評価点:46点/2013年/アメリカ/103分
監督:ジェフ・ワドロウ
違うんだ、その方向性じゃないんだ。
あれから数年後、ヒットガールことミンディ(クロエ・グレース・モレッツ)は普通の高校生生活を送るふりをしながらトレーニングを続けていた。
キックアスことデイヴ・リゼウスキ(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、ヒーローであることを辞め、まったく普通の高校生になっていた。
しかし、世の中ではキックアスがムーブメントとなり、覆面自警団として活躍していた。
それをうけて、このままではだめだと思ったデイヴは再びヒーローとして戦う決意を固める。
ミンディの保護者であるマーカスは、ミンディが授業に出席していないことを問いただし、ヒーローごっこはやめるように伝える。
ミンディはその約束を守ることを誓い、再びキックアスは一人になってしまう。
地下組織に覆面自警団を形成していることを聞いたキックアスは、ジャスティス・フォーエバーという団体に入団する。
一方、レッドミスト(クリストファー・ミンツ=プラッセ)は母親を亡くし、その遺品を整理しているとき、自分の新たな使命を見出す。
それは覆面ヴィラン(悪役超人)としてキックアスに復讐するというものだった……。
きました。
あの「キックアス」の衝撃から数年。
私はこのときを待っていました。
そして、たぶん生涯ではじめて前売りチケットを購入しました。
そして、その前売りチケットを間違えて捨てるという思い切った行動までとりました。
主要なキャスティングはほとんどわかっていない。
ヒットガールも、キックアスも、レッドミスト(マザーファッカー)もみな登場する。
今回のプロモーションは前作と比べて、配給会社も力が入っている。
映画館にいったのは平日だったが、観客は半分ほど埋まっていた。
多くの人が見てくれるのは嬉しいが、一般受けする作品だとはとても思えないが、商売としてはうまくいっているのだろう。
そして、「エージェント・ライアン」の直後にこの映画を見に行ったわけだ。
果たして鑑定やいかに。
▼以下はネタバレあり▼
だめでした。
やはり、と言っていいだろう。
やはり、だめだった。
前作にあった微妙なバランスが崩れてしまった後の物語を描いている。
だから、その絶妙さをいかに構築し直すかが鍵だったと思う。
そのバランスは完全に無視された形で、どちらかというとマニアックな方向に進んでしまった。
だから、それでなくても一般受けしない話だったのに、さらに楽しめる客層が減ってしまった。
それは単にマニアックというよりも、完成度が低下したと行ってしまった方がよい。
目指すべき方向性はそういう方向じゃなかったはずなのに。
この映画の最も厳しい点は、感情移入できるキャラクターがいないということだ。
デイヴはキックアスを辞めたのにもかかわらず、再びやろうと決心する。
その理由がすっぽりと抜け落ちている。
前作ではその理由こそが、物語全体を貫くテーゼだったのにもかかわらずだ。
ただ、「みんなやってるからおれもやろうかな」程度の覚悟しかない。
だから、彼に降り注ぐ課題が全て彼にとって重要なのかどうなのかよくわからない。
弱気を助けたい、だれでもヒーローになれるはずだ、という熱さがない。
ジャスティス・フォーエバーに加わったところで、ただ群れたい若者のと同じ志のように見えてしまう。
もっとだめだったのはミンディだ。
彼女のキャラクターを掘り下げることでしか、この映画は成立し得ない。
なぜなら、あれだけ人気を博したのだから。
しかし、その人気の妙を理解していないかのようなシナリオになってしまった。
彼女は、大の大人が躊躇するようなことを平気で成し遂げ、そして何より本物のマフィアよりも強い、ということが取り柄だった。
その体と顔に似合わず、えげつないからこそ、彼女はすばらしかったのだ。
けれども、今回の彼女は普通だ。
神聖が奪われてしまったと言っても良い。
大人ならそこは躊躇してしまうよ、というところを大人と同じように躊躇してしまっては、彼女の魅力は半減してしまう。
少女から女へ、という変化をつけたかったのは理解できる。
