評価点:92点/2010年/アメリカ
監督:デヴィッド・フィンチャー
「あなたの話など聞く気はないよ。僕はフェイスブックについてだけ考えていたいんだ!」
2003年インターネットが普及して久しい時期にアメリカのハーバード大に通うマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、恋人のエリカを不快にさせて振られてしまう。
エリカの悪口をブログにアップし、酔った勢いでハーバードの女子生徒の顔写真をハッキングで入手し、二人を比べあってランキングにするというサイトを立ち上げてしまう。
深夜にアップデートしたにも関わらず、わずか4時間でアクセスが22000ヒットを記録した。
サーバーがダウンしてしまうほどの騒ぎとなり、女子大学生からは非難の的となった。
マークは大学に呼ばれ謹慎処分となる。
我らがデヴィッド・フィンチャーの最新作にして、オスカー候補の名高い作品である。
ずいぶん前から予告編が流れ、監督を知って絶対観に行こうと決めた作品だ。
そのため僕の期待値は高く、今年初めての「M4」会にして初めての鑑賞作品となった。
ソーシャルネットワークサービスのフェイスブックがいかにして成長していったかということを描いている。
パソコンに明るくない人や興味のない人は、少ししんどいかも知れない。
展開が早く字幕がどんどん進んでいくため、字幕が嫌いな人はついていけない。
だが、それを差し引いてもおもしろい。
今年ベスト5には入るだろうという作品だ。
僕はおそらくもう一度観に行くだろう。
是非観てもらいたい。
▼以下はネタバレあり▼
オスカー候補になり、昨年の「インセプション」と作品賞を競っているという話がそこかしこで聞かれる。
それを事前に知っていたために、余計に期待がふくらんだわけだ。
他の候補を詳しく知っているわけではないが、この二作品を比べるなら、僕は「ソーシャル・ネットワーク」を推す。
理由は二つある。
一つは、コンパクトな上映時間で十二分にその内容を描き出したということ。
「インセプション」はやはり上映時間が長い。
長さを感じさせない構成だが、複雑な話をコンパクトに脚本化した「ソーシャル~」のほうがリードしている。
いま一つは、時代だ。
アメリカは歴史的な不況を経験し、自信を喪失し自己肯定もままならない経済状態にあった。
それはイラク戦争への疑問という形でも表れている。
それが次第に景気の回復と共に自己肯定感が強くなって来つつある。
その象徴的な映画が「ハート・ロッカー」だったのだ。
「アバター」のような自己反省の映画ではなく、アメリカ軍兵士を題材にした自己肯定の映画だったわけだ。
夢を題材した「インセプション」が社会的でないから駄目だというわけでもないが、フェイスブックというアメリカが全世界に誇れるサイトの映画のほうがより時を捉えている。
しかも、それが若い人間が立ち上げたということが、可能性を感じさせる。
まさに新たなアメリカン・ドリームのひな形なのだ。
この映画をフィンチャーが撮るに当たって、契約が「上映時間140分を越えないようにする」というっものだったらしい。
「ゾディアック」にしても「ベンジャミン・バトン」にしても上映時間が長かった。
長ければそれだけ上映できる回数が減り、同じ上映期間でも興行収入は減ってしまう。
それでこのような脚本・編集になったのだろう。
僕はこの映画の最も良かった点は、この脚本にあるとおもう。
とにかくスピーディーな展開で、字幕を読むだけで精一杯になる。
けれども、その急展開な構成が、いかにフェイスブックがどんどん伸びていったかということを想像させる。
大学の授業にも出ずあるいは出ても授業中にプログラムを書きつづけ、自分の考えるサイトを構築していく。
それが人を呼び、大きなストリームになる。
そして同時に親しい人が離れていく。
その興奮と熱気、そして孤独感が非常に上手く描き出されている。
演技や演出以前に、この脚本だからこそこの映画が成立しえたのだろう。
また、この映画はスピーディーであるにもかかわらず、一人一人の人間性が手に取るようにわかる。
そして彼らはみな一様に人間くさい。
天才と言われるマーク・ザッカーバーグも、すべての試験で満点を取るほどの知能を持ちながら人間関係を作ることが巧くない。
