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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

パリ ジュテーム おフランス新婚旅行記その3

2013-10-03 22:26:16 | 旅行記
その2

移動の疲れもあって、2日目の夜は早く眠りについた。
ふと目が覚めると、午前2時くらいだった。
ホテルの部屋は一階だったので、すぐ外に出られる扉があり、私はこっそり部屋を出た。
外はかなり冷え込んでいた。
寝ていたままの格好だったので、体を震わせながらモン・サン・ミッシェルが見える場所まで走っていった。

そこには、幻想的にライトアップされた島が浮かび上がっていた。
写真を三枚ほど撮ったが、距離があったためぶれてしまい、きれいには残らなかった。
翌日その話をすると、「なんで起こしてくれなかったん! それを見るために一泊したのに!」と言われたが、これは私だけの思い出だ。

早く寝たこともあって、目覚めも早かった。
ホテルの朝食が始まる時間には朝食会場に行き、ビュッフェ・スタイルの朝食を食べた。
朝早かったので、散歩しようということになり、あたりを散策することにした。
やはりかなり冷え込んだが、周りを歩いているのは日本人ばかり。
そんな早い時間から起きて朝食をとるのは日本人くらいのようだ。
歩いていると、澄んだ空気の向こうには、もはや「龍の巣」から墜ちてきたとしか思えないモン・サン・ミッシェルが見える。
非常に美しい。
自分たちだけ中世に紛れ込んでしまったかのような、そんな光景だった。

その景色に酔いしれるのもつかの間、毎回恒例のやつが私を襲った。
そうだ。
フランスには数少ないといわれている、トイレ・トラブルである。
もっと長くゆっくり歩くつもりだったのに、私を襲う腹痛は容赦ない。
だから朝ご飯食べすぎやねん、と後悔しつつも、初めてのフランスの朝ご飯なのだから食べるしかないだろう。

途中から早歩きからダッシュに変わり、奥さんを振り切ってホテルの部屋に戻る。
間一髪間に合ったが、本気でお漏らしするところだった。
「わたし、新婚旅行に来たのになんか一人で歩いてて悲しかった」と恨み節を言われたのは仕方がないとしよう。

チェックアウトを済ませた二人は、シャトル・バスに乗っていよいよモン・サン・ミッシェルへ。
朝の9時ごろだったと思うが、それでもすでに観光客が列をなしていた。
ものすごく狭い敷地しかない島(むしろ岩)なので、道幅がとにかく狭い。
狭いところでは車一台も通れないほどだ。
そこに5人、6人が通ろうとするから道は非常に混雑していた。
かなりの急勾配ということもあり、歩きにくい靴はケガをする可能性も十分ある。
階段もかなり急なところもあるため、注意が必要だ。

目当ての修道院の入り口には長蛇の列ができあがっていた。
私たちは途中でその列がチケットの購入を並ぶ観光客だということに気づき、すでにツアーで申し込みしていたため、スムーズに入場できた。
修道院の内部もかなり狭い。
あまりヨーロッパの建造物に対する知識がないので、それがどういう順序でどういう機能があるのかよくわからなかったのが残念だ。
けれども、どこもかしこも、映画の一場面に迷い込んだように、あるいはこれから三銃士でも登場するのではないかという雰囲気があった。
潮風による浸食がひどいのか、そこかしこに修繕工事をしている場面に出くわす。
景観という意味では残念だったけれども、この修繕工事はずっと続けられるのだろう。
連綿とこの歴史的遺産を残すためには、恒常的な修繕が必要だし、それに対して絶対に守ろうという意志を強く感じた。

2日目に出会った親子連れは「モン・サン・ミッシェルって意外と見るところが少なくて、暇をもてあますかもしれませんよ」と言われたのだが、私たち2人はそれどころか本当にじっくりと堪能した。
迷路のように曲がりくねった修道院の中を歩くだけでも、わくわくどきどきが止まらない。
ロマンティックも止まらない。

私たちは修道院の他、海洋博物館、歴史博物館を回って、カフェに行った。
海洋博物館は、ほとんど言葉がわからなかったので、模型を見る程度で終わった。
歴史博物館は丁寧に現地スタッフが流暢なフランス語で説明してくれた。
奥さんに「なんて? なんて?」と聞きまくったが、
「速すぎてわからんわ! もっとゆっくり言ってほしい」と言われ、時折笑っているフランス人(っぽい人)を羨ましく思っていた。
英語ならまだしも、フランス語は全く聞き取れないことが改めて突きつけられた。
いや、わかってたんですけどね。

カフェも大混雑で、座れる店を探すのに一苦労といった様子だった。
歩き疲れて、のどが渇いていた私はコーラとサンドウィッチ、奥さんはペリエとオムレットを頼んだ。
観光地ということもあって、外国人観光客にも慣れた様子で対応してくれた。
隣で美味しそうなものを食べる客を見ても、それと同じものを頼めない不幸をかみしめながら、店を後にするのであった。
(実際にはそれほど空腹でもなかったのですけれども)
お土産物をみていると、刀剣などを売っている店もあった。
日本の鎌倉にも似たような店があったけれども、それは万国共通のお土産物リストなのかもしれない。
けれども、町並みが町並みなので、本当に銅のつるぎを買いに来た勇者になった気分だ。
もちろん、買わなかったよ。

バスでまた島を離れ、ホテルやレストランが連なる一画まで戻ってきた。
バスはひっきりなしに往復しているが、それでも五台ほどのバスをやり過ごさないといけないほど人は多かった。
スーパーマーケットに隣接するカフェで休みながら、お互いがお土産物を買った。
値段はやはり日本と同じか、その1.3倍ほどする。
例えばクッキーなら5.5ユーロほど。
日本なら550円くらいなのだろうが、換算すると800円ほどになってしまう。
そこでは「いかにもモン・サン・ミッシェル」というようなパッケージのお菓子を買って、お土産とした。

衝撃だったのは日本に帰って、成城石井に行ったとき。
なんと全く同じクッキーが売っていた。
しかも、けっこう安かった。
またどこかで触れようと思うが、日本にいて手に入らないものはほとんどないのだと実感した。
そういう意味では日本はとても恵まれた、先進国なのだろうということを知らされる。
そして、成城石井にいくと、「ああ、もう一度フランスに行きたい」と懐かしんで同じクッキーを買ってしまうという……。
(その後、日本の酒屋にいくとそこでも同じクッキーが売っていてさらにヘコんだ。)

そうこうしているうちにあっという間に集合時間となった。
モン・サン・ミッシェルを離れ、迎えに来てくれたバスに乗り込んだ。
集合時間になっても現れなかったグループがあり、その数人については「もう待ってられないので出発します」と出てしまった。
どうやらバスの運転手らの勤務時間があるようで、日本のように待ってくれないようだった。
「なんとか帰れるでしょう」などといいながら、やはりなぜかたどたどしい日本語で話してくれる日本人ガイドが帰りを案内してくれた。
奥さんと僕は、ひそひそと「ツアーで遅れるってありえんやろ。大人やねんから!」と話をしていた。
しかし、これがまさか自分たちに返ってくるとはこのときは誰も予想できなかった。
(いや、二人しかおらんねんけど)

彼女は帰りのバスでいろいろな話をしてくれた。
地下鉄に安全な時間帯はないので、絶対に鞄を話してはいけないとか。
日本の地下鉄で爆睡しているサラリーマンを見ていると、日本はなんて幸せな国なのだろうと涙が出てくるとか。
フランスには日本料理屋があり結構人気だが、そのオーナーは中国人だったりするとか。
その日本料理屋には醤油と甘い醤油が置いてあり、ご飯にかけて食べるのが当たり前になっているとか。
だから、本格的な日本人経営の店で甘い醤油がなかったらフランス人は戸惑ってしまうとか。
あるときフランスで日本食を食べているフランス人が、七味唐辛子を一生懸命ご飯にかけて食べている人がいた。
どうやらご飯に何かをかけるものだと思っている人がいるようで、その人はふりかけと間違えて唐辛子をかけていたのだろう、とか。

そして、パリに戻ってくる頃にはすでにあたりは日が落ちて暗くなっていた。
インセプション」でも使われたというセーヌ川にかかる有名な橋の下をくぐって、光輝くエッフェル塔を拝んで解散場所まで戻ってきた。
エッフェル塔は人が多すぎて、登れなかったという同じツアーの日本人観光客の情報もゲットできたので、翌日以降の行動ルートも再考できた。

着いたのはオペラ座前。
夜のオペラ座は圧倒的な迫力があり、こういうものが街中に堂々とあるということが衝撃的だった。
帰りは地下鉄の方が便利だったが、時間も時間だし、怖かったので結局歩いてホテルまで帰った。
夕食はあまり食欲もなかったので、ファスト・フードのハンバーガーにした。
まぁ、普通のバーガーでしたけどね。

→ その4

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