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4日目は、こちらもオプション・ツアーの半日ヴェルサイユ宮殿観光。
ヴェルサイユ宮殿はもともとパリ郊外の狩猟場だった。
狩猟はヨーロッパでは非常に重要なものの一つで、首領にのみ許されたものだった。
狩猟はよき軍事訓練の場であり、特権階級のみ許されていたのだ。
ヴェルサイユは今でこそ、究極の贅沢を極めた宮殿として世界的に有名だが、もともとはもっとこぢんまりとした村だったそうだ。
それがルイ14世の時代になり、より豪華な宮殿として整備された。
最も有名なのは2階にある「鏡の間」である。
これは当時の技術としては革新的な巨大な鏡を配して、空間の広がりを倍増させたという部屋だ。
ガイドさんの話だと「みなさまね、鏡の間をごらんになられるとおもいますがね、
ここはね、ゆっくり見て50分はね、時間がかかるとね、思ってくださいね」
ということだった。
パリから車で40分程度の郊外にあり、RER(郊外までのびる高速鉄道)かバスがおすすめの移動手段となる。
ツアーを選択した私たちは、バスの中で有名になるまでの経緯などをレクチャーを受けて、宮殿前にたどり着いた。
(ちなみに、やはりガイドさんはたどたどしい日本語を話す日本人だった)
ツアーバスがすでに何十台、いや100台以上が並んでいた。
もしかしたら200台はあったかもしれない。
そのとき少しだけ嫌な予感はしていた。
しかし、その予感がよみがえってくるまですこし時間があった。
とにかく案内された玄関前にはすでに数百人が列をなしていた。
「ここからは自由行動です。集合時間は11時です。」
時計はすでに9時をすこし過ぎていた。
つまり、2時間程度しか時間はなかった。
しかし、入場を待つ列は一向に進む気配がない。
15分経っても、10メートルほどしか進まない。
これはやばい。
2時間で本当に見られるのか、それどころか2時間で入場すら危ういのではないだろうか。
それにしても後ろの中国人が何を話しているのか知らないが、とてもうるさい……。
30分が経過する。
10時にもなっていない状態だが、太陽が燦々と降り注ぐ炎天下の中、まだまだ列の先が見えない。
焦りといらだち、「こんなことになるなら旅行代理店はしっかり言っておいてほしかった」と不安になる。
それにしても後ろの中国人がとてもうるさい……。
50分経過する。
なんとか先が見えてきた。
1時間は見られそうな雰囲気だ。
たどたどしい日本人ガイドさんも、「11時15分に変更します!」と案内を出していた。
ドライバーの勤務時間のことを考えるとそれが限界だったのだろう。
それにしても後ろの中国人がとてもうるさい……。
しかも、なんだか話ながらこっちに寄ってくる。
「おいおい、順番抜かししてきたら日本語でまくし立てるぞ! DIO!」
10時すぎ、ようやく入場を果たし、日本語ガイドのヘッドフォンも受け取らずに館内へ向かった。
普通に歩くスピードで、どんどん見ていく。
しかし、やはりそこは「マリー・アントワネット」を見ていた私としては、どうしても立ち止まってしまう。
「おお、これが! あの! ……なんやようわからんけど。」
2階に上がると途端に歩みが遅くなる。
なぜなら、その天井絵をはじめとする彫刻、美術品、すべてに圧倒されるからだ。
世界でもっともすばらしい宮殿を建造したいという意味を、肌で感じることができる。
時間に追われながら写真を撮り続けたが、吸い込まれそうなくらい圧倒的だ。
驚異的としか言いようがない。
絶句するというのはこういうことか。
そのあとのルーヴルも同じような感想を持ったが、人間が本当に優れているのはその彫刻技術や絵画の彩色技術ではない。
本当にすごいのは、これほどの建造物、これほどの彫刻、これほどの絵画、これほどの食器、これほどの服飾を一つの空間のなかに収めようとしたという想像力だ。
絵を描いたことはある。
家に絵画を置きたいと想像することはある。
けれども、自分が触れるもの、目にするもの、おそらくは耳にするもの、口にするもの、嗅覚に触れるものまですべてを「完璧」にしようとしたその想像は、私には抱いたことさえなかった。
この宮殿を見た革命家たちは、「マリー・アントワネット死すべし」と思ったのはうなずける。
これだけのものを作り上げようとするには、それだけ多くの人が血と汗と涙を注ぎ込み、おそらくは多くの人の蹂躙してきたのだ。
その歴史そのものが、広大な庭を含めたヴェルサイユに集結されている。
そして今は、世界中の人間が観光目的でその絨毯や床に靴音を鳴らしている。
これほど一つの空間で、様々な感情や思考を与えるところは少ないだろう。
駆け足で通り過ぎるしかなかったのは残念だったが、それでも私には鮮烈な印象を与えた。
あと15分。
いよいよカウントダウンが迫っていた。
しかし、出口がどこかわからない。
迷った挙げ句レストランに突入したり、看板通りに進むとまた同じフロアに出てしまったりと迷いに迷った。
警備員に話を聞いてやっと出口を発見し、残り5分。
これはヤヴァい。
間に合わない。
そして嫌な予感がよみがえってくる。
ただでさえ足場が悪い石畳を、ヒールの奥さんの手を引いて、バスの駐車場の広場までやってきた。
そこで絶望するのは、「え? こんなにバスって多かった?」ということだった。
行きよりもさらにバスの数が増えており、まったく自分たちが乗ってきたバスが見つけられない。
所狭しと巨大な観光バスが停めてあり、日本人らしい人も見つけられない。
アジア人はみな中国人だった。
黒人の行商(そんないいものではないかなりグレーな感じの兄ちゃん)もエッフェル塔の置物をぶら下げて売りに来る。
スマートフォンがずっと圏外の私には、連絡手段もないため、二人で別々に探し回ることもままならない。
集合時間から、10分がすぎた。
「ああ、もう本当にこれは自力で帰らなければならないのか……」
そう覚悟したとき、奥さんが「旅行代理店からもらったツアーデスクに電話してみよう」と言い出した。
もはやこれまで! と思いながらも電話すると、折り返したどたどしい日本語を話す日本人ガイドさんから電話があった。
「銅像まで来てください!」
広場の入り口真ん中にある銅像に向かうと、大きく手を振ってくれるガイドさんの姿があった。
間一髪ぎりぎりセーフでバスまで案内されて、行ってみるとバスが停められた場所ではなく、駐車場の最も端の一画だった。
「ごめん、それはわからんわ!」
しきりに謝ってくれるガイドさんの言葉にも申し訳ないし、乗り込んだバス車内の他の乗客からの冷たい、冷たい視線が本当に痛かった。
「遅れるなんて、大人としてありえない」……つい20時間前くらいに言っていた言葉が自分の胸に突き刺さる。
奥さんは「仕方がなかった」と小声で言っていたが、もはや言い訳をする小学生のようで、それも痛かった。
「すんません。ほんますんません。」
パリに帰って下ろされたのはやはりオペラ座前だった。
午後の予定は特に決まっていなかったが、姉から頼まれていたボタンを探すために、手芸屋を探していた。
その前におなかも減ったこともあり、やはりカフェで食事をすることにした。
ヴェルサイユでの一件でかなり遅いお昼になってしまったので、二人ともちょっと疲れていた。
そのため、しっかり食べようということになり、私はハンバーグのようなものを頼もうと思っていた。
奥さんが「ああ、これはビーフのタルトって書いてあるわ」と言ったので私はそのままそれを注文した。
ちなみに奥さんはオムレット(オムレツ)を注文した。
オムレットは希望通りの品で安心していると、私の前に運ばれてきたのは、なんとユッケだった。
正確には生のミンチの上に生卵が乗せられているという品だった。
「これはひょっとして日本人だからって馬鹿にされているのか?」と真剣に思ったが、そうではなかったらしい。
周りに添えられた薬味とミンチを混ぜながら、バゲットと一緒に食べるものらしかった。
塩こしょうをさらに加えて食べると、美味しかったが、まさかそんなものが出てくるとは思わなかったのでびっくりした。
日本ではユッケが食べられなくなったため、久しぶりに生肉を食することができてかえってラッキーだったかもしれない。
やっぱりメニュー(カルテ)を読めるだけの知識は必要だったようだ。
満腹のおなかを抱えて、目当ての手芸屋さんを発見し、言われていたボタンを買った。
しかし、そこでハネムーン第二弾のトイレ・トラブルに巻き込まれた。
そうか、やはり、ユッケお前のせいか!
