評価点:78点/2008年/アメリカ
監督:ピーター・シーガル
洗練されたコメディ超大作。
マックス・スマート(スティーヴ・カレル)は、各国のテロリストと戦う「コントロール」に勤務するアナリストだった。
マックスは、エージェントに憧れ、八度目の試験に合格するも、アナリストとしての能力を買われ、昇格できなかった。
悲嘆に暮れていたとき、コントロールがテロ集団「カオス」におそわれ、全エージェントの身元が漏れてしまうという事件が発生する。
顔が割れていないエージェント99(アン・ハサウェイ)とともにエージェントに昇格したマックス、エージェント86は、カオスと戦うため、立ち上がる。
僕がお世話になっている美容院の担当さんが、大の映画好きで僕よりも映画に詳しい。
次の映画は何を見ますか、というのが僕らの毎回する会話の一つだ。
僕は「イーグルアイ」と「ブラインドネス」をあげると、彼は「ゲットスマート」を教えてくれた。
僕は前評判も内容もほとんど知らなかったが、四本も続けて邦画を見ていたので、さすがに飽和状態だと感じていた。
そこで、候補に挙がったのが、この作品というわけだ。
予告編さえもあまり知らなかったので、物語の設定程度しか知らなかった。
その意味では幸せだったのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
80億円かけたというこのコメディは、大変完成度の高い映画になっている。
その完成度の高さは、単に人を笑わせるという点においてだけではない。
本当のすごさは、その物語の作りのほうだ。
二人のエージェント以外の全員のエージェントが敵組織に漏れてしまうと言う事態に対し、アメリカは残りのエージェントによる解決を図る。
このあたりは、スパイ映画の典型的な展開だ。
二人には暗い過去がある。
体重を70キロ減量したマックスは、アナリストでありながら何とかエージェント試験に合格した。
回想シーンはほんの数秒なのに、そこに特殊メイクで太ったマックスを登場させるあたりが、金のかけ方が半端ないことが伺わせる。
一方、勢いで過去を告白してしまうエージェント99の方は、同僚と恋に落ちてしまい、敵に秘密を漏らしてしまうという失態のため、別人になる。
それなのに、またマックスと恋に落ちてしまうあたりが、何ともこころにくい。
この二人が対決する相手は、秘密情報を奪った「カオス」というテロリスト軍団。
カオスというネーミングのチープさには、巧みな戦略を感じつつ、彼らと戦うことになる。
戦う経緯は省くが、この展開に無理がなく、そつがない。
あり得ない要素はあるものの、物語の完成度は高い。
たとえば、最終必殺奥義、相手をひるませる「ディープキス」。
これにはちゃんと伏線を張っている。
さすがに、あの状況で男にキスをされると、多分誰でもひるむだろう。
それだけではない。
敵の強面エージェントに対する設定も巧みだ。
初めの作戦会議のとき、マックスが提示する情報が、伏線となっている。
つまり、カフェインをとろうとしているのは、敵のボディーガードが奥さんともめているからだ、という分析が、最後に効いてくる。
実は奥さんの姉が入れ知恵しているのだ、と告げることで敵と和解してしまう。
それが最後まで尾を引いて、なんとその強面がボスまでやっつけるという無茶なオチがついてくる。
アナログが大好きだ、という局長の台詞が伏線となって「爆弾はピアノの下だ」と宣言した理由は、
「勘だ」
これで終わっていいのか、と言いたくなるが、それも許せてしまうような展開だから、巧みなのだ。
最低限の物語のつくりがうまいために、他のネタが生きてくる。
コメディーをなめるな、という監督からのメッセージを聞いているようだ。
もちろん、ギャグも洗練されている。
たとえば、襲われたコントロールで、銃を構えるエージェント99に対し、マックスの方は何も持たずに構える。
この対比と、彼の真剣な表情で、笑わないはずがない。
続くホースによる攻撃が見事に成功することも、説得力があるのはそのためだ。
予告編である電話攻撃も、おもしろい。
あのタイミングで、あれを出せるのは、凡庸な人間にはできない。
予告編につかってしまうのはもったいない。
続く、目の虹彩を利用した認識システムをだますために、あえぐ男二人、という図も、上手すぎる。
お約束と、意外性によるばかばかしさが、相まって、その世界に引き込まれていく。
久しぶりに、映画館で爆笑してしまった。
平日だったので客も少なく、また、大声で笑ってくれる同志もいなかったので、友人と二人、映画館に笑い声がこだましていた。
コメディにここまで力を入れる、その心意気にまず敬服だ。
ザ・ロック改めドウェイン・ジョンソンがこんな映画に出ていることも、笑えるネタだ。
めっちゃ似ているなあ、と思っていたらやっぱりそうだった。
ケータイを会議中使っていて割る、というのも皮肉が効いている。
しかもそれが自分のケータイではないところもおもしろい。
アメリカ人なら、爆笑するポイントなのかもしれない。
アメリカでなら、きっともっと笑えるブラックなところがあっただろうし、原作のテレビシリーズを知っているなら、もっと楽しめるだろう。
こういうとき、もっと早く生まれておきたかったと思う。
監督:ピーター・シーガル
