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第二次世界戦後の日本は、戦後復興と経済成長を追う中で、大量生産・大量消費・大量廃棄のしくみを生み出しました。
そのぶん環境対策は軽視され、工場などから有害物質が垂れ流されていました。工場から出る煤煙は大気の色が濁るほどの有害物質を含んだ排気ガスを放出していました。
たとえば神通川流域には、カドミウムの排水が垂れ流され、その川から魚をとって食用にしていた人びとに、イタイイタイ病が広がりました。
ちなみに、わたしは中学生のとき、学習発表会のクラス発表で、イタイイタイ病を取り上げた創作劇を演じました。
そのほかにも、熊本県水俣市では水俣病、四日市では四日市ぜんそくが、公害病として人びとの健康に深刻な影響を与えました。
そのように各地で健康被害が相次ぎ、政府は大気汚染防止法を制定して、環境推進国として舵を切り始めました。
1971年には公害行政を一本化した環境庁を発足させました。その後、1973年には第一次石油ショックが起こりました。
中東諸国によるOPECが原油の価格を大きく引き上げたのでした。日本の経済、社会は大混乱しましたが、オイルショックは、日本に対して、省エネや環境対策の取り組みを推進させる契機となったのでした。
国内自動車メーカーは努力の末、自動車の燃費を大きく向上改善させました。1980年ごろには、アメリカの自動車は依然として大型車がリッター4kmほどで、ガソリンを撒いて走ると揶揄される中、コンパクトで高燃費の日本製の自動車は好調な売れ行きでした。
日本の商品は、国際競争力を高め、経済は新たな成長期を迎えました。
それとともに、国家プロジェクトとして再生可能エネルギーの研究開発も進められ、太陽光パネルの生産は世界有数になりました。
そのように、人びとの省エネ意識の高まりが技術開発を促し、日本は環境先進国となりました。
(次号に続く)
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