ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ヴァイオリン協奏曲集『四季』より「春」

2006年04月21日 | 名曲

△アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678~1741)
 
 
 
 
 今日から数日は全国的にスッキリしない天気が続くようですが、4月も半ばを過ぎ、これからはまさに春爛漫といった風情を楽しむことができますね。
 4月は新年度、新学期ということもあり、やはり気分が変わるものです。
 ぼくは、中学1年の最初の音楽の授業で、ヴィヴァルディの『四季』より「春」を鑑賞しました。中学に進学したばかりの高揚感と、新しい教室にまだ馴染めずそわそわ落ち着かない気分と、春の陽気とが、この曲に重なり合って一種独特な雰囲気を醸し出していました。その雰囲気、よく覚えています。それ以降、今でも春の陽気を感じるとこの曲をすぐに連想するんです。


 アントニオ・ヴィヴァルディは「水の都」として有名な、ヴェネツィアが生んだ最大の作曲家です。彼の作品は現在までに約650曲が発見されています。このうち554曲が器楽曲、40曲以上がオペラ、50曲以上が宗教的作品となっています。さらに、この他にも未発表の曲があると考えられています。相当な多作家だったんですね。
 そして、器楽曲554のうち、454曲が各種の独奏楽器による協奏曲(コンチェルト)です。このことから、ヴィヴァルディは「協奏曲の王」とも呼ばれています。また、このうち弦楽器のために書かれた協奏曲が330曲もあるというのも、ヴァイオリンの名手だったヴィヴァルディらしい、と言えます。


      
   「水の都」 ベネツィア


 ハイドンやチャイコフスキーなども「四季」を題材にした音楽を作曲していますが、今ではやはりヴィヴァルディの作品が一番有名でしょう。
 ヴィヴァルディの『四季』は、1720年頃に作曲された全12曲からなる『協奏曲集作品8「和声と創意への試み」』の第1曲から第4曲までをひとまとめにしたものです。これは、ヴィヴァルディが教えていた学校「オスペダレ・デラ・ピエタ」のオーケストラの定期演奏会用に作曲されたものだそうです。
 「春」はCMなどで耳にすることも多いし、「冬」はハイ・ファイ・セットが日本語詞を付けて歌っていたりして、この両曲はとくに馴染みがあります。ぼくが好きなのも、「春」と「冬」です。


協奏曲集『四季』より「春」 
 [Le Quattro Stagioni ~ "La Primavera"]

■アントニオ・ヴィヴァルディ
■1720年頃
 

 4曲とも3つの楽章からなり、独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのために書かれています。この4つの協奏曲には、それぞれ春、夏、秋、冬の情景をうたったソネット(短詩)が添えられていて、その詩の内容が音楽で描写されています。詩の作者は不明ですが、おそらくヴィヴァルディ自身ではないかと言われています。


 「春」のソネットの大意です。

■第1楽章「春が来た。小鳥たちは楽しそうに歌い、泉も優しく囁きながら流れ出す。そのとき天はにわかに曇り、雷鳴と稲妻が襲ってくる。やがて嵐は去り、再び小鳥たちの楽しい歌が始まる。」

■第2楽章「花の咲き乱れる牧場。羊飼いは番犬に見張りを命じ、暖かい春の陽射しを浴びて、安らかなまどろみに入る。のどかな風景だ。」

■第3楽章「そこへニンフ(水の精)が現れ、明るい陽光のもとで、羊飼いの吹く笛に合わせて、羊飼いたちとともに春を称えながら踊る」


 クラシックにあまり詳しいとは言えないぼくでさえ、聴いているうちに、まるで絵でも見ているかのようにありありと情景が浮かんできます。
 冒頭の「春が来た」というところはいかにも春を思わせるような明るい躍動的なメロディーですね。続く「小鳥たちは・・・」のところでは、華麗なヴァイオリンが穏やかにソロをとっています。「天はにわかにかき曇り・・・」の部分は、トゥッティ(総奏)によって見事に嵐の様子を描いています。
 ソネットを読みながらこの曲を聴くと、よりいっそう容易に場面を思い描くことができます。みずみずしい春の明るさ、暖かさに満ち溢れた曲だと言えるでしょう。


     
     イ・ムジチ合奏団
     協奏曲集 『四季』 (Le Quattro Stagioni)



 ヴィヴァルディの生涯に関しては不明な点が多いそうです。
 ヴィヴァルディの父もヴァイオリニストでした。父から手ほどきを受けたヴィヴァルディのヴァイオリンの腕前は、名手と言われるほどのものだったそうです。
 1693年、彼は15歳で修道院に入りました。1703年には司祭に昇進しましたが、持病(一種の喘息と言われる)のためミサを挙げることを許されませんでした。そのかわり、孤児救済の音楽学校で生徒の教育にあたるという仕事を任されることになりました。
 ヴィヴァルディが教えていたのは、生徒全員が孤児の女子ばかりの、「オスペダレ・デラ・ピエタ」という学校で、彼が一生のうちに作曲したおびただしい数の協奏曲の大部分は、このピエタのオーケストラのために書かれた、と言われています。


 晩年のヴィヴァルディはオーストリアのウィーンに出ていますが、理由も経緯も明らかになっていませんし、不遇のうちに過ごしたようです。偉大な作曲家の晩年にはいったい何があったのでしょうか。
 1741年7月、ヴィヴァルディは、ウィーンのある革細工師の家で息を引き取りました。その遺体は、7月28日にウィーンの共同墓地に葬られたことが分かっています。


 かつて日本ではブームと言ってよいほど『四季』のレコードが発売されていました。今でも、約40種類のCDが発売中だそうです。
 曲の構成やメロディーが、四季の移り変わりを生活の中で実感するわれわれ日本人の感性にぴったり合っているのでしょうね。


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コメント (12)
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