しかし、その変化があまりにも「普通」だ。
そしてステレオ・タイプすぎる。
どこから連れてきたのか、女子会と称して彼女を引き入れるリーダーの女のキャラクターも、デートに誘う男も、彼女を掘り下げるどころか彼女を「当たり前」にしてしまった。
ミュージックビデオをみて感じるミンディは必要なかった。
もっといけないのは、二人が対峙する敵が、全く怖くないということだ。
なんちゃってヒーローが本物のマフィアと対峙するからおもしろい。
それなのに、なんちゃってヒーローが対峙する相手が、なんちゃって悪役だと全然怖くない。
これは「変態仮面」の時と同じ失敗といっていい。
変態対変態は、誰も見たくないのだ。
変態が常識を壊すからおもしろい。
なんちゃってが本物を倒すからおもしろい。
彼らが本物でない以上、クローズアップされるのは、彼らが行う非道な行いだけだ。
非道過ぎて、ただ単にグロく、気持ち悪い映像ばかりが目についてしまう。
デイヴが倒したかったのは、そういう「悪」ではなかったはずなのだ。
もっと日常に潜む、無関心であったり、本質的な悪意だったはずだ。
それなのに、今回は、ヒーローと同じ土俵でヴィラン(悪役)が戦ってしまう。
それをすべきなのは「スパイダーマン」であって、「キックアス」ではないのだ。
だから必然的に、二人の主人公はどんどん感情移入できる場を失ってしまう。
戦う理由のない等身大のキャラクターに、普通になってしまった殺人少女、変態の同級生という三者にどこに感情移入できる余地があるのだろう。
そもそも、キャスティングにも無理があった。
もはや良い年になってしまった二人が主人公を張るには違和感がある。
だってデイヴには二人の子どもがいるんですよ。
そりゃ無理でしょ。
ニコラス・ケイジもいないわけだし。
端役で出ているジム・キャリーはこの映画について批判的なコメントをしたというが、それは正しい。
残虐さだけがこのシリーズの売りだとすれば、この映画はもう撮らない方がよい。
前作のおもしろさを理解していないとしか思えない出来だ。
監督:ジェフ・ワドロウ
違うんだ、その方向性じゃないんだ。
あれから数年後、ヒットガールことミンディ(クロエ・グレース・モレッツ)は普通の高校生生活を送るふりをしながらトレーニングを続けていた。
キックアスことデイヴ・リゼウスキ(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、ヒーローであることを辞め、まったく普通の高校生になっていた。
しかし、世の中ではキックアスがムーブメントとなり、覆面自警団として活躍していた。
それをうけて、このままではだめだと思ったデイヴは再びヒーローとして戦う決意を固める。
ミンディの保護者であるマーカスは、ミンディが授業に出席していないことを問いただし、ヒーローごっこはやめるように伝える。
ミンディはその約束を守ることを誓い、再びキックアスは一人になってしまう。
地下組織に覆面自警団を形成していることを聞いたキックアスは、ジャスティス・フォーエバーという団体に入団する。
一方、レッドミスト(クリストファー・ミンツ=プラッセ)は母親を亡くし、その遺品を整理しているとき、自分の新たな使命を見出す。
それは覆面ヴィラン(悪役超人)としてキックアスに復讐するというものだった……。
きました。
あの「キックアス」の衝撃から数年。
私はこのときを待っていました。
そして、たぶん生涯ではじめて前売りチケットを購入しました。
そして、その前売りチケットを間違えて捨てるという思い切った行動までとりました。
主要なキャスティングはほとんどわかっていない。
ヒットガールも、キックアスも、レッドミスト(マザーファッカー)もみな登場する。
今回のプロモーションは前作と比べて、配給会社も力が入っている。
映画館にいったのは平日だったが、観客は半分ほど埋まっていた。
多くの人が見てくれるのは嬉しいが、一般受けする作品だとはとても思えないが、商売としてはうまくいっているのだろう。
そして、「エージェント・ライアン」の直後にこの映画を見に行ったわけだ。
果たして鑑定やいかに。
▼以下はネタバレあり▼
だめでした。
