2020年10月22日に文科省は、2019年度の子どもの自殺者数を発表しました。
2018年度から2年連続で300人を超えたとのことです。2年間で649人もの子ども(小学生、中学生、高校生)が自ら命を絶ちました。
教育関係者は、この現実をどう受け止めるべきでしょうか。
いま、学校で何が起こっているのでしょうか。
そもそも、子どもは一人ぼっちだと感じたときに、自ら命を絶つのだとすれば、学校は子どもが「助けて」とか「help me」とか言える場所であるかが問われているのだと考えられます。
子どもの自死を聞くたびに、その日その時に、誰かが心配してその子に寄り添っていれば、とりかえしのつかない事実をうまなくてすんだのでないかと思います。
なくしてしまった命は、どんなに後悔しても二度と戻ってはきません。学校としては取り返しのつかないことがあってはならないのです。
学校が子どものことで守るものはいろいろありますが、子どもの命を守ることは最上位にきます。
教育関係者は、この現実をどう受け止めるべきでしょうか。
いま、学校で何が起こっているのでしょうか。
そもそも、子どもは一人ぼっちだと感じたときに、自ら命を絶つのだとすれば、学校は子どもが「助けて」とか「help me」とか言える場所であるかが問われているのだと考えられます。
子どもの自死を聞くたびに、その日その時に、誰かが心配してその子に寄り添っていれば、とりかえしのつかない事実をうまなくてすんだのでないかと思います。
なくしてしまった命は、どんなに後悔しても二度と戻ってはきません。学校としては取り返しのつかないことがあってはならないのです。
学校が子どものことで守るものはいろいろありますが、子どもの命を守ることは最上位にきます。
2年間で600越えの命がなくなった事実と現実を、教職員は重く受け止めなければなりません。
すべての子どもにとって居場所のある学校をつくらなければなりません。
このコロナ禍によって、ホッとできる居場所を失ったと感じる子どもが増えています。
大人も生きづらさを感じているのだから、子どもも同じです。
大人がわりきれないうっぷんを抱え、仕事に行き詰まると、家での子どものようすに気がつきにくくなります。
家庭内で、両親が言い合いやけんかをしている傍らで、子どもが思考停止に陥り、じっとしている姿も浮かんできます。
教職員には、いま学校で子どもの内面を見る努力が求められます。
内面を見ることなく、臨時休校の遅れや感染防止に躍起になり、「次はこれ」「その次はあれ」というように命令口調になり、指示をくりかえしていないでしょうか。
そんなバタバタとあわただしくしている教師に、子どもは話しかけたりするのは遠慮してしまいます。
家庭内で、両親が言い合いやけんかをしている傍らで、子どもが思考停止に陥り、じっとしている姿も浮かんできます。
教職員には、いま学校で子どもの内面を見る努力が求められます。
内面を見ることなく、臨時休校の遅れや感染防止に躍起になり、「次はこれ」「その次はあれ」というように命令口調になり、指示をくりかえしていないでしょうか。
そんなバタバタとあわただしくしている教師に、子どもは話しかけたりするのは遠慮してしまいます。
子どもが抱えている、もっていきようのない不安な思いを伝えることはできないのです。
教職員は協力し合って、助け合って、自分の学校の子どもの命を守るためにできることは何でもやる。
それは、学力向上よりも授業づくりよりも、部活動よりも、優先するはずです。いちばん守るべきものは、子どもの命です。
教職員は協力し合って、助け合って、自分の学校の子どもの命を守るためにできることは何でもやる。
それは、学力向上よりも授業づくりよりも、部活動よりも、優先するはずです。いちばん守るべきものは、子どもの命です。