洗練されたコメディ超大作。
マックス・スマート(スティーヴ・カレル)は、各国のテロリストと戦う「コントロール」に勤務するアナリストだった。
マックスは、エージェントに憧れ、八度目の試験に合格するも、アナリストとしての能力を買われ、昇格できなかった。
悲嘆に暮れていたとき、コントロールがテロ集団「カオス」におそわれ、全エージェントの身元が漏れてしまうという事件が発生する。
顔が割れていないエージェント99(アン・ハサウェイ)とともにエージェントに昇格したマックス、エージェント86は、カオスと戦うため、立ち上がる。
僕がお世話になっている美容院の担当さんが、大の映画好きで僕よりも映画に詳しい。
次の映画は何を見ますか、というのが僕らの毎回する会話の一つだ。
僕は「イーグルアイ」と「ブラインドネス」をあげると、彼は「ゲットスマート」を教えてくれた。
僕は前評判も内容もほとんど知らなかったが、四本も続けて邦画を見ていたので、さすがに飽和状態だと感じていた。
そこで、候補に挙がったのが、この作品というわけだ。
予告編さえもあまり知らなかったので、物語の設定程度しか知らなかった。
その意味では幸せだったのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
80億円かけたというこのコメディは、大変完成度の高い映画になっている。
その完成度の高さは、単に人を笑わせるという点においてだけではない。
本当のすごさは、その物語の作りのほうだ。
二人のエージェント以外の全員のエージェントが敵組織に漏れてしまうと言う事態に対し、アメリカは残りのエージェントによる解決を図る。
このあたりは、スパイ映画の典型的な展開だ。
二人には暗い過去がある。
体重を70キロ減量したマックスは、アナリストでありながら何とかエージェント試験に合格した。
回想シーンはほんの数秒なのに、そこに特殊メイクで太ったマックスを登場させるあたりが、金のかけ方が半端ないことが伺わせる。
一方、勢いで過去を告白してしまうエージェント99の方は、同僚と恋に落ちてしまい、敵に秘密を漏らしてしまうという失態のため、別人になる。
それなのに、またマックスと恋に落ちてしまうあたりが、何ともこころにくい。
この二人が対決する相手は、秘密情報を奪った「カオス」というテロリスト軍団。
カオスというネーミングのチープさには、巧みな戦略を感じつつ、彼らと戦うことになる。
戦う経緯は省くが、この展開に無理がなく、そつがない。
あり得ない要素はあるものの、物語の完成度は高い。
たとえば、最終必殺奥義、相手をひるませる「ディープキス」。
これにはちゃんと伏線を張っている。
さすがに、あの状況で男にキスをされると、多分誰でもひるむだろう。
それだけではない。
敵の強面エージェントに対する設定も巧みだ。
初めの作戦会議のとき、マックスが提示する情報が、伏線となっている。
つまり、カフェインをとろうとしているのは、敵のボディーガードが奥さんともめているからだ、という分析が、最後に効いてくる。
実は奥さんの姉が入れ知恵しているのだ、と告げることで敵と和解してしまう。
それが最後まで尾を引いて、なんとその強面がボスまでやっつけるという無茶なオチがついてくる。
アナログが大好きだ、という局長の台詞が伏線となって「爆弾はピアノの下だ」と宣言した理由は、
「勘だ」
これで終わっていいのか、と言いたくなるが、それも許せてしまうような展開だから、巧みなのだ。
最低限の物語のつくりがうまいために、他のネタが生きてくる。
コメディーをなめるな、という監督からのメッセージを聞いているようだ。
もちろん、ギャグも洗練されている。
たとえば、襲われたコントロールで、銃を構えるエージェント99に対し、マックスの方は何も持たずに構える。
この対比と、彼の真剣な表情で、笑わないはずがない。
続くホースによる攻撃が見事に成功することも、説得力があるのはそのためだ。
予告編である電話攻撃も、おもしろい。
あのタイミングで、あれを出せるのは、凡庸な人間にはできない。
予告編につかってしまうのはもったいない。
続く、目の虹彩を利用した認識システムをだますために、あえぐ男二人、という図も、上手すぎる。
お約束と、意外性によるばかばかしさが、相まって、その世界に引き込まれていく。
久しぶりに、映画館で爆笑してしまった。
平日だったので客も少なく、また、大声で笑ってくれる同志もいなかったので、友人と二人、映画館に笑い声がこだましていた。
コメディにここまで力を入れる、その心意気にまず敬服だ。
ザ・ロック改めドウェイン・ジョンソンがこんな映画に出ていることも、笑えるネタだ。
めっちゃ似ているなあ、と思っていたらやっぱりそうだった。
ケータイを会議中使っていて割る、というのも皮肉が効いている。
しかもそれが自分のケータイではないところもおもしろい。
アメリカ人なら、爆笑するポイントなのかもしれない。
アメリカでなら、きっともっと笑えるブラックなところがあっただろうし、原作のテレビシリーズを知っているなら、もっと楽しめるだろう。
こういうとき、もっと早く生まれておきたかったと思う。
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