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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

紅白に思いをはせる

2024-01-12 20:23:05 | 不定期コラム
昨年のNHK紅白歌合戦の視聴率が非常に厳しいものだったという。
NHKに対する風当たりは近年ますます厳しいものになってきた。
このニュースは、視聴料を巡る議論にますます拍車をかけそうだ。
(だが問題の本質は、NHKの番組の質ではなく、単にお金を払いたくないという人が多いだけの気がするが)

時代に逆行するようだが、私は結婚してから紅白歌合戦を見るようになった。
ふだんほとんどテレビを見ない私の一家は、――それでも子どもが大きくなるに連れて増えてきたが――年末だけは紅白を見ながら夜更かしするという恒例になってきた。
歌番組や最新の楽曲も知らないため、紅白を見ることで初めて知ったミュージシャンも多い。
そんな私にとって、「大晦日の歌番組で視聴率が30%もあることが奇跡だ」と思える。

テレビ離れや、テレビの絶対的な優位性が揺るいできた昨今において、テレビはもはやコミュニケーションの場にはなり得ない。
週末同じようなテレビを見て、小学生が学校でわいわい話し合うような文化は既にない。
むしろリアルタイムでテレビを見ている人のほうが少ないだろう。
また、CDなどの音楽作品の売り上げも右肩下がりで、趨勢は「サブスク」に押されている。
音楽離れ、というほどではないだろうが、「お金を出してまでも作品を買わない」ようになってきた。
そんな流れにあって、紅白歌合戦がいつまでも人々のコミュニケーションの中心にあり続けることは不可能だ。

紅白の視聴率が低い、その理由を、NHKに求めるのは酷というものだ。
どんな歌番組でもこんなに視聴率をとることはできないのだから。
(私はそうはいってもそれほど紅白に思い入れはない。)

この視聴率の推移から見えてくることは、むしろ次のコミュニケーションの場を模索するべきであるということだ。
SNSではコミュニケーションの場にはならない。
なぜなら身体を伴わないから。
同時間的に、同空間的に、共有できる人々の場が、コミュニケーションには不可欠だ。
身体を伴わないコミュニケーション・ツールは、あくまで〈補助〉であり、二次的なものなのだろう。
(大河ドラマが放映直後にSNSでしばしば話題になるなどが、典型的だろう)

それは映画館かもしれない。
あるいは広場かもしれない。
かつては寄席や演劇だったのかもしれない。
少なくとも、SNSやネットなどの仮想ではない場所でなければ、人は【つながれない】ことが見えてきた。
これだけネットが定着したのに、30%の人がテレビの前にいるということがそれを逆説的に示している。

多くのアーティストが、ネットで配信しながらそれでもライブ空間にこだわっているのは、そのためだ。
であれば、次のステージは、メタバースではない。
むしろ人が集まれる場所や装置を生み出していくことが、新しい「紅白」を生み出すことになる。

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