顔で元気もらいました。」
アバターだからこそできるお願いも。
「筋肉見せてください。」
「ありがとうございます。」
「ちょっと変な汗かいたけど
本当に会ったみたいだった。」
1月24日 おはよう日本
東京電力福島第1原発の事故に伴う避難指示の解除から3年4か月がたった福島県楢葉町に
街の情景を俳句で読み続けている男性がいる。
震災後に男性が詠んだ句は1,000句以上。
刻み続けた5・7・5の17音からは故郷への思いの変遷が見えてきた。
冬日浴び 檜皮葺(ひわだぶ)きなる 阿弥陀堂
福島県楢葉町に住む永山和平さん(87)。
未曽有の震災と原発事故からもうじき8年。
趣味の俳句作りが長きにわたった避難生活の心の支えになってきた。
「1日は震災のことを全部忘れて俳句に集中できる。」
震災当時 79歳だった永山さん。
趣味だ俳句を詠んでいた永山さんは
あの日の情景や心情も文章ではなく
5・7・5の17音でとどめていた。
(2011年3月の句)
家崩れ 避難広報 急ぎ立て
ただ逃げる 原発よりも 遠くなれ
夢中で書き留めた当時の句には
俳句に欠かせない季語がない。
「季語なんかない。
季語どころではなかった。
ただ季語で俳句をつくるより実際の今の本当のことを。」
震災後の詠んだ句は1,000句以上。
大好きなふるさとから引き離され
避難生活を強いられた大変な状況も
俳句にすることで1歩引いた目線でとらえられ
気持ちを整理できたのだという。
(2011年冬の句)
冬日差す 死の町車 徐行して
町の大部分が警戒区域に指定されていたころ
時間を区切って立ち入りが認められたときの情景である。
以前のふるさとは失われてしまったのではと
深い悲しみに襲われた。
(2012年6月の句)
無気力の 気怠さ 梅雨の仮住まひ
いわき市の仮設住宅で避難生活をおくり
慣れない暮らしに時には生きる希望を失いかけたこともあった。
楢葉町の非難支持がようやく解除されたのが震災から4年半が経とうとするころだった。
永山さんが解除と同時に町に戻った。
その時のふるさとの景色を見て詠んだ句。
((2015年9月の句)
避難解除 故郷の山 夕焼けて
去年6月には待望の商業施設がオープン。
徐々に町の復興を詠んだ明るい句も増えてきた。
(2018j年6月の句)
商店街 開店幟(のぼり) 風薫る
「帰ってきた者にとっては一番力強かった。
わが故郷の復興の第1歩ができた。」
震災後の楢葉町を俳句に気z見続けてきた永山さん。
最近新たな羽後ds気が合った。
自宅の庭に俳句を刻んだ句碑を立てたのである。
汚染梅 ただ熟し 落ちるのみ
町の復興を詠んだ明るい句もありながら
あえて原発事故で最も苦しかったころ詠んだ句を刻んだ。
このままでは震災と原発事故の記憶が風化してしまうのではないかという危機感が募ってきたからだという。「東京の人が来ると
まだ避難しているところがあるのって
分かっていない
原発事故は終わったと思っている。
私たちが災害にあって苦しかったことを何より伝えたいと思い
汚染の句を詠んだ。
こういう災害になって復興していく過程を自分で見ながら
避難のときのひどいこと
復興のところを1歩でも残していければ。」
1月22日 編集手帳
隻眼の剣士、
丹下左膳は昭和の人気映画だった。
日本の児童文学の父といわれる小川未明も影響を受けたらしい。
「片目のごあいさつ」という作品がある。
幼い新ちゃんが腰に長いものさしをさし、
家族の前に出てくる。
「いいか、
よらばきるぞ」。
母が言う。
「なんのまねなの?」。
兄の徳ちゃんがいった。
「タンゲサゼンのまねをしているのですよ」
小欄も子供の頃、
教材の定規で級友とチャンバラごっこをした覚えがある。
長さを測る以外の使い方でまず浮かぶのはそれだが、
大学入試センター試験のニュースで聞いたことのない使用法に接した。
国語の問題文を定規をあてながら読んでいた受験生が不正行為とみなされ、
全科目を無効にされたという。
試験に使用できないものとして注意事項に明記されている。
<定規、コンパス、電卓、そろばん…>。
そもそも数学や理科での不正を想定したものだろう。
