評価点:73点/1999年/アメリカ
監督:デヴィッド・リンチ
時速8キロのロード・ムービー。
口論から絶縁関係を10年続けていた兄のライル・ストレイト(ハリー・ディーン・スタントン)が倒れた。
70歳を越えるアルヴィン(リチャード・ファーンズワース)は、意を決して会いに行くことにするが、手段がない。
500キロ離れた兄の住むウィンストンまで、免許のないアルヴィンが選んだ移動手段は、時速8キロの芝刈り用のトラクター。
意気揚々と荷台を溶接して、娘が止めるのも聞かずに出発するが…。
デヴィッド・リンチ監督のロード・ムービー。
「エレファント・マン」と同様に、実話を元にした作品だ。
主演のリチャード・ファーンズワースは、2000年に自殺をとげている。
公開当時、見に行こうかと思っていたが、結局見に行けなかった。
観に行った友人がおもしろいと話していたので、このあたりで見ることにした。
リンチ作品としてはまっすぐな話で、わかりやすい。
超大作というような派手さはないが、堅実な作りで、安定感がある。
作品としての自律性も高く、うまく完結している。
ちょっと変わったロード・ムービーである。
▼以下はネタバレあり▼
のっけからやる気があるんだか、ないんだか、のらりくらりとはじまる。
いきなり床に寝転がっている男とのやりとりで面を食らう。
だが、このじじいが、とんでもない頑固者だった。
体が弱っていて、煙草も禁止、杖も二本にして、節制した方が良い、と医者から勧められる。
検査が終わって直後から煙草を吸い始め、娘には「100歳まで生きると言われた」とうそぶく。
10年前に口げんかしたことをきっかけに、ずっと絶縁状態だった兄が、病気で倒れたと聞かされると、今度は何とか自力で行こうと言い出す。
彼の頑固さは筋金入りで、壊れたトラクターを引っ張り出してきてそれで500キロを行こうというのだ。
予想通りトラクターは壊れてしまい、なけなしのお金でトラクターを買い直す。
やめときゃいいのに、それで500キロを走破しようと試みる。
だが、この設定が非常に重要だった。
彼は自分の言い出したトラクターでの旅を完遂させるために、今度は自分自身と向き合っていく。
それは1人ではこの旅が成し遂げられないということであり、頑固とは全く逆になっていく。
端的なのは、故障したトラクターを直してもらうというシークエンスだ。
もはや100キロを残すまでになった段階でトラクターが故障し、お金がかかってしまうことになる。
もちろん、泊まるところもなかったため、通りかかった人の裏庭に泊めてもらう。
その修理代について双子の修理屋がもめている際、彼は2人の中をとりもってやる。
その発言は、まさに自分自身の頑固さへの批判であり、反省である。
彼は自分の頑固さによって始めたこの旅を通して、素直さを獲得していくのだ。
夜に見知ったばかりの老人と飲みに出た時、大戦での自分の失敗を独白する。
彼は自分にささったトゲを、人と関わり合いながら抜いていくのだ。
それは決して1人ではできなかったプロセスだ。
一人旅でありながら、一人ではない旅。
自分の娘と、見知らぬ妊婦とを対話することで、家族の重みにも気づく。
ふとした瞬間に僕たちが触れるのは、彼の頑固さではない。
驚くほど素直で、驚くほど他人のために関わろうとする真摯な老人だ。
だが、それは一時に得られたものではない。
やはり500キロという道のりと、自分自身の頑固さを通すための強い意志がそうさせていく。
「誰かの力ではなく、自分の力でやりとげたいんだ。」
「はじめの志を貫きたくてね。」
という頑固さは、兄への思いそのものである。
旅は人生そのものだという比喩は陳腐なものだが、この500キロの道のりを通して、老人は半生を生き直す。
その収まり方、完結性がすばらしい。
気になるのは、妙に考えさせるアングルがあることだ。
トラクターが壊れる直前、下り坂で止まれなくなるシークエンス。
道の横では消防団の演習が行われていた。
使われなくなったという「目障りな廃屋」を利用して行われていたが、その横を下ってきたトラクターのカメラ・アングルは常にその燃えた小屋をバックに撮られていた。
壊れたトラクターを庭に運び出すアングルにも捉えられていた。
リンチという監督の感性から考えて、何も考え無しにたまたま映ったとはやはり考えにくい。
角度としては映っても仕方がない角度だったが、あまりにも不自然だった。
周りと自身との関連性を印象づけ、比喩しているのかもしれない。
あるいは全然別角度からこのシークエンスを解くことで、もっとおもしろいことが見えてくるかも知れない。
同様に、一度壊れるトラクターはどのような隠喩が込められているのだろうか。
ただ、頑固さを強調するだけではなく、何かを象徴しているような気もするが…。
いずれにしても、今回はこれくらいで。
監督:デヴィッド・リンチ
