評価点:80点/1985年/香港
監督・脚本・主演:ジャッキー・チェン
あふれ出す、ジャッキー・チェンの香港への想い。
刑事のチェン・カクー(ジャッキー・チェン)をはじめとする香港警察は、麻薬組織を取り仕切るボス、チュウ・タオを逮捕するべく、取引されると言われる貧民街へ張り込みをしていた。
ところが、チュウの秘書であるサリナに見つかってしまい、張り込みがばれてしまう。
逃げるチュウ一行をおうチェンは、何とか確保する。
逮捕されてもなお、敏腕弁護士によって無罪を主張するチュウへ対抗するために、警察側はサリナを証人としてたてることにする。
その警護にあたったチェンは、彼女を狙う組織たちと戦うことになる。
こちらも、言わずもがな、ジャッキー・チェンの若かりし頃の傑作香港映画である。
なんで、こんなに香港映画が続くのかって?
…それはまだ言えません。気分です。
それはともかく、映画としてのまとまりは、「プロジェクトA」にも劣らない完成度がある。
「香港国際警察」のほうも、非常におもしろい作品だが、その原点はこちらにある。
ストーリーは全く関連性はないが、流れる哲学は共通しているところがあるのではないだろうか。
相変わらず、すごいアクション、そしてもっさいヒロイン。
(恋人役のメイは、若かりし頃のマギー・チャン。ほんまに?)
わかりやすいストーリーに、派手な演出、細かく、そしてくどいギャグ。
現代(といってもだいぶ古いが)の香港を知るなら、こちらをおすすめします。
▼以下はネタバレあり▼
この映画も、熱い。
「プロジェクトA」よりも、きっと思い入れが強い作品なのではないだろうか、と思わせるほど熱い。
その熱さは、冒頭とクライマックスの闘いの場を考えるだけでも十分伝わるはずだ。
冒頭は、貧民街。
こんなところで本当に人が住めるのか、と思わせるバラック小屋がならぶ。
それを打ち壊してしまうわけだけれど、ここを冒頭に選んだ理由は、軽いものではないだろう。
それに比して、きれいにショウウィンドウが並んだデパートでのクライマックスは、貧富の差への皮肉というよりも、どちらかというとジャッキーの悲哀だ。
日本映画ではこのような対比や、舞台設定を考えることはあまりしないだろう。
予算の問題?
いやいや、ジャッキーの目線は、この映画を見る香港人以外への向いているし、伝えたいという思いの違いだろう。
日本人でも、この映画に映画人として学ぶべき点は多いはずだ。
もちろん、その対比は、特別な世界としての対比ではない。
ジャッキーが描こうとする日常性は、この映画でもきっちりと貫かれている。
恋人と一悶着あるシーンは、どう考えてもくどいが、それでもジャッキーらしい庶民的なやりとりだ。
また、ジャッキーが罪を着せられたときの台詞が忘れられない。
「署長たちは命令するだけ。
俺たちはその命令に命をかけているんだ。
なのに、なんなんだ! こんなんでやってられるか!」
(忘れられないけど、一言一句は覚えていないですけど。)
これは、署長に対する台詞であって、そうではない。
香港や中国の庶民が泥のように、それこそ、馬車馬のように働かされていることに対する訴えに他ならない。
現在でも問題になっている貧富の差は、この頃すでにジャッキーの問題意識の中に明確にあったわけだ。
もちろん、それだけで終わらないのがジャッキー。
そのあと、人質に取られてびびりまくっていた署長が、しれっと「こうするよりほかはなかった」といってあくまでも俺の作戦だった、お前の潔白を信じているぞ! といいやつに変貌してしまう。
もう笑うしかない。
署長の古くさい(いや仕方がないのだが)眼鏡にすでに笑いをこらえるのに必死なのに、そんなとってつけたような台詞をさらりと言われてしまうと、ボスよりもお前の方が怖いわ! と突っ込んでしまう。
一流の笑いのセンスは、こういうところにある。
侮れない、香港映画。
それはともかく、映画としてのまとまりも、非常に高い。
ストーリーも無駄がなく、感情移入もしやすい。
映画史に残る、不朽の名作の一つだ。
いろんな意味で。
監督・脚本・主演:ジャッキー・チェン
あふれ出す、ジャッキー・チェンの香港への想い。
刑事のチェン・カクー(ジャッキー・チェン)をはじめとする香港警察は、麻薬組織を取り仕切るボス、チュウ・タオを逮捕するべく、取引されると言われる貧民街へ張り込みをしていた。
ところが、チュウの秘書であるサリナに見つかってしまい、張り込みがばれてしまう。
逃げるチュウ一行をおうチェンは、何とか確保する。
逮捕されてもなお、敏腕弁護士によって無罪を主張するチュウへ対抗するために、警察側はサリナを証人としてたてることにする。
その警護にあたったチェンは、彼女を狙う組織たちと戦うことになる。
こちらも、言わずもがな、ジャッキー・チェンの若かりし頃の傑作香港映画である。
なんで、こんなに香港映画が続くのかって?
…それはまだ言えません。気分です。
それはともかく、映画としてのまとまりは、「プロジェクトA」にも劣らない完成度がある。
「香港国際警察」のほうも、非常におもしろい作品だが、その原点はこちらにある。
ストーリーは全く関連性はないが、流れる哲学は共通しているところがあるのではないだろうか。
相変わらず、すごいアクション、そしてもっさいヒロイン。
(恋人役のメイは、若かりし頃のマギー・チャン。ほんまに?)
わかりやすいストーリーに、派手な演出、細かく、そしてくどいギャグ。
現代(といってもだいぶ古いが)の香港を知るなら、こちらをおすすめします。
▼以下はネタバレあり▼
この映画も、熱い。
「プロジェクトA」よりも、きっと思い入れが強い作品なのではないだろうか、と思わせるほど熱い。
その熱さは、冒頭とクライマックスの闘いの場を考えるだけでも十分伝わるはずだ。
冒頭は、貧民街。
こんなところで本当に人が住めるのか、と思わせるバラック小屋がならぶ。
それを打ち壊してしまうわけだけれど、ここを冒頭に選んだ理由は、軽いものではないだろう。
それに比して、きれいにショウウィンドウが並んだデパートでのクライマックスは、貧富の差への皮肉というよりも、どちらかというとジャッキーの悲哀だ。
日本映画ではこのような対比や、舞台設定を考えることはあまりしないだろう。
予算の問題?
いやいや、ジャッキーの目線は、この映画を見る香港人以外への向いているし、伝えたいという思いの違いだろう。
日本人でも、この映画に映画人として学ぶべき点は多いはずだ。
もちろん、その対比は、特別な世界としての対比ではない。
ジャッキーが描こうとする日常性は、この映画でもきっちりと貫かれている。
恋人と一悶着あるシーンは、どう考えてもくどいが、それでもジャッキーらしい庶民的なやりとりだ。
また、ジャッキーが罪を着せられたときの台詞が忘れられない。
「署長たちは命令するだけ。
俺たちはその命令に命をかけているんだ。
なのに、なんなんだ! こんなんでやってられるか!」
(忘れられないけど、一言一句は覚えていないですけど。)
これは、署長に対する台詞であって、そうではない。
香港や中国の庶民が泥のように、それこそ、馬車馬のように働かされていることに対する訴えに他ならない。
現在でも問題になっている貧富の差は、この頃すでにジャッキーの問題意識の中に明確にあったわけだ。
もちろん、それだけで終わらないのがジャッキー。
そのあと、人質に取られてびびりまくっていた署長が、しれっと「こうするよりほかはなかった」といってあくまでも俺の作戦だった、お前の潔白を信じているぞ! といいやつに変貌してしまう。
もう笑うしかない。
署長の古くさい(いや仕方がないのだが)眼鏡にすでに笑いをこらえるのに必死なのに、そんなとってつけたような台詞をさらりと言われてしまうと、ボスよりもお前の方が怖いわ! と突っ込んでしまう。
一流の笑いのセンスは、こういうところにある。
侮れない、香港映画。
それはともかく、映画としてのまとまりも、非常に高い。
ストーリーも無駄がなく、感情移入もしやすい。
映画史に残る、不朽の名作の一つだ。
いろんな意味で。
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