評価点:78点/2013年/イタリア/135分
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
彼は何を失ったのか。
鑑定士として名高いヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)の元に、電話がかかってくる。
女性の声で、クレア(シルヴィア・フークス)と名乗るその女性は、親が集めていた美術品を査定してほしいというのだ。
いきなりの電話だったが、その日が彼の誕生日だったということもあり、受けることにする。
しかし、その約束の日、40分も雨の中待ったが彼女は現れなかった。
腹を立てたヴァージルの元にさらにクレアから電話がかかってくる。
交通事故に遭ったから行けなかった、なんとかもう一度鑑定して欲しい、ということだった。
不審に思いながらもその館を訪れると、使用人の男が足を引きずりながら出迎えた。
しかし、依頼人のクレアと会えなかった。
イライラが募るヴァージルは、地下室にあった鉄製の歯車を見つけ興味を抱き始める。
TSUTAYAで何か借りようと思って、準新作になっていたこの作品を手に取った。
ほとんど予備知識なしで、「公開当時聞いたことがある」程度で借りた。
どこの国の話で、どんな物語かも分からなかったこともあり、なかなか楽しめた。
この映画は人を選ぶかもしれないが、特に男性にはたまらない映画になっている。
個人的には「マッチポイント」や「スイミング・プール」、「マッチスティック・メン」のような印象を受けた。
ミスリードが織りなす、サスペンス。
女の人は、ちょっと嫌悪感を抱くかも。
▼以下はネタバレあり▼
いつも私は上の役者名などを確認するためにネットで映画名を検索するわけだが、今回はその予測キーワードに「ハッピーエンド」というのが即座に出てきた。
なにやらこの監督は、「この映画はハッピーエンドだ」と語っているということらしい。
公式サイトでもこの作品のネタバレと解説をしているので、詳細な分析はやめておこう。
公開されてから時間が経っているし、いまさらそれを取り立てて解説しても、大したおもしろみもないだろう。
とはいえ、人物は押さえておきたい。
ヴァージルは著名な鑑定士でありながら、人に触れられたり人の触れたものを触れるのが苦手な人間である。
さらに、仕事に明確なポリシーを持ち、それを変えようとはしない。
人との関わりを嫌い、美術作品をこよなく愛する。
競売を取り仕切りながら、欲しい作品はビリーという古くからの友人を介して自分が買い占めてしまう。
それを自室に作った秘密の部屋に飾り、眺めるのが好きである。
逆に言うと、美術品は大好きだが、人間は嫌いなのだ。
その彼に電話が掛かってくる。
12年以上の間、一歩も外に出たことがないというクレアという女性だ。
物語は巧みにミスリードされていく。
この物語の「表」はそのクレアという女性をヴァージルが「外に出す」物語である。
広場恐怖症の彼女を、何とかくどき、そして思いを添い遂げたいとする。
それにはヴァージルだけではなく、男がみな抱く〈幻想〉がある。
ずっと人目にさらされなかった無垢な美女が、どこかの館に閉じこもり、それを自分が外に導いて上げたい、という〈幻想〉だ。
彼はクレアが引きこもりであることを知ってから、確信めいたものを感じて動く。
それは、12年間も引きこもっていた女は、きっと〈美人〉であろうということだ。
はたして、彼女は〈美人〉だった。
それも予想に反して、驚くほど〈美人〉だった。
この時点で表の物語は決まってしまう。
自分がこの美女を救い出すのだ、という〈幻想〉を抱いてしまった。
彼は完全に術中にはまってしまったのだ。
これは彼だからはまってしまったが、見ている私たちもはまってしまうとすれば、それはそういう〈幻想〉――〈理想〉と言い換えてもいい――があるからだ。
しかしこの物語はもう一つの「裏」の物語がある。
巧みに表の物語にミスリードしながら、裏の物語が姿を現してくる。
友人のビリー、修理屋のロバート、その恋人、クレア、クレアの使用人、皆がぐるだった。
ヴァージルを騙すために、彼をそういう幻想に追い込んでいったのだ。
目的は、ヴァージルが長年ためこんでいた秘蔵のコレクションを奪うためだった。
彼は特に趣味を持たなかった。
得た利益は全てこのコレクションに費やしてきた。
豪華な家も、全てはあの隠し部屋をカモフラージュするためである。
客を呼ぶわけでもない、ただ、あの部屋で美女たちに見つめられている時間を至福の時としていたのだ。
だから、その価値はそうとうなものだった。
それを一切すべてを奪うために、彼らは巧みに彼を陥れていったのだ。
おそらくビリー(ドナルド・サザーランド)が首謀者だろう。
ヴァージルの性格をよく知るビリーは彼のウィークポイントを見つけ、そこにつけ込んだ。
