ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

「字を書く」ということ

2006年04月25日 | 随想録

 
 ぼくの父は、「塾なんぞ行かなくてもいい」という主義だった。
 「学校の勉強というものは、授業を真面目に聞いてさえいればできるはずである」、というわけだ。
 ただし、「習字だけは習いに行くべきだ」というのも父の主義だったので、小学校2年の時から週1回、ぼくは近所の書道塾に通っていた。
 なんとか段位が取れた頃、ちょうどわが家が引越ししたのが区切りになって書道塾をやめてしまったが、書道を習っていたことがのちのちどれほど役に立ったか。このことだけでも、父にいくら感謝してもしたりないくらいだ。


 書道を習って一番良かったと思うこと、それはやはり「書く」ことが好きになったことだろう。
 学生時代の授業すべてにそうしたわけではないが、とくに好きな教科(国語とか歴史など)では、ていねいにノートを取ることは苦でもなんでもなかった。むしろ、自分なりに分かりやすくノートをまとめることを楽しいと思っていたくらいだ。
 「書く」ことが好きだったことと関係があるのだろうけれど、ぼくは筆記用具を買うのが無意味に好きだったりする。書き味のよさそうな、細字(0.1~0.3mm)のサインペンを見ると、必要もないのに買いたい衝動にかられてしまう。


 しかし、ぼくもいつの間にかワープロを使いこなすようになった。ワープロを使う時間の量に反比例して、自分の手にペンを持つ時間が減ってくる。今もこうしてパソコンで文章を入力しているわけだが、こうしたツールの使用は便利な反面、(自分にとっての)あるデメリットがあるのが最近分かってきた。
 字が乱雑になってきたのだ。


 友人の中で、「ぼくは字がヘタだから」と言う人がいる。しかし、ぼくはヘタでも一生懸命に書かれた字にはむしろ好感が持てると思っている。実際、そういう字は確かに上手くはないかもしれないが、決して読みにくいとは感じないのだ。
 思うに、「字がヘタになる」ということは、自分が字を雑に書いても平気な状態になっていることだと思う。字がヘタになるより、ヘタな字を書いても平気な自分になっていることのほうがイヤだな、と思うのだ。
 (重ねて書いておくが、ぼくは字が上手くないことは悪いことだと言っているわけではない。念のため。)


 正確に言うと、今の自分は、字を書く時に腕が疲れるのが以前に比べてとても早くなっている。そのため字をかこうとしてもうまく腕に力が入らず、字が思うように書けないのだ。字を書くスピードもかなり落ちている。
 「字を書くこと」は、思ったよりエネルギーの必要な行為だったんだなあ、と今あらためて実感しているところだ。


 さいわい、というか、いい機会、というか、最近ようやく、「パソコンに音楽を取り込んでそれをCD-Rにコピーする」という技を覚えたので、せめてCD-Rのレーベルに曲目を書く時は、手書きにしようと思っている。
 CD-Rに編集できるのは約80分ぶん、ポップス系の曲なら20曲前後は収録できるだろう。その曲のタイトル、アーティスト名をすべて手書きにしてゆけば、けっこう習字の練習になりそうである。
 せっかくこういうことに気づいたのだから、これからは字を書く機会にはせいぜい丁寧に書くよう心がけようと思う。
 
 
 
 

コメント (4)
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