センター試験は「30秒」試験時間が短くなっても、
再試験になるほど厳格に運営されている。
とはいえ、
である。
受験生は会場で定規を乱暴に振り回したわけでもない。
杓子(しゃくし)定規がいいことかどうか。
1月18日 おはよう日本
「氷上のチェス」と呼ばれるカーリング。
ストーンをはじき出すショット
カーブをかけて狙った場所に止めるなど
多彩なショットを使い分ける。
選手たちの技術を引き出すのは氷。
その表面に秘密がある。
“ぺブル”と呼ばれる凹凸が一面に広がっているのである。
盛岡市で氷を作っているのは阿部善行さん。
この道10年の氷づくりのプロ“アイスメーカー”である。
カーリングの本場カナダのアイスメーカーの資格も持っている。
「アイスメイクの世界はゴールがない。
毎日試行錯誤することの繰り返し。」
ゆっくり凍ると丈夫な氷になるためぺブルづくりにはぬるま湯を使う。
ぺブルは温度が低すぎるともろくなり
高すぎると大きくなりすぎてしまう。
30~50度の間
その日の適温を見極める。
「氷の温度と館内の温度は毎日違う。
1日に最大5度とか動く時もある。
それをある程度読まないといけない。」
アイスメーカー最大の腕の見せどころ
ぺブルづくり。
大小さまざまな大きさの水滴が10秒足らずで凍りつく。
一定の速さで歩き水平に同じ速さで腕を振ることで
むらなくリンクにまいていく。
「穴から出てくるときは均一な大きさ。
空中で衝突したり落ちてからくっつき大小さまざまなものが出来る。
摩擦のかかり方が違うので面白い。」
ぺブルの形・密度・硬さがカーブのかかりやすさなどストーンの動きに直結している。
しっかりと管理された阿部さんの氷を使うため東北中から選手が訪れる。
(福島からの選手)
「日頃練習している福島と全然違ってすごく滑りますし
楽しいです。」
(宮城からの選手)
「滑るし
カーリングできる曲がりになっている。
選手がやりやすい環境にアイスメイクされ感謝。」
(盛岡市アイスリンク 阿部善行さん)
「全国の人が来ても“ここのシート(リンク)はいいね”と言ってもらえるようにしたい。
ゆくゆくはここからオリンピアンが出てほしい。」
ストーンのわずかな動きが勝敗を分けるカーリング。
阿部さんが作り上げた氷が競技を支える。
1月17日 編集手帳
期日や期限とかいう場合の【期】は、
「とき」を意味する。
以前、
漢和辞典で引いたとき、
それ以外の字義があることを知った。
「ちぎる」「約束する」。
これらは期待の期である。
つまり期待とは、
約束が果たされるのを待つ心持ちといえる。
横綱へのファンの心理に似ていよう。
強い相撲を見せてくれるはずだ――
それに応えようとして、
けがや不調を押し無理に土俵に上がったことは確かだろう。
横綱・稀勢の里が引退した。
生真面目で不器用な人だという。
綱取り後、
千秋楽まで取り切ったのは2場所のみ。
胸中の無念は察して余りある。
国技館に連日ため息が漏れたが、
同時に見せたものは約束を誠実に果たそうとする横綱の姿にほかならない。
在位2年とはいえ、
体が思うように動かず、
ひとり悩み苦しむ時間だったろう。
寺山修司の詩を思い出す。
<いろんなとりがいます
あおいとり
あかいとり
わたりどり
こまどり
むくどり…
でも
ぼくがいつまでも
わすれられないのは
ひとり
という名のとりです>
(「ひとり」)
最後まで、
つらい孤独には負けなかった土俵人生だろう。
忘れまい。
1月16日 国際報道2019
1966年 毛沢東が発動した文化大革命。
このとき中国では
共産主義と毛沢東を宗教のように崇拝していた。
それ以外は悪として
あらゆる宗教団体が迫害されたのである。
毛沢東の死後 党の路線は改革開放へと転換し
宗教を尊重する方針も正式に打ち出された。
中国は目覚ましい経済発展を遂げ
激しい競争や貧富の差などの社会問題が浮上する。
心のよりどころを求めキリスト教や仏教など宗教を信仰する人が急増。
なかでもキリスト教は欧米文化の流入とともに多くの人に受け入れられた。
最近では心の豊かさを求める都市部の若者の間にも定着しつつある。
