赤ちゃんの頃、お腹がすいて泣けば、親がミルクを与えます。
おむつが濡れて泣けば、親やおとなが交換してくれます。
家の中にいて退屈して泣けば、外へ連れ出して散歩してくれます。
泣いたら、まわりのおとなが何か対応してくれる。
こう信じるから、赤ちゃんは泣くのです。
だから親子の間には強い信頼関係が生まれるのです。
そして、子どもは大きくなるにしたがって、信頼の相手は保育園・幼稚園・学校の先生、友だちへと広がっていきます。
人が人と交流したり、つきあったり、交わることができる人に共通しているのは、根底に「人を信じる力」をもっているということでないかと思います。
こんなふうに言えば、「いまの世の中、こわい人もいるよ。安易に人を信じるのも考えものだよ」という人もいます。
そして、子どもは大きくなるにしたがって、信頼の相手は保育園・幼稚園・学校の先生、友だちへと広がっていきます。
人が人と交流したり、つきあったり、交わることができる人に共通しているのは、根底に「人を信じる力」をもっているということでないかと思います。
こんなふうに言えば、「いまの世の中、こわい人もいるよ。安易に人を信じるのも考えものだよ」という人もいます。
子どもを誘拐したり、危害を加える人が起こす事件が起こると、そう忠告する声も出てきます。
でも、それは心配にはいたらないと、わたしは思います。
でも、それは心配にはいたらないと、わたしは思います。
人を信じる力は、信じられない人を見分ける力でもあるのです。
逆に、信じる力の弱い人ほど、信じてはいけない人を信じてしまうのかもしれません。
そして、その「人を信じる力」の源流は、親子の信頼関係だと思います。
逆に、信じる力の弱い人ほど、信じてはいけない人を信じてしまうのかもしれません。
そして、その「人を信じる力」の源流は、親子の信頼関係だと思います。
その源流は下流へ行くほど、水の量が増え、いずれは大きな河になります。