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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ザ・シューター 極大射程(V)

2009-12-20 17:59:43 | 映画(さ)
評価点:46点/2007年/アメリカ

監督:アントワーン・フークア

典型的原作依存症候群。

アメリカ軍が誇るスナイパーのボブ・リー・スワガー(マーク・ウォルバーグ)は、任務中、予想外のヘリに狙撃され、仲間を失ってしまう。
闘いに疲れた彼は、母国に帰り、山奥深くに隠居する。
三年後、彼の元を訪ねたのはアイザック・ジョンソン大佐(ダニー・グローバー)
で、大統領暗殺の計画が実行されるという情報があるので、どのように暗殺するつもりか、逆に計画してほしいと頼まれる。
いったん断ったスワガーだが、受けることにする。
計画の全貌が見えたとき、演説中に本当に大統領が狙撃されてしまう。
驚く彼の後ろには警官が銃を構え、彼を狙撃犯として銃殺しようとしていた。

最近、アクションスターらしいアクションスターが激減している。
昔からの、ブルース・ウィリスやジャッキー、ジェット・リーなどの固定客が見込めるアクションスターはとりあえず活躍している。
しかし、新進気鋭の若いカリスマ性のあるヒーローが登場する、アクション映画が激減しているように思える。
それに一石を投じたのは「ボーン」シリーズのマット・デイモンだろう。
それと同じ路線をねらったと思われるのが、本作だ。

中途半端きわまりない役者、マーク・ウォルバーグを主人公に、逃亡者ばりの本格アクションを作ろうと企画された映画である(と思う)。
失敗か成功かは、みてもらうしかない。
「あれ? そんな映画きいたことないなぁ」というのなら、その程度の映画であることは、察しがつくだろう。
 
▼以下はネタバレあり▼

本作はアメリカでベストセラーになった原作を映画化した作品。
政府の中枢にいる人間が起こす不正に対して、異常な反応を見せるアメリカならではの本なのだろう。
原作を読めばもう少し印象も変わったのもかもしれない。
が、如何せん映画としての完成度は中の下である。

原作、とくにベストセラーになったような原作を映画におろそうとするならば、もうすこし脚本段階での変更すべきだった。
原作があれば、固定客が増え、儲かるという構図は確かにあるが、問題はその高すぎる期待に対して、応えらるかどうかである。

固定客やファンを楽しませるためにはある意味では、非常にハードな映画作りが 要求される。
それを本当に映画制作者が理解しているのかどうか。
かなり安易な発想のもとで作られた気がしてならない。

「ハリーポッター」シリーズにも同じことがいえるが、この映画は「映画化」ではなく単なる「映像化」レベルにとどまっている。
ファンを意識するあまり、大胆な変更も(おそらく)なく、ただ原作の名場面を映像化していったにすぎない。
要するに脚色が全くなされていない。
よって二時間枠に収めることが困難になり、ばっさり切ったシーンにより、
全体の整合性や、連続性、リズムなどが犠牲になってしまった。
サスペンスとしても、アクションとしても非常に見所の薄い、ブラックの缶コーヒーのようだ。

話をコンパクトにまとめるために、見せ場を際立たせるために、連続性がなく、ぶちぶちになっている。
大きな見せ場としては、最初の狙撃シーン、大統領(司祭)暗殺から逃亡、何度かの追跡シーン、そしてラストの雪山での対決シーンなどがあげられるだろう。
だが、そのどれもががっちりとかみ合っている印象はない。
見せ場と話の展開部との区別があまりにもくっきりとしているため、見せ場のためにストーリーが存在しているような、違和感を覚えてしまう。

急いだ展開であることがまるわかりだから、そのストーリー展開は非常に陳腐に見えてしまう。

政府が治安維持のために現地人を殺していた、というのは、衝撃的な事実ではあるが、その見せ方が悪すぎるから、
「アメリカならよくある話か」程度にしか受け取れない。
それもそのはず、肝心の虐殺シーンがないから、話に重みと衝撃が生まれないのだ。
ドラマ部分があいまいだから、どうしても物語が希薄になり、アクションにも力が入りにくい。

実際、すごい技術や、緊迫した逃走劇を繰り広げているはずなのに、「出来レース」のような印象で、あまり緊迫感がないのは、冒頭からの急ぎ足の話の展開が結末への妙な安心感(おそらくバッドエンディングにはならないだろう)を生み出してしまい、面白みが著しくそがれる。

その急ぎ足の展開は、もちろん、キャラクター設定にも大きな影を落とす。
顕著なのは、新米のFBI捜査官。
彼は実質的に、相棒的なポジションにいる。

追いながら主人公を助ける役だ。
彼のはじめの設定や周りの目は、「できないやつ」。
しかし、彼がスワガーを追い始めると一気に「できるやつ」になってしまう。
短時間で(多分12時間くらい)、狙撃の矛盾や不自然な点を洗い出し、ほとんど情報がなかったはずのスワガーについての資料を集め、精査した上で、彼が犯人ではないかもしれないと仮説を立てる。
徹夜していたような撮り方だが、それでも間に合わないだろう。
銃の角度やブレまで計算できるとはとても思えない。
しかも、たった一人でそれをしてしまったのだ。
それならスワガーに羽交い絞めにされたりしないはずだ。

むしろ、彼の役割は僕たちにとっての視点人物になるべきキャラクターだったはずだ。
それなのに、射撃の訓練まで受けて、どんどん超人化してしまう。
キャラクターが一環しないところに、感情移入は存在せず、脚本の急ぎ足によって、余計に興がさめてしまう。

ラストにかけての解決方法も、いかにも無理やりだ。
なぜスワガーが不問になるのかも、なぜ大佐たちが有罪になりうるのかも、不明確で、はっきりしない。
強権を持つ大佐と、容疑者扱いされているスナイパーでは勝負にならないはずだ。
証拠をあれだけ取り揃えておきながら、結局釈放されてしまう無計画さは、大佐が殺されなくとも、大佐の落ち度は計り知れない。

そして議員と大佐の虐殺。
これしか残り時間で解決する方法がなかったとしても、そんな終わり方はないだろう。
裁判にかけたことが、ちゅうぶらりんになり、あのシーンの意味がまったくなくなる。

有罪に出来ないからとりあえず殺してしまおうというのは、国を変えることができなかったから、一般人を殺そうとする頭の悪い犯罪者たちと同じだ。
結局体制が変わらないのなら、首がすげ変わるだけだということを、スワガーは分かっていないのだろうか。
自分の復讐のためだけに、生産性のない死体を増やしても、まったく正義性を見出せない。
彼らを殺しても、後味の悪さが露呈されてしまうのは、そのためだ。

たぶん原作はすごくおもしろいのだろう。
だが、その面白さを映画として翻訳することに完全に失敗している。
かわいそうなのは、原作者だろうなぁ。
 
(2007/11/21執筆)

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