クリスマスでにぎわった12月
とある店にやって来た地元当局に
クリスマスの飾りが根こそぎ外された。
いま再びキリスト教への締めつけを強める中国政府。
自らに権力を集中させる習近平国家主席。
いま中国では政治経済から一般社会にまで共産党が管理を強化しようとしている。
そして宗教もまたその対象の1つである。
中国の憲法では“信仰の自由”をうたっているが現状はかなり違うようである。
中国では政府の公認を受けた教会だけが宗教団体として認められている。
公認の協会は当局の管理下に置かれ
洗礼を受けた信者の個人情報などを報告しなければならない。
牧師や神父には説教の中で共産党をたたえることや
政府幹部との会食に参加することを求められ
共産党に忠実な存在だということを示さなければならない。
公認の教会に通う信者の数はプロテスタントとカトリックを合わせ
1982年に600万人だったが
現在は4,400万人に。
信仰が広まるにつれ
当局の管理を嫌がる信者も出始め
非公認の教会が増えている。
“家庭教会”や“地下教会”などとも呼ばれ
その信者の数は公認の教会に通う信者の数に匹敵するという見方もある。
中国政府は急速に増えているキリスト教信者への締めつけをこれまでにないほど強めている。
12月9日の夜 摘発は突然行われた。
摘発されたのは四川省成都にある教会のメンバーである。
元大学教授の牧師をはじめ数百人の信者を抱える
政府の公認を受けていない中では比較的規模の大きな教会だった。
牧師夫妻をはじめ教会の主要メンバー100人以上が自宅から一斉に連行され
今も15人が交流されたままである。
教会では説教で貧富の格差など社会問題を取りあげていた。
警察当局は全く発表していないが
フェイスブックで信者が明らかにしたところによると
牧師夫妻の容疑は“政権転覆扇動罪”。
この罪名で牧師が拘束されたのは中国で初めてとみられる。
教会はその後どうなったのか。
警察官らしき男性たちが入っていく。
警察官は信者がこのビルに近づかないよう警戒しているものとみられる。
教会を閉鎖され残された信者たちは公園で礼拝を行った。
しかしこれも違法とされリーダー格の信者が拘束された。
(信者の知人)
「当局は多くの信者を脅迫したりコントロールしたりしています。
政府非公認の教会で礼拝を行なってはいけないというのです。
需要人物とみなされた信者の家は4人の警察に24時間監視され尾行もされています。
おかしいでしょう。
いまどき想像できません。
当局は道理を無視して取り締まっています。
法律なんてお構いなしです。」
中国政府によるキリスト教締め付けの徹底ぶりは
文化大革命以降“最も厳しい”と言われている。
(中国 習近平国家主席)
「我が国の主教を中国化させる方針を堅持し
宗教を社会主義と適応させるよう導く。」
締めつけを法律面で裏付けたのが去年2月に施行された新しい法律である。
中国では法律のことを“条令”という。
中を見ると“宗教は社会主義の価値観を実行する”などと書かれていて
宗教問題を重要な政治課題と位置づけたことがわかる。
宗教の中国化を着々と進める習近平政権は
これをきっかけに
政府公認の教会への管理も強化している。
信者の数が比較的多い河南省。
政府公認の教会に当局が突然大勢の作業員を連れてきて
十字架を撤去した。
同じように十字架を撤去された教会は河南省だけで数千か所にのぼるということである。
十字架の代わりに掲げられたのは
習主席がアピールする社会主義の価値観。
“愛国”“平等”など12のスローガンが並んでいる。
政府公認の教会に入ってみると
監視カメラ。
牧師や信者がどんな発言をするか監視しているのである。
政府批判となるような社会問題を取りあげることは許されず
共産党をたたえるよう指導も受けるということである。
さらに子どもを教会に連れてくることも禁止されるようになった。
親の影響で若い信者が増えるのを防ぐための措置とみられる。
信者たちは当局の締めつけは信仰への侮辱だと感じている。
(信者)
「十字架が撤去されるなんて心が痛みます。
こんな状況になっても信仰は揺らぎません。」