私が中学1年生の学級担任をしていた頃の話です。
教室に観葉植物の鉢植えを置いていました。
担任している一人の女子生徒が、終礼が終わると横に置いていたじょうろで水を汲みにいき、観葉植物に水やりをしてくれていました。
彼女は、私が頼んだのでもなく、誰かから言われたのでなく、自発的に毎日水やりをしてくれていました。
聞くと、「家でも鉢植えに水をやっているから。先生、ちょっとずつだけど大きくなっているよ」と言っていました。
わたしは、彼女に「ありがとう」とだけ言いました。
こういう場面に出くわすと、学校の先生はこのことをとりあげて、クラスの生徒に紹介したり、発表したり、ほめたりすることがあります。
しかし、ここはよく状況を見きわめなければなりません。
彼女は、自発的に始めたのです。植物が大きくなるのが楽しみだったのです。好きだからやっていたのです。
もし、クラスに紹介すれば、好きだからやっている自分の行為を、なぜクラス全員の前で話されなくてはいけないのか。ほめてもらうためにやっているのではない。
この行為を続けると、ほめてもらうためにやっていることと、まわりから受け取られてしまう。こう思うと、水やりをやめてしまうことになりかねません。
じっさい、思春期の子どもの心理は、このように感じやすく、傷つきやすいこともあるのです。
「いいことは、なんでも、ほかの生徒に知らせて知ってもらわないと」と、大人が勝手に判断して、情報を拡散していくのは、子どもの心に土足で脚を踏み入れていることになります。
このケースでは、大人は「ありがとう。きっと植物も喜んでいると思うよ」だけでいいのです。
子ども本人が自分のやる気で自発的に取り組むことに、ふつう「見返り」など求めません。
教室に観葉植物の鉢植えを置いていました。
担任している一人の女子生徒が、終礼が終わると横に置いていたじょうろで水を汲みにいき、観葉植物に水やりをしてくれていました。
彼女は、私が頼んだのでもなく、誰かから言われたのでなく、自発的に毎日水やりをしてくれていました。
聞くと、「家でも鉢植えに水をやっているから。先生、ちょっとずつだけど大きくなっているよ」と言っていました。
わたしは、彼女に「ありがとう」とだけ言いました。
こういう場面に出くわすと、学校の先生はこのことをとりあげて、クラスの生徒に紹介したり、発表したり、ほめたりすることがあります。
しかし、ここはよく状況を見きわめなければなりません。
彼女は、自発的に始めたのです。植物が大きくなるのが楽しみだったのです。好きだからやっていたのです。
もし、クラスに紹介すれば、好きだからやっている自分の行為を、なぜクラス全員の前で話されなくてはいけないのか。ほめてもらうためにやっているのではない。
この行為を続けると、ほめてもらうためにやっていることと、まわりから受け取られてしまう。こう思うと、水やりをやめてしまうことになりかねません。
じっさい、思春期の子どもの心理は、このように感じやすく、傷つきやすいこともあるのです。
「いいことは、なんでも、ほかの生徒に知らせて知ってもらわないと」と、大人が勝手に判断して、情報を拡散していくのは、子どもの心に土足で脚を踏み入れていることになります。
このケースでは、大人は「ありがとう。きっと植物も喜んでいると思うよ」だけでいいのです。
子ども本人が自分のやる気で自発的に取り組むことに、ふつう「見返り」など求めません。
ほめてほしい、評価してほしいという気持ちは持っていないのです。ただ、そのやる気で、まわりの人が喜んでいることが、本人に伝われば十分なのです。
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