secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

マトリックス レザレクションズ

2021-12-24 14:39:20 | 映画(ま)
評価点:37点/2021年/アメリカ/148分

監督・脚本:ラナ・ウォシャウスキー

わざわざ今公開するような内容も情熱もない。

ゲームソフト開発のトーマス・アンダーソン(ネオ、キアヌ・リーブス)は、精神科のアナリストの元に通いながら仕事を続けていた。
夢を見ているのか現実なのか区別が付かなくなることがあったからだ。
一方仮想空間の中で、ネオを探し続けていた船長バッグス(ジェシカ・ヘンウィック)は、覚醒したエージェントでモーフィアス(ヤーヤ・アブドゥル・マティーン2世)と名乗る男と出会う。
二人は協力してネオを探すのだが。

20年ほど前に一世を風靡した「マトリックス」の続編。
主要なキャスティングとして、キアヌとキャリー・アン・モスの二人は続投ととなった。
このころ映画を見ていた人なら、このシリーズの衝撃は大きなものだったことだろう。
だれもが映画の中の世界観に没頭し、撃たれる銃弾をよけたものだ。
CGや映像技術の進歩も感じることができた1作目は、映画史に残る一作だった。

20年も経って本当に続編をやるのか。
これは見に行かねばならない。
おもしろいはずだ! とかなり意気込んで見に行ったわけだが……。

上映時間が長いので、しかもアクション映画というよりはSF映画なので、ちょっと体調を整えて向かおう。
いや、とくにそこまで見に行く必要もないのかもしれないが。

▼以下はネタバレあり▼

3作目「レボリューションズ」で、コンピューターとの和解を果たした後の話で、正統な続編と言える。
20年も経っている、ということもあって、冒頭のあたりはかなり「昔の作品こんなんでしたよね」という復習部分が入る。
だが、それがメタフィクションになっているので、物語の没入感が一気に下がる。
簡単に言えば、二次創作の香りが漂い、自分が映画館にいることを感じさせてしまうのだ。

これが本当にいけなかった。
ラストのエンドロール後も映画についての自己言及がされており、これをどのように捉えるかはもちろん観客の感性ではあるのだが、私には「いやいや作らされました」「もうアイデアはありません」という印象を色濃く意識させる。
ハリウッド全体への皮肉とか、映画全体をおしゃれに演出するとかそういうふうにはとれない。

もちろん、これは冒頭以降の展開もまずすぎて映画全体の完成度が低すぎるからだろう。
私は久々におもしろくない映画を映画館で鑑賞してしまったという失望に肩を落とした。

この映画の致命的な点は、冒頭のメタフィクションによって徹底的に没入感がそがれたところで、視点人物になるであろうネオに感情移入する点が一切ないという点だ。
最初の30分ほどは現実なのか仮想空間なのかわからない、という違和感に感情移入できたとしても、それ以降が全く無理だ。
60年間培養されていたとか、それでもなおトリニティを愛しているとか、このあたりに感情移入する余地がまるでない。
では、それまでの現実だと思っていた世界どうしてこうもすんなり抜け出せたのか。
60年間もだませたのに、なぜいきなりトリニティと出会い、交感が生まれたのか。

二人のエネルギーが世界を安定させる、ということだったが、そしてそれが人間にしかない「愛」である、ということは理解はできる。
だが、あまりにも突飛であり、現実と仮想空間の違いや定義が曖昧すぎる。
だから、仮想空間から抜け出たカタルシスも、仮想空間でのやりとりもすべてが空虚なものに思えてしまう。
(そもそもこの映画は、映画であって現実ではないもの、というフィクション性を冒頭で見せられてしまっているから、最初に「これは作り物です。おいしそうですが作り物です」と断言されている食品サンプルによだれを流せと言われているようなものだ)

もう、なんなら、すべてがゲームの話でした、というところからスタートしても良かった。
そして、もう一度現実から出てくる、というのをやり直してもいいくらいだった。
それくらいすればまだ感情移入する余地もあったかもしれない。
何が現実で何が虚構なのかわかりにくい冒頭で、完全に同化をそがれた観客が、そこからまだ愛だの真実だの言われても難しすぎる。

また、記号で戯れすぎた、という点も見逃せない。
さまざまな設定が中盤で教えてくれるが、どれもご都合主義的で、新しい情報が次々と明かされていくのでついて行けない。
マトリックスの説明が詳細にされればされるほど、物語の没入感より状況の整理に追われることになる。
さまざまなメタファーを読みたいとおもうのは、本当にマトリックスのシリーズをこよなく愛しているマニアだけだろう。
これが、トリロジーが世に出された直後ならまだしも、すでに20年ちかく経った今にこの詳細の開示は、結局この映画が虚構に過ぎないという自己言及を補強してしまうだけだ。
すでに私たちはこの世界観を求めていない。
20年経った今、この物語を再びよびおこすだけの必然性が、物語の中から感じられない。

夢か現実か、仮想かリアルか、ますます技術が向上してきた今になって、この命題は極めて現代的な問題を浮き彫りにするはずのテーマである。
けれども、その世相や魅力を意識できなければ、結局マニアックな世界だけで埋没してしまうだけだ。
物語の広がりをいくらでも生み出せたのに、本当に残念でならない。

次があったとしても、私は見に行かないだろう。
(この手の予想はだいたい外れるが)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヴェノム レット・ゼア・ビ... | トップ | 問われる社会的資源~~内在... »

コメントを投稿

映画(ま)」カテゴリの最新記事