時速8キロのロード・ムービー。
口論から絶縁関係を10年続けていた兄のライル・ストレイト(ハリー・ディーン・スタントン)が倒れた。
70歳を越えるアルヴィン(リチャード・ファーンズワース)は、意を決して会いに行くことにするが、手段がない。
500キロ離れた兄の住むウィンストンまで、免許のないアルヴィンが選んだ移動手段は、時速8キロの芝刈り用のトラクター。
意気揚々と荷台を溶接して、娘が止めるのも聞かずに出発するが…。
デヴィッド・リンチ監督のロード・ムービー。
「エレファント・マン」と同様に、実話を元にした作品だ。
主演のリチャード・ファーンズワースは、2000年に自殺をとげている。
公開当時、見に行こうかと思っていたが、結局見に行けなかった。
観に行った友人がおもしろいと話していたので、このあたりで見ることにした。
リンチ作品としてはまっすぐな話で、わかりやすい。
超大作というような派手さはないが、堅実な作りで、安定感がある。
作品としての自律性も高く、うまく完結している。
ちょっと変わったロード・ムービーである。
▼以下はネタバレあり▼
のっけからやる気があるんだか、ないんだか、のらりくらりとはじまる。
いきなり床に寝転がっている男とのやりとりで面を食らう。
だが、このじじいが、とんでもない頑固者だった。
体が弱っていて、煙草も禁止、杖も二本にして、節制した方が良い、と医者から勧められる。
検査が終わって直後から煙草を吸い始め、娘には「100歳まで生きると言われた」とうそぶく。
10年前に口げんかしたことをきっかけに、ずっと絶縁状態だった兄が、病気で倒れたと聞かされると、今度は何とか自力で行こうと言い出す。
彼の頑固さは筋金入りで、壊れたトラクターを引っ張り出してきてそれで500キロを行こうというのだ。
予想通りトラクターは壊れてしまい、なけなしのお金でトラクターを買い直す。
やめときゃいいのに、それで500キロを走破しようと試みる。
だが、この設定が非常に重要だった。
彼は自分の言い出したトラクターでの旅を完遂させるために、今度は自分自身と向き合っていく。
それは1人ではこの旅が成し遂げられないということであり、頑固とは全く逆になっていく。
端的なのは、故障したトラクターを直してもらうというシークエンスだ。
もはや100キロを残すまでになった段階でトラクターが故障し、お金がかかってしまうことになる。
もちろん、泊まるところもなかったため、通りかかった人の裏庭に泊めてもらう。
その修理代について双子の修理屋がもめている際、彼は2人の中をとりもってやる。
その発言は、まさに自分自身の頑固さへの批判であり、反省である。
彼は自分の頑固さによって始めたこの旅を通して、素直さを獲得していくのだ。
夜に見知ったばかりの老人と飲みに出た時、大戦での自分の失敗を独白する。
彼は自分にささったトゲを、人と関わり合いながら抜いていくのだ。
それは決して1人ではできなかったプロセスだ。
一人旅でありながら、一人ではない旅。
自分の娘と、見知らぬ妊婦とを対話することで、家族の重みにも気づく。
ふとした瞬間に僕たちが触れるのは、彼の頑固さではない。
驚くほど素直で、驚くほど他人のために関わろうとする真摯な老人だ。
だが、それは一時に得られたものではない。
やはり500キロという道のりと、自分自身の頑固さを通すための強い意志がそうさせていく。
「誰かの力ではなく、自分の力でやりとげたいんだ。」
「はじめの志を貫きたくてね。」
という頑固さは、兄への思いそのものである。
旅は人生そのものだという比喩は陳腐なものだが、この500キロの道のりを通して、老人は半生を生き直す。
その収まり方、完結性がすばらしい。
気になるのは、妙に考えさせるアングルがあることだ。
トラクターが壊れる直前、下り坂で止まれなくなるシークエンス。
道の横では消防団の演習が行われていた。
使われなくなったという「目障りな廃屋」を利用して行われていたが、その横を下ってきたトラクターのカメラ・アングルは常にその燃えた小屋をバックに撮られていた。
壊れたトラクターを庭に運び出すアングルにも捉えられていた。
リンチという監督の感性から考えて、何も考え無しにたまたま映ったとはやはり考えにくい。
角度としては映っても仕方がない角度だったが、あまりにも不自然だった。
周りと自身との関連性を印象づけ、比喩しているのかもしれない。
あるいは全然別角度からこのシークエンスを解くことで、もっとおもしろいことが見えてくるかも知れない。
同様に、一度壊れるトラクターはどのような隠喩が込められているのだろうか。
ただ、頑固さを強調するだけではなく、何かを象徴しているような気もするが…。
いずれにしても、今回はこれくらいで。
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