日本人スタッフもいる手芸屋さんで、ガイド・ブックにも載っている店だったので、私には少しだけ目算があった。
「あの~すみません、このあたりにトイレってありますか?」
「いや~ちょっとこのあたりにはないですね~」
「そうですよねぇ」
「本当はだめなんですけど、ちらかってますけど、店のを使われますか?」
「え??! いいんですか?」
すみません、貸してくれると思って聞いちゃいました。
言葉が通じるって、こんなにすばらしいことなんだと感動してしまいました。
(くれぐれも、この記事を読んだからその店なら借りられるのだと勘違いしないでくださいね。)
心もすっきり、体もすっきりしたところで、再び散策を開始した。
すぐ近くにブックオフを見つけた。
おお、こんなところでも「本を売るならブックオフ(日本語)」なのか。
興味もあり、職場の先輩が本を欲しがっていたので、ちょっとのぞきに行った。
すると、「MANGA」コーナーが。
フランスは特に日本ひいきの人が多いということを聞いてはいたが、日本の漫画はMANGAとして通じていた。
しかも、すべてフランス語であり、ものすごく古い作品もあった。
「るろうに剣心」「キャプテン翼」はもちろんのこと、「MADARA」や「I’s」なんてものも。
私はいいネタになるだろうと、「ハガレン」と「るろ剣」を買って帰った。
とにかく疲れたこともあり、ホテルまで帰り、そしてホテル周辺の探索を行った。
パリの街並みは、同じような石造りの建物が並んでいる。
街全体が美術館のような、そんな景色が広がっている。
なんでもない銀行でも大きな彫刻が置かれていたり、通りの窓はフランス窓といわれる大きな縦長の窓が並んでいる。
カフェは前述のとおり、ずらっとテラスが並んで、時折マクドナルドやスターバックスなどの日本でも見かける店もある。
ほとんどがカフェだが、中にはイタリアンや日本料理が並んでいたりする。
日本ではよく見かける美容室や本屋は少なかった。
ファッションの店やお土産もの屋さん(スーベニア)はたくさん見かけた。
いくつか入ってみたが、やはりかっこいい。
オペラ座近くにはかっちょいい工具の店もあった。
閉まっている店もあちらこちらで見かけた。
開店準備の店もあったが、おそらく潰れてしまったのだろうというカフェテリアもちらほらあった。
本当に古くからあるのだろうという店もあり、伝統と最先端をいく街なのだろうと感じた。
この日は長い一日となった。
お休み、パトラッシュ。
ぼくはなんだが疲れたよ。
明日はいよいよルーヴル宮へ!!
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4日目は、こちらもオプション・ツアーの半日ヴェルサイユ宮殿観光。
ヴェルサイユ宮殿はもともとパリ郊外の狩猟場だった。
狩猟はヨーロッパでは非常に重要なものの一つで、首領にのみ許されたものだった。
狩猟はよき軍事訓練の場であり、特権階級のみ許されていたのだ。
ヴェルサイユは今でこそ、究極の贅沢を極めた宮殿として世界的に有名だが、もともとはもっとこぢんまりとした村だったそうだ。
それがルイ14世の時代になり、より豪華な宮殿として整備された。
最も有名なのは2階にある「鏡の間」である。
これは当時の技術としては革新的な巨大な鏡を配して、空間の広がりを倍増させたという部屋だ。
ガイドさんの話だと「みなさまね、鏡の間をごらんになられるとおもいますがね、
ここはね、ゆっくり見て50分はね、時間がかかるとね、思ってくださいね」
ということだった。
パリから車で40分程度の郊外にあり、RER(郊外までのびる高速鉄道)かバスがおすすめの移動手段となる。
ツアーを選択した私たちは、バスの中で有名になるまでの経緯などをレクチャーを受けて、宮殿前にたどり着いた。
(ちなみに、やはりガイドさんはたどたどしい日本語を話す日本人だった)
ツアーバスがすでに何十台、いや100台以上が並んでいた。
もしかしたら200台はあったかもしれない。
そのとき少しだけ嫌な予感はしていた。
しかし、その予感がよみがえってくるまですこし時間があった。
とにかく案内された玄関前にはすでに数百人が列をなしていた。
「ここからは自由行動です。集合時間は11時です。」
時計はすでに9時をすこし過ぎていた。
つまり、2時間程度しか時間はなかった。
しかし、入場を待つ列は一向に進む気配がない。
15分経っても、10メートルほどしか進まない。
これはやばい。
2時間で本当に見られるのか、それどころか2時間で入場すら危ういのではないだろうか。
それにしても後ろの中国人が何を話しているのか知らないが、とてもうるさい……。
30分が経過する。
10時にもなっていない状態だが、太陽が燦々と降り注ぐ炎天下の中、まだまだ列の先が見えない。
焦りといらだち、「こんなことになるなら旅行代理店はしっかり言っておいてほしかった」と不安になる。
それにしても後ろの中国人がとてもうるさい……。
50分経過する。
なんとか先が見えてきた。
1時間は見られそうな雰囲気だ。
たどたどしい日本人ガイドさんも、「11時15分に変更します!」と案内を出していた。
ドライバーの勤務時間のことを考えるとそれが限界だったのだろう。
それにしても後ろの中国人がとてもうるさい……。
しかも、なんだか話ながらこっちに寄ってくる。
「おいおい、順番抜かししてきたら日本語でまくし立てるぞ! DIO!」
10時すぎ、ようやく入場を果たし、日本語ガイドのヘッドフォンも受け取らずに館内へ向かった。
普通に歩くスピードで、どんどん見ていく。
しかし、やはりそこは「マリー・アントワネット」を見ていた私としては、どうしても立ち止まってしまう。
「おお、これが! あの! ……なんやようわからんけど。」
2階に上がると途端に歩みが遅くなる。
なぜなら、その天井絵をはじめとする彫刻、美術品、すべてに圧倒されるからだ。
世界でもっともすばらしい宮殿を建造したいという意味を、肌で感じることができる。
時間に追われながら写真を撮り続けたが、吸い込まれそうなくらい圧倒的だ。
驚異的としか言いようがない。
絶句するというのはこういうことか。
そのあとのルーヴルも同じような感想を持ったが、人間が本当に優れているのはその彫刻技術や絵画の彩色技術ではない。
本当にすごいのは、これほどの建造物、これほどの彫刻、これほどの絵画、これほどの食器、これほどの服飾を一つの空間のなかに収めようとしたという想像力だ。
絵を描いたことはある。
家に絵画を置きたいと想像することはある。
けれども、自分が触れるもの、目にするもの、おそらくは耳にするもの、口にするもの、嗅覚に触れるものまですべてを「完璧」にしようとしたその想像は、私には抱いたことさえなかった。
この宮殿を見た革命家たちは、「マリー・アントワネット死すべし」と思ったのはうなずける。
これだけのものを作り上げようとするには、それだけ多くの人が血と汗と涙を注ぎ込み、おそらくは多くの人の蹂躙してきたのだ。
その歴史そのものが、広大な庭を含めたヴェルサイユに集結されている。
そして今は、世界中の人間が観光目的でその絨毯や床に靴音を鳴らしている。
これほど一つの空間で、様々な感情や思考を与えるところは少ないだろう。
駆け足で通り過ぎるしかなかったのは残念だったが、それでも私には鮮烈な印象を与えた。
あと15分。
いよいよカウントダウンが迫っていた。
しかし、出口がどこかわからない。
迷った挙げ句レストランに突入したり、看板通りに進むとまた同じフロアに出てしまったりと迷いに迷った。
警備員に話を聞いてやっと出口を発見し、残り5分。
これはヤヴァい。
間に合わない。
そして嫌な予感がよみがえってくる。
ただでさえ足場が悪い石畳を、ヒールの奥さんの手を引いて、バスの駐車場の広場までやってきた。
そこで絶望するのは、「え? こんなにバスって多かった?」ということだった。
行きよりもさらにバスの数が増えており、まったく自分たちが乗ってきたバスが見つけられない。
所狭しと巨大な観光バスが停めてあり、日本人らしい人も見つけられない。
アジア人はみな中国人だった。
黒人の行商(そんないいものではないかなりグレーな感じの兄ちゃん)もエッフェル塔の置物をぶら下げて売りに来る。
スマートフォンがずっと圏外の私には、連絡手段もないため、二人で別々に探し回ることもままならない。
集合時間から、10分がすぎた。
「ああ、もう本当にこれは自力で帰らなければならないのか……」
そう覚悟したとき、奥さんが「旅行代理店からもらったツアーデスクに電話してみよう」と言い出した。
もはやこれまで! と思いながらも電話すると、折り返したどたどしい日本語を話す日本人ガイドさんから電話があった。
「銅像まで来てください!」
広場の入り口真ん中にある銅像に向かうと、大きく手を振ってくれるガイドさんの姿があった。
間一髪ぎりぎりセーフでバスまで案内されて、行ってみるとバスが停められた場所ではなく、駐車場の最も端の一画だった。
「ごめん、それはわからんわ!」
しきりに謝ってくれるガイドさんの言葉にも申し訳ないし、乗り込んだバス車内の他の乗客からの冷たい、冷たい視線が本当に痛かった。
