ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

大阪で生まれた女

2005年09月20日 | 名曲

    
 都会というところには時代の最先端があり、成功があり、華やかさがあります。でも、華やかな街のはずれには薄汚れた裏町があり、「スマートさ」の裏には「猥雑さ」があり、「成功」の裏には「挫折」が、影のように寄り添っているものです。
 ぼくが魅力を感じるのは、どちらかというと、人間臭さのある都会の陰の部分です。そして、何度も挫折しながら、それでも希望を持ち続けている人が好きなんです。


 「大阪で生まれた女」は、その都会、というより、文字通り「大阪の歌」です。
 大阪の持つ雑多な魅力を、BOROが、「成功者」としてではなく、必死で生きているひとりの人間の視線で表現しています。そしてその視線は、あくまで温かい。
 大阪の人たちにとっては、思い入れのある曲のひとつでしょう。


 「スマートさ」からはほど遠い歌です。つまずき、転んで、泥にまみれたような歌です。
 でも、だからこそ、この曲の歌詞に心を揺さぶられる人、とても多いのでしょう。
 この歌が初めて披露されたのは、開店時間前の、クラブのステージでした。
 ホステスやバーテンたちが準備の手を休めて聴いていました。
 BOROが歌い終わると、ホステスたちが泣き出したそうです。


     


 オリジナル・バージョンの歌詞は18番まであり、一曲を通して歌うと30分以上もかかる大作です。
 そのなかでも情景の描写が優れている4番と6番がシングル・バージョンの歌詞の中心です。
 歌詞を読むだけでもいろんなものが心の中に甦ってきて、自然に目が潤んできます。
 

 「BORO」は、少年時代に「オンボロ」自転車を乗り回していたことからつけられたニックネームです。
 まだ20歳を超えたばかりのBOROは、大阪の盛り場をギター一本で弾き語りをしていました。その頃、酔客の「大阪の歌がないなあ・・・若い人が歌える大阪の歌が・・・」という声を聞いて作った曲が、「大阪で生まれた女」です。
 その後、BOROの評判を聞きつけた内田裕也さんが、BOROの歌っているお店に現れました。そして、BOROの歌う「大阪で生まれた女」を聴き、この曲と歌に強く魅かれ、即座にプロデュースすることを決めたんだそうです。
 「ストリートミュージックだよ! あるいは関西人にしか作れないブルースだね!」(内田裕也)


 内田裕也さんは、この曲を世に出そうと考えました。売り出すにあたって内田さんが採った方法は、当時大スターだった歌手・俳優の萩原健一さんと競作させる、というものでした。
 そして1979年5月に萩原健一バージョンを、同年7月にBOROバージョンをリリース、これが相乗効果を生んでヒットしたのです。それ以後「大阪で生まれた女」は「大阪のソウルを表した曲」として長年にわたって愛され続けています。


     


 胸に沁み込んでくるようなこの曲こそ、オリジナリティにあふれた「BORO」の、いや「日本のブルース」と言えるのかもしれません。



[歌 詞]


大阪で生まれた女
  ■歌
    BORO      
  ■シングル・リリース
    1979年8月1日
  ■作 詞
    BORO
  ■作 曲
    BORO、岡山準三
  ■編 曲
    BORO
  ■セールス
    17.9万枚


 

コメント (6)
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