評価点:77点/1993年/アメリカ
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
未だにアメリカに潜む長い影。
フランク(クリント・イーストウッド)はケネディ暗殺の際にシークレットサービスを勤めていた。
いまだ現役を引退しない彼の元へ、大統領暗殺の予告が届く。
気になったフランクはその男の自宅に向かうが、その翌日、犯人から明確な暗殺予告を告げられる。
犯人の異常性に気づいたフランクは、大統領警護の任務を志願する。
しかし、ブースと名乗る男(ジョン・マルコヴィッチ)を意識するあまり、スタンドプレーに走ってしまう。
イーストウッド主演の大統領暗殺を巡るサスペンス。
ずいぶん前の作品だが、色あせない迫力がある。
犯人役にはマルコヴィッチがあてられている。
徹底した悪人ぶりは、「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロを思い出すほどだ。
「9.11」のテロが起こった今となっては少しとらえ方が変わるのかも知れない。
けれども、大統領暗殺の重みをアメリカがどのように受け止めているか、よくわかる作品だ。
見ていない人はぜひ。
▼以下はネタバレあり▼
イーストウッド演じるシークレット・サービスは、ケネディ暗殺事件の際に身辺警護として任務に就いていた人物という設定だ。
彼はその過去をずっと背負って生きている。
身辺警護としての任務を解かれてからも、大統領暗殺事件を担当し、年間数千件もある脅迫をすべて調べ上げている。
その心内は終盤に明かされるが、それは、彼1人の問題ではないだろう。
フランクその人の心情を描きながらも、それはアメリカ国民に深く根ざす、大統領暗殺への恐怖と後悔を映している。
日本人にとって、アメリカ大統領暗殺がどの程度の衝撃をもって伝えられたのか、受け止められたのか、僕は知らない。
知識としてある程度知ったところで、実感としてはやはりほど遠い感覚がある。
少し前にテレビでも放映されていた「バンテージ・ポイント」がアメリカ大統領暗殺計画を題材にして、さらに替え玉まで用意しているという周到さは、はやり異常だ。
アメリカ大統領という職がそれだけアメリカにとって大きい存在であるということもあるが、たった1人の人間への警戒としては、世界でも類を見ないだろう。
日本の総理大臣が殺されても、そこまでの衝撃を日本国民は受けるだろうか。
マスコミはこぞって特集を組んで嬉しそうに、あるいは悲しそうに報道するだろうが、それでもアメリカ大統領の比ではないだろう。
ともかく、この映画では、フランクの過去に焦点をあてながら、実はアメリカに未だに潜む暗殺への恐怖を描いている。
だからこそ、CIA出身だというマルコヴィッチがリアリティをもって感じられるのだ。
マルコヴィッチ演じるブースと名乗る男も、個人的な存在悪として描かれているわけではない。
彼の存在は社会的な記号に満ちている。
要するに、アメリカが生み出した闇そのものを標榜する存在として位置づけられているわけだ。
彼はアメリカが冷戦時代に生み出したCIA工作員であり、政府に裏切られたという経歴をもつ。
当時ようやくベルリンの壁が崩壊して、冷戦が終わりを告げた。
CIAの意味合いは極端に小さくなったことだろう。
冷戦時代の象徴的なケネディ暗殺事件と、冷戦後の大統領暗殺事件は、まさに冷戦という物語の始まりと終わりを象徴するかのような符号だ。
内部から出てきた社会的な「不要物」としての悪であるブースと、過去の亡霊にいつまでもとらわれ続けるフランク。
2人は全く違う人間でありながら、ひどく似ている。
過去にとらわれることで、現在に生きることができない2人。
鳥を試し撃ちした男たちを、ためらいもなく殺し、周到に準備するブースは、大統領暗殺を防ごうとベルボーイにさえも尋問をかけるフランクと殆ど変わらない。
彼らは大統領暗殺という事件を間に置きながら、お互いの過去に決着を着けようとする。
何度も言うように、それはアメリカの短い歴史に決着をつけることと殆ど同義だ。
だからこそ、この映画はおもしろい。
演じるのがアメリカの正義を象徴するイーストウッドであることも、完璧だ。
原題は「イン・ザ・ライン・オブ・ファイア」。
直訳すれば「銃口が向く線の中で」くらいだろうか。
一筋の銃口が決定的に世界を変え、そして人生を狂わせる。
僕はこの映画で「シークレット・サービス」なる職業を知ったので、邦題でもかまわないと思うが、原題はよく作品のテーマを表している。
だが、今となってはずいぶん古めかしい印象を受けてしまう。
それは9.11を経験したアメリカや世界では、大統領暗殺による転覆よりも、直接的な民衆への攻撃がトラウマとなっている。
アメリカはきっと9.11を経験することで、一つの歴史を進めたのだろう。
この映画をみて、そんなことを思った。