やはり、と言っていいだろう。
やはり、だめだった。
前作にあった微妙なバランスが崩れてしまった後の物語を描いている。
だから、その絶妙さをいかに構築し直すかが鍵だったと思う。
そのバランスは完全に無視された形で、どちらかというとマニアックな方向に進んでしまった。
だから、それでなくても一般受けしない話だったのに、さらに楽しめる客層が減ってしまった。
それは単にマニアックというよりも、完成度が低下したと行ってしまった方がよい。
目指すべき方向性はそういう方向じゃなかったはずなのに。
この映画の最も厳しい点は、感情移入できるキャラクターがいないということだ。
デイヴはキックアスを辞めたのにもかかわらず、再びやろうと決心する。
その理由がすっぽりと抜け落ちている。
前作ではその理由こそが、物語全体を貫くテーゼだったのにもかかわらずだ。
ただ、「みんなやってるからおれもやろうかな」程度の覚悟しかない。
だから、彼に降り注ぐ課題が全て彼にとって重要なのかどうなのかよくわからない。
弱気を助けたい、だれでもヒーローになれるはずだ、という熱さがない。
ジャスティス・フォーエバーに加わったところで、ただ群れたい若者のと同じ志のように見えてしまう。
もっとだめだったのはミンディだ。
彼女のキャラクターを掘り下げることでしか、この映画は成立し得ない。
なぜなら、あれだけ人気を博したのだから。
しかし、その人気の妙を理解していないかのようなシナリオになってしまった。
彼女は、大の大人が躊躇するようなことを平気で成し遂げ、そして何より本物のマフィアよりも強い、ということが取り柄だった。
その体と顔に似合わず、えげつないからこそ、彼女はすばらしかったのだ。
けれども、今回の彼女は普通だ。
神聖が奪われてしまったと言っても良い。
大人ならそこは躊躇してしまうよ、というところを大人と同じように躊躇してしまっては、彼女の魅力は半減してしまう。
少女から女へ、という変化をつけたかったのは理解できる。
しかし、その変化があまりにも「普通」だ。
そしてステレオ・タイプすぎる。
どこから連れてきたのか、女子会と称して彼女を引き入れるリーダーの女のキャラクターも、デートに誘う男も、彼女を掘り下げるどころか彼女を「当たり前」にしてしまった。
ミュージックビデオをみて感じるミンディは必要なかった。
もっといけないのは、二人が対峙する敵が、全く怖くないということだ。
なんちゃってヒーローが本物のマフィアと対峙するからおもしろい。
それなのに、なんちゃってヒーローが対峙する相手が、なんちゃって悪役だと全然怖くない。
これは「変態仮面」の時と同じ失敗といっていい。
変態対変態は、誰も見たくないのだ。
変態が常識を壊すからおもしろい。
なんちゃってが本物を倒すからおもしろい。
彼らが本物でない以上、クローズアップされるのは、彼らが行う非道な行いだけだ。
非道過ぎて、ただ単にグロく、気持ち悪い映像ばかりが目についてしまう。
デイヴが倒したかったのは、そういう「悪」ではなかったはずなのだ。
もっと日常に潜む、無関心であったり、本質的な悪意だったはずだ。
それなのに、今回は、ヒーローと同じ土俵でヴィラン(悪役)が戦ってしまう。
それをすべきなのは「スパイダーマン」であって、「キックアス」ではないのだ。
だから必然的に、二人の主人公はどんどん感情移入できる場を失ってしまう。
戦う理由のない等身大のキャラクターに、普通になってしまった殺人少女、変態の同級生という三者にどこに感情移入できる余地があるのだろう。
そもそも、キャスティングにも無理があった。
もはや良い年になってしまった二人が主人公を張るには違和感がある。
だってデイヴには二人の子どもがいるんですよ。
そりゃ無理でしょ。
ニコラス・ケイジもいないわけだし。
端役で出ているジム・キャリーはこの映画について批判的なコメントをしたというが、それは正しい。
残虐さだけがこのシリーズの売りだとすれば、この映画はもう撮らない方がよい。
前作のおもしろさを理解していないとしか思えない出来だ。
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