映画のセットに使う館を借りて、大がかりなセットを築き、そこにクレアが住んでいるように見せかけた。
ヴァージルは人間嫌いなので、自分が動き始めるとほその館の本当の所有者は気づかない。
所有者はやはり同じクレアだし。
ロバートを頼るように機械人形の部品を置き、絵に描いたような美女を用意する。
心がめろめろになったところで婚約の約束をさせて、絵画をドロン、である。
この物語の「裏」とは、騙されたということではない。
例の往来の物語になっているということだ。
社会的引きこもりであったヴァージルが、外の世界に出て、そして再び自分の世界に閉じこもるというパターンになっている。
よくよく考えてみてほしい。
ヴァージルは何も「失って」いないのだ。
彼は元々誰も信用してこなかった。
ビリーも、ロバートも、秘書も誰も信用していなかった。
だから、裏切られても何も失ってはいない。
そして、コレクションは奪われたが、代わりに手に入れたものがある。
社会的なひきこもり生活(日常)から解放され女を知り(非日常)、そして再び引きこもり生活に戻った(日常)。
それは、日常―非日常の往来のパターンである。
その代わりのコレクションは、贋作の中にあった本物だった。
それがクレアとの思い出だ。
彼はクレアとの本物の恋に触れ、そこで彼女との思い出をコレクションすることに成功した。
誰にも邪魔されない、夢の世界の中で、彼は「ナイト&デイ」のレストランで彼女を待ち続けている。
それはまさに、誰にも邪魔されない自室の隠し部屋でコレクションを愛でているのと同じだ。
彼は何も失っていない。
失ったコレクションを、認識できる彼はいなくなった。
彼は幸せな時間を自分の「部屋」に強烈に刻みつけたことで、新たなコレクションを作り出したのだ。
この一連の事件で、損をした人間は誰もいない。
首謀者たちは金を得ただろうし、復讐を遂げた。
ヴァージルは本物の恋を手に入れた。
私たちがこの映画で覚える違和感は、それがヴァージルにとって幸せに見えないからだ。
しかし本物の恋を生きているうちに経験できる人間はどれくらいいるだろうか。
そして、それが最高のエロスと、最高の〈幻想〉に彩られているとすれば、これ以上の幸せはない。
贋作におぼれながら、その贋作の中に真実を見いだせたのだ。
違和感はどんなに説明されても残る。
それこそが、この映画の魅力だ
勧善懲悪や自業自得などという一辺倒の価値観では測れない気持ち悪さがある。
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
彼は何を失ったのか。
鑑定士として名高いヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)の元に、電話がかかってくる。
女性の声で、クレア(シルヴィア・フークス)と名乗るその女性は、親が集めていた美術品を査定してほしいというのだ。
いきなりの電話だったが、その日が彼の誕生日だったということもあり、受けることにする。
しかし、その約束の日、40分も雨の中待ったが彼女は現れなかった。
腹を立てたヴァージルの元にさらにクレアから電話がかかってくる。
交通事故に遭ったから行けなかった、なんとかもう一度鑑定して欲しい、ということだった。
不審に思いながらもその館を訪れると、使用人の男が足を引きずりながら出迎えた。
しかし、依頼人のクレアと会えなかった。
イライラが募るヴァージルは、地下室にあった鉄製の歯車を見つけ興味を抱き始める。
TSUTAYAで何か借りようと思って、準新作になっていたこの作品を手に取った。
ほとんど予備知識なしで、「公開当時聞いたことがある」程度で借りた。
どこの国の話で、どんな物語かも分からなかったこともあり、なかなか楽しめた。
この映画は人を選ぶかもしれないが、特に男性にはたまらない映画になっている。
個人的には「マッチポイント」や「スイミング・プール」、「マッチスティック・メン」のような印象を受けた。
ミスリードが織りなす、サスペンス。
女の人は、ちょっと嫌悪感を抱くかも。
▼以下はネタバレあり▼
いつも私は上の役者名などを確認するためにネットで映画名を検索するわけだが、今回はその予測キーワードに「ハッピーエンド」というのが即座に出てきた。
なにやらこの監督は、「この映画はハッピーエンドだ」と語っているということらしい。
公式サイトでもこの作品のネタバレと解説をしているので、詳細な分析はやめておこう。
公開されてから時間が経っているし、いまさらそれを取り立てて解説しても、大したおもしろみもないだろう。
とはいえ、人物は押さえておきたい。
ヴァージルは著名な鑑定士でありながら、人に触れられたり人の触れたものを触れるのが苦手な人間である。
さらに、仕事に明確なポリシーを持ち、それを変えようとはしない。
人との関わりを嫌い、美術作品をこよなく愛する。
競売を取り仕切りながら、欲しい作品はビリーという古くからの友人を介して自分が買い占めてしまう。
それを自室に作った秘密の部屋に飾り、眺めるのが好きである。
逆に言うと、美術品は大好きだが、人間は嫌いなのだ。
その彼に電話が掛かってくる。
12年以上の間、一歩も外に出たことがないというクレアという女性だ。
物語は巧みにミスリードされていく。
この物語の「表」はそのクレアという女性をヴァージルが「外に出す」物語である。
広場恐怖症の彼女を、何とかくどき、そして思いを添い遂げたいとする。
それにはヴァージルだけではなく、男がみな抱く〈幻想〉がある。
ずっと人目にさらされなかった無垢な美女が、どこかの館に閉じこもり、それを自分が外に導いて上げたい、という〈幻想〉だ。
彼はクレアが引きこもりであることを知ってから、確信めいたものを感じて動く。
それは、12年間も引きこもっていた女は、きっと〈美人〉であろうということだ。
はたして、彼女は〈美人〉だった。
それも予想に反して、驚くほど〈美人〉だった。
この時点で表の物語は決まってしまう。
自分がこの美女を救い出すのだ、という〈幻想〉を抱いてしまった。
彼は完全に術中にはまってしまったのだ。
これは彼だからはまってしまったが、見ている私たちもはまってしまうとすれば、それはそういう〈幻想〉――〈理想〉と言い換えてもいい――があるからだ。
しかしこの物語はもう一つの「裏」の物語がある。
巧みに表の物語にミスリードしながら、裏の物語が姿を現してくる。
友人のビリー、修理屋のロバート、その恋人、クレア、クレアの使用人、皆がぐるだった。
ヴァージルを騙すために、彼をそういう幻想に追い込んでいったのだ。
目的は、ヴァージルが長年ためこんでいた秘蔵のコレクションを奪うためだった。
彼は特に趣味を持たなかった。
得た利益は全てこのコレクションに費やしてきた。
豪華な家も、全てはあの隠し部屋をカモフラージュするためである。
客を呼ぶわけでもない、ただ、あの部屋で美女たちに見つめられている時間を至福の時としていたのだ。
だから、その価値はそうとうなものだった。
それを一切すべてを奪うために、彼らは巧みに彼を陥れていったのだ。
おそらくビリー(ドナルド・サザーランド)が首謀者だろう。
ヴァージルの性格をよく知るビリーは彼のウィークポイントを見つけ、そこにつけ込んだ。
映画のセットに使う館を借りて、大がかりなセットを築き、そこにクレアが住んでいるように見せかけた。
ヴァージルは人間嫌いなので、自分が動き始めるとほその館の本当の所有者は気づかない。
所有者はやはり同じクレアだし。
ロバートを頼るように機械人形の部品を置き、絵に描いたような美女を用意する。
心がめろめろになったところで婚約の約束をさせて、絵画をドロン、である。
この物語の「裏」とは、騙されたということではない。
例の往来の物語になっているということだ。
社会的引きこもりであったヴァージルが、外の世界に出て、そして再び自分の世界に閉じこもるというパターンになっている。
よくよく考えてみてほしい。
ヴァージルは何も「失って」いないのだ。
彼は元々誰も信用してこなかった。
ビリーも、ロバートも、秘書も誰も信用していなかった。
だから、裏切られても何も失ってはいない。
そして、コレクションは奪われたが、代わりに手に入れたものがある。
社会的なひきこもり生活(日常)から解放され女を知り(非日常)、そして再び引きこもり生活に戻った(日常)。
それは、日常―非日常の往来のパターンである。
その代わりのコレクションは、贋作の中にあった本物だった。
それがクレアとの思い出だ。
彼はクレアとの本物の恋に触れ、そこで彼女との思い出をコレクションすることに成功した。
誰にも邪魔されない、夢の世界の中で、彼は「ナイト&デイ」のレストランで彼女を待ち続けている。
それはまさに、誰にも邪魔されない自室の隠し部屋でコレクションを愛でているのと同じだ。
彼は何も失っていない。
失ったコレクションを、認識できる彼はいなくなった。
彼は幸せな時間を自分の「部屋」に強烈に刻みつけたことで、新たなコレクションを作り出したのだ。
この一連の事件で、損をした人間は誰もいない。
首謀者たちは金を得ただろうし、復讐を遂げた。
ヴァージルは本物の恋を手に入れた。
私たちがこの映画で覚える違和感は、それがヴァージルにとって幸せに見えないからだ。
しかし本物の恋を生きているうちに経験できる人間はどれくらいいるだろうか。
そして、それが最高のエロスと、最高の〈幻想〉に彩られているとすれば、これ以上の幸せはない。
贋作におぼれながら、その贋作の中に真実を見いだせたのだ。
違和感はどんなに説明されても残る。
それこそが、この映画の魅力だ
勧善懲悪や自業自得などという一辺倒の価値観では測れない気持ち悪さがある。
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