「遅れるなんて、大人としてありえない」……つい20時間前くらいに言っていた言葉が自分の胸に突き刺さる。
奥さんは「仕方がなかった」と小声で言っていたが、もはや言い訳をする小学生のようで、それも痛かった。
「すんません。ほんますんません。」
パリに帰って下ろされたのはやはりオペラ座前だった。
午後の予定は特に決まっていなかったが、姉から頼まれていたボタンを探すために、手芸屋を探していた。
その前におなかも減ったこともあり、やはりカフェで食事をすることにした。
ヴェルサイユでの一件でかなり遅いお昼になってしまったので、二人ともちょっと疲れていた。
そのため、しっかり食べようということになり、私はハンバーグのようなものを頼もうと思っていた。
奥さんが「ああ、これはビーフのタルトって書いてあるわ」と言ったので私はそのままそれを注文した。
ちなみに奥さんはオムレット(オムレツ)を注文した。
オムレットは希望通りの品で安心していると、私の前に運ばれてきたのは、なんとユッケだった。
正確には生のミンチの上に生卵が乗せられているという品だった。
「これはひょっとして日本人だからって馬鹿にされているのか?」と真剣に思ったが、そうではなかったらしい。
周りに添えられた薬味とミンチを混ぜながら、バゲットと一緒に食べるものらしかった。
塩こしょうをさらに加えて食べると、美味しかったが、まさかそんなものが出てくるとは思わなかったのでびっくりした。
日本ではユッケが食べられなくなったため、久しぶりに生肉を食することができてかえってラッキーだったかもしれない。
やっぱりメニュー(カルテ)を読めるだけの知識は必要だったようだ。
満腹のおなかを抱えて、目当ての手芸屋さんを発見し、言われていたボタンを買った。
しかし、そこでハネムーン第二弾のトイレ・トラブルに巻き込まれた。
そうか、やはり、ユッケお前のせいか!
日本人スタッフもいる手芸屋さんで、ガイド・ブックにも載っている店だったので、私には少しだけ目算があった。
「あの~すみません、このあたりにトイレってありますか?」
「いや~ちょっとこのあたりにはないですね~」
「そうですよねぇ」
「本当はだめなんですけど、ちらかってますけど、店のを使われますか?」
「え??! いいんですか?」
すみません、貸してくれると思って聞いちゃいました。
言葉が通じるって、こんなにすばらしいことなんだと感動してしまいました。
(くれぐれも、この記事を読んだからその店なら借りられるのだと勘違いしないでくださいね。)
心もすっきり、体もすっきりしたところで、再び散策を開始した。
すぐ近くにブックオフを見つけた。
おお、こんなところでも「本を売るならブックオフ(日本語)」なのか。
興味もあり、職場の先輩が本を欲しがっていたので、ちょっとのぞきに行った。
すると、「MANGA」コーナーが。
フランスは特に日本ひいきの人が多いということを聞いてはいたが、日本の漫画はMANGAとして通じていた。
しかも、すべてフランス語であり、ものすごく古い作品もあった。
「るろうに剣心」「キャプテン翼」はもちろんのこと、「MADARA」や「I’s」なんてものも。
私はいいネタになるだろうと、「ハガレン」と「るろ剣」を買って帰った。
とにかく疲れたこともあり、ホテルまで帰り、そしてホテル周辺の探索を行った。
パリの街並みは、同じような石造りの建物が並んでいる。
街全体が美術館のような、そんな景色が広がっている。
なんでもない銀行でも大きな彫刻が置かれていたり、通りの窓はフランス窓といわれる大きな縦長の窓が並んでいる。
カフェは前述のとおり、ずらっとテラスが並んで、時折マクドナルドやスターバックスなどの日本でも見かける店もある。
ほとんどがカフェだが、中にはイタリアンや日本料理が並んでいたりする。
日本ではよく見かける美容室や本屋は少なかった。
ファッションの店やお土産もの屋さん(スーベニア)はたくさん見かけた。
いくつか入ってみたが、やはりかっこいい。
オペラ座近くにはかっちょいい工具の店もあった。
閉まっている店もあちらこちらで見かけた。
開店準備の店もあったが、おそらく潰れてしまったのだろうというカフェテリアもちらほらあった。
本当に古くからあるのだろうという店もあり、伝統と最先端をいく街なのだろうと感じた。
この日は長い一日となった。
お休み、パトラッシュ。
ぼくはなんだが疲れたよ。
明日はいよいよルーヴル宮へ!!
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