振られた腹いせにサイトを立ち上げてしまうということ自体が、彼の人間的「欠陥」を象徴する。
この映画は訴訟になるが、誰もが正しいし、誰もが間違っている。
そのバランスが非常に巧い。
マークはエドゥアルドとは友人関係でいたかった。
けれども、彼ではだめだったのだ。
彼にはマークが見えていたもののほとんどが見えていなかった。
それこそ、株式と同じ0.03%も見えていなかったかも知れない。
友人であっても、マークはそれを良しとできない。
なぜなら、彼にはできることがあるし、やってみたいという欲求が人一倍大きいからだ。
大きなカジキマグロがマークには明確に見えていた。
エドゥアルドはそれがまるで見えていなかったのだ。
だから、「ソウルメイトはむしろショーンだった(パンフレット)」というのは正しいだろう。
はじめて同じ角度でものを見てくれる人間と出会ったマークは彼に傾倒していく。
ショーンは決して常識人ではないが、先見の明はあった。
ぶっ飛んだ発想ができたのだ。
会社が大きくなり訴訟が具体化していっても、マークは全く変わらない。
その点が非常におもしろい。
彼は依然としてフェイスブックについてよりよいものにしようとしたいだけであり、それ以外に特に興味を持てない。
自分の才能をフルに活用して新たな可能性を発見したいだけなのだ。
だからハッキングして大学名簿を悪用した原点と少しも変わっていない。
周りが、オフィスが変わっていくだけだ。
それはエリカに対しても全く変わっていない。
彼女と具体的にどうこうなりたいというわけではないだろう。
けれども、彼女としっかりと話し合いたいと思っている。
それが彼の行動動機の原点であり、つながりたい相手とつながることをもとめたフェイスブックの原点なのだ。
それにしても何から何まで徹底している。
脚本からカメラワーク、編集に音楽、すべてにおいて徹底している印象を受ける。
手元の雑誌「ムービーぴあ」には冒頭のエリカとの話は99回撮り直したとある。
双子の兄弟の一人はなんとCGで作り上げたという。
この職人芸は、一度見ただけでは堪能しきれない。
仕方がないからもう一回見にいこう。
監督:デヴィッド・フィンチャー
「あなたの話など聞く気はないよ。僕はフェイスブックについてだけ考えていたいんだ!」
2003年インターネットが普及して久しい時期にアメリカのハーバード大に通うマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、恋人のエリカを不快にさせて振られてしまう。
エリカの悪口をブログにアップし、酔った勢いでハーバードの女子生徒の顔写真をハッキングで入手し、二人を比べあってランキングにするというサイトを立ち上げてしまう。
深夜にアップデートしたにも関わらず、わずか4時間でアクセスが22000ヒットを記録した。
サーバーがダウンしてしまうほどの騒ぎとなり、女子大学生からは非難の的となった。
マークは大学に呼ばれ謹慎処分となる。
我らがデヴィッド・フィンチャーの最新作にして、オスカー候補の名高い作品である。
ずいぶん前から予告編が流れ、監督を知って絶対観に行こうと決めた作品だ。
そのため僕の期待値は高く、今年初めての「M4」会にして初めての鑑賞作品となった。
ソーシャルネットワークサービスのフェイスブックがいかにして成長していったかということを描いている。
パソコンに明るくない人や興味のない人は、少ししんどいかも知れない。
展開が早く字幕がどんどん進んでいくため、字幕が嫌いな人はついていけない。
だが、それを差し引いてもおもしろい。
今年ベスト5には入るだろうという作品だ。
僕はおそらくもう一度観に行くだろう。
是非観てもらいたい。
▼以下はネタバレあり▼
オスカー候補になり、昨年の「インセプション」と作品賞を競っているという話がそこかしこで聞かれる。
それを事前に知っていたために、余計に期待がふくらんだわけだ。
他の候補を詳しく知っているわけではないが、この二作品を比べるなら、僕は「ソーシャル・ネットワーク」を推す。
理由は二つある。
一つは、コンパクトな上映時間で十二分にその内容を描き出したということ。
「インセプション」はやはり上映時間が長い。
長さを感じさせない構成だが、複雑な話をコンパクトに脚本化した「ソーシャル~」のほうがリードしている。
いま一つは、時代だ。