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
未だにアメリカに潜む長い影。
フランク(クリント・イーストウッド)はケネディ暗殺の際にシークレットサービスを勤めていた。
いまだ現役を引退しない彼の元へ、大統領暗殺の予告が届く。
気になったフランクはその男の自宅に向かうが、その翌日、犯人から明確な暗殺予告を告げられる。
犯人の異常性に気づいたフランクは、大統領警護の任務を志願する。
しかし、ブースと名乗る男(ジョン・マルコヴィッチ)を意識するあまり、スタンドプレーに走ってしまう。
イーストウッド主演の大統領暗殺を巡るサスペンス。
ずいぶん前の作品だが、色あせない迫力がある。
犯人役にはマルコヴィッチがあてられている。
徹底した悪人ぶりは、「タクシー・ドライバー」のデ・ニーロを思い出すほどだ。
「9.11」のテロが起こった今となっては少しとらえ方が変わるのかも知れない。
けれども、大統領暗殺の重みをアメリカがどのように受け止めているか、よくわかる作品だ。
見ていない人はぜひ。
▼以下はネタバレあり▼
イーストウッド演じるシークレット・サービスは、ケネディ暗殺事件の際に身辺警護として任務に就いていた人物という設定だ。
彼はその過去をずっと背負って生きている。
身辺警護としての任務を解かれてからも、大統領暗殺事件を担当し、年間数千件もある脅迫をすべて調べ上げている。
その心内は終盤に明かされるが、それは、彼1人の問題ではないだろう。
フランクその人の心情を描きながらも、それはアメリカ国民に深く根ざす、大統領暗殺への恐怖と後悔を映している。
日本人にとって、アメリカ大統領暗殺がどの程度の衝撃をもって伝えられたのか、受け止められたのか、僕は知らない。
知識としてある程度知ったところで、実感としてはやはりほど遠い感覚がある。
少し前にテレビでも放映されていた「バンテージ・ポイント」がアメリカ大統領暗殺計画を題材にして、さらに替え玉まで用意しているという周到さは、はやり異常だ。
アメリカ大統領という職がそれだけアメリカにとって大きい存在であるということもあるが、たった1人の人間への警戒としては、世界でも類を見ないだろう。
日本の総理大臣が殺されても、そこまでの衝撃を日本国民は受けるだろうか。
マスコミはこぞって特集を組んで嬉しそうに、あるいは悲しそうに報道するだろうが、それでもアメリカ大統領の比ではないだろう。
ともかく、この映画では、フランクの過去に焦点をあてながら、実はアメリカに未だに潜む暗殺への恐怖を描いている。
だからこそ、CIA出身だというマルコヴィッチがリアリティをもって感じられるのだ。
マルコヴィッチ演じるブースと名乗る男も、個人的な存在悪として描かれているわけではない。
彼の存在は社会的な記号に満ちている。
要するに、アメリカが生み出した闇そのものを標榜する存在として位置づけられているわけだ。
彼はアメリカが冷戦時代に生み出したCIA工作員であり、政府に裏切られたという経歴をもつ。
当時ようやくベルリンの壁が崩壊して、冷戦が終わりを告げた。
CIAの意味合いは極端に小さくなったことだろう。
冷戦時代の象徴的なケネディ暗殺事件と、冷戦後の大統領暗殺事件は、まさに冷戦という物語の始まりと終わりを象徴するかのような符号だ。
内部から出てきた社会的な「不要物」としての悪であるブースと、過去の亡霊にいつまでもとらわれ続けるフランク。
2人は全く違う人間でありながら、ひどく似ている。
過去にとらわれることで、現在に生きることができない2人。
鳥を試し撃ちした男たちを、ためらいもなく殺し、周到に準備するブースは、大統領暗殺を防ごうとベルボーイにさえも尋問をかけるフランクと殆ど変わらない。
彼らは大統領暗殺という事件を間に置きながら、お互いの過去に決着を着けようとする。
何度も言うように、それはアメリカの短い歴史に決着をつけることと殆ど同義だ。
だからこそ、この映画はおもしろい。
演じるのがアメリカの正義を象徴するイーストウッドであることも、完璧だ。
原題は「イン・ザ・ライン・オブ・ファイア」。
直訳すれば「銃口が向く線の中で」くらいだろうか。
一筋の銃口が決定的に世界を変え、そして人生を狂わせる。
僕はこの映画で「シークレット・サービス」なる職業を知ったので、邦題でもかまわないと思うが、原題はよく作品のテーマを表している。
だが、今となってはずいぶん古めかしい印象を受けてしまう。
それは9.11を経験したアメリカや世界では、大統領暗殺による転覆よりも、直接的な民衆への攻撃がトラウマとなっている。
アメリカはきっと9.11を経験することで、一つの歴史を進めたのだろう。
この映画をみて、そんなことを思った。
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