アメリカは歴史的な不況を経験し、自信を喪失し自己肯定もままならない経済状態にあった。
それはイラク戦争への疑問という形でも表れている。
それが次第に景気の回復と共に自己肯定感が強くなって来つつある。
その象徴的な映画が「ハート・ロッカー」だったのだ。
「アバター」のような自己反省の映画ではなく、アメリカ軍兵士を題材にした自己肯定の映画だったわけだ。
夢を題材した「インセプション」が社会的でないから駄目だというわけでもないが、フェイスブックというアメリカが全世界に誇れるサイトの映画のほうがより時を捉えている。
しかも、それが若い人間が立ち上げたということが、可能性を感じさせる。
まさに新たなアメリカン・ドリームのひな形なのだ。
この映画をフィンチャーが撮るに当たって、契約が「上映時間140分を越えないようにする」というっものだったらしい。
「ゾディアック」にしても「ベンジャミン・バトン」にしても上映時間が長かった。
長ければそれだけ上映できる回数が減り、同じ上映期間でも興行収入は減ってしまう。
それでこのような脚本・編集になったのだろう。
僕はこの映画の最も良かった点は、この脚本にあるとおもう。
とにかくスピーディーな展開で、字幕を読むだけで精一杯になる。
けれども、その急展開な構成が、いかにフェイスブックがどんどん伸びていったかということを想像させる。
大学の授業にも出ずあるいは出ても授業中にプログラムを書きつづけ、自分の考えるサイトを構築していく。
それが人を呼び、大きなストリームになる。
そして同時に親しい人が離れていく。
その興奮と熱気、そして孤独感が非常に上手く描き出されている。
演技や演出以前に、この脚本だからこそこの映画が成立しえたのだろう。
また、この映画はスピーディーであるにもかかわらず、一人一人の人間性が手に取るようにわかる。
そして彼らはみな一様に人間くさい。
天才と言われるマーク・ザッカーバーグも、すべての試験で満点を取るほどの知能を持ちながら人間関係を作ることが巧くない。
振られた腹いせにサイトを立ち上げてしまうということ自体が、彼の人間的「欠陥」を象徴する。
この映画は訴訟になるが、誰もが正しいし、誰もが間違っている。
そのバランスが非常に巧い。
マークはエドゥアルドとは友人関係でいたかった。
けれども、彼ではだめだったのだ。
彼にはマークが見えていたもののほとんどが見えていなかった。
それこそ、株式と同じ0.03%も見えていなかったかも知れない。
友人であっても、マークはそれを良しとできない。
なぜなら、彼にはできることがあるし、やってみたいという欲求が人一倍大きいからだ。
大きなカジキマグロがマークには明確に見えていた。
エドゥアルドはそれがまるで見えていなかったのだ。
だから、「ソウルメイトはむしろショーンだった(パンフレット)」というのは正しいだろう。
はじめて同じ角度でものを見てくれる人間と出会ったマークは彼に傾倒していく。
ショーンは決して常識人ではないが、先見の明はあった。
ぶっ飛んだ発想ができたのだ。
会社が大きくなり訴訟が具体化していっても、マークは全く変わらない。
その点が非常におもしろい。
彼は依然としてフェイスブックについてよりよいものにしようとしたいだけであり、それ以外に特に興味を持てない。
自分の才能をフルに活用して新たな可能性を発見したいだけなのだ。
だからハッキングして大学名簿を悪用した原点と少しも変わっていない。
周りが、オフィスが変わっていくだけだ。
それはエリカに対しても全く変わっていない。
彼女と具体的にどうこうなりたいというわけではないだろう。
けれども、彼女としっかりと話し合いたいと思っている。
それが彼の行動動機の原点であり、つながりたい相手とつながることをもとめたフェイスブックの原点なのだ。
それにしても何から何まで徹底している。
脚本からカメラワーク、編集に音楽、すべてにおいて徹底している印象を受ける。
手元の雑誌「ムービーぴあ」には冒頭のエリカとの話は99回撮り直したとある。
双子の兄弟の一人はなんとCGで作り上げたという。
この職人芸は、一度見ただけでは堪能しきれない。
仕方がないからもう一回見にいこう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます