箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもの願いを聴くこと

2021年08月16日 09時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪市にある西成区は、社会的に「弱者」に追い込まれた人たちを支援するしくみがあるまちです。

あいりん地区は、わたしも訪れたことがあります。
もとは、1900年代のはじめに、日雇い労働者が住む地区として作られました。
日本の高度経済成長をあいりん地区が支えたという歴史があります。

たとえば、1970年の大阪万博のときの建設ラッシュに日雇い労働に従事した人は、高齢になるのと、長引く経済不況の影響を受け、生活が困窮している人も多いのです。


行政も一生けんめいに、低所得者を支援しましたが、行き届かないことがありました。

そのため、民間人が日雇い労働者・野宿生活者の支援を始めたという経過があります。



いま、大阪市の生活保護受給率は5%ほどですが、西成区はおよそ23%にもなります。

そもそも学校の先生は、子どもを理解するというとき、学校での様子だけでなく、その子が背負って登校してきている背後まで見ようとします。

その点で、西成の学校の先生は、目の前にいる子が、家庭や地域で親や本人が困難を抱えているかもしれないという「まなざし」を向ける人が多いのです。

そして、その「まなざし」は西成の学校の先生だけでなく、地域の支援者ももっています。

それが、温かいまち西成です。

わたしは個人的に、大阪の人の温かさの真髄は、西成にあるとまで考えています。

おそらく、全国をみても、また大阪府内をみても、生活困窮者を支援する活動は多くありますが、それは行政サービスの枠内で行われることが多いのです。

しかし、西成の支援者は、制度と制度の間(すきま)に落ちた子どもやおとなを見つけ、その人たちの願いや何を必要としているかにあわせて、支援をつくっていこうとするのです。

支援者は互いにつながりあっています。そして、ふつうなら児童養護施設に入る子どもでも、本人が望むなら、見守りを厚くすることで親のそばで暮らせる方法を見つけます。

法や制度はもちろん必要です。地域コミュニティは法や制度のもとでつくられていきます。

しかし西成は、そこで暮らす人たちの声から支援をかたちづくっていくのです。

いま「誰ひとり取り残さない」という言葉があちらこちらでよく使われていますが、言葉の響きだけを借りている取り組みや事業・活動もあります。

西成のやっていることは、社会的な「弱者」が大事にされ、重きが置かれるコミュニティがあることを教えてくれるのです。

でも、学校教育の分野に限定したとしても、西成の学校の教職員は、特別なことをしているのでしょうか?

特別なことではなく、学校の教師が子どもの願い・声を聴き、その子にとってベストな利益になることを行うことは、シンプルかつ普遍的な理念です。

その意味では、どこの地域、どこの学校でも、実情にあわせ追究できることではないでしょうか。







その人にとっての特別な日

2021年08月15日 06時22分00秒 | エッセイ

お盆には、ご先祖が家に戻ってくると言います。

だから、日本ではお盆には、仏壇を掃除して、お供物をして帰りを迎えるのです。

わたしの父は、7年前の12月14日に病院で亡くなりました。

その日のことは、今でもはっきりと覚えています。

また、11月24日は結婚記念日で、これもわたしにとってのspecial dayです。

さらに、6月25日は初めての子どもが生まれた日で、義理のお父さんが訪ねてきて孫の誕生を喜び合ったことを覚えています。

それから買い物をしに、二人で外へ出かけたとき、初夏の青空がきれいだったのを思い出します。

わたしにとっては、それらの日はspecial dayでした。

生涯忘れることのない大切な一日です。


ただ、それらの日は世の中のほとんどの人にとっては、日常のありふれた、ふつうの一日だったことでしょう。

誰もが、おそらくそのようなspecial dayをもっているのではないでしょうか。

それが楽しいことであろうが、悲しいことであろうが、自分にとって特別な日を重ねていくと、その人の人生を生きるということであり、自分のstoryを生きるということなのだと考えます。

きっと、今日も世の中の誰かにとっては、生涯忘れられなくなる大切な一日であることでしょう。

それは、楽しい日ではなく、その人にとっての悲しい日かもしれません。

それでも、かけがえのない一日を積み重ねていくことを大切にしたいのです。その人もわたしも。



今の焼け野原

2021年08月14日 07時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ
もうすぐ第二次世界大戦が終わり、76年になろうとしています。

太平洋戦争で、日本本土は地上戦にはならなかったものの、敵機は容赦なく街を空襲し、焼い弾を投下し、大阪も東京も焼け野原になりました。

その後、日本は敗戦から立ち上がり、目覚ましい経済発展を遂げました。

バブル崩壊後、「失われた30年」を経て、いまは新型コロナウイルスに慄き、閉塞感が漂います。

人と人の関係が疎遠になりました。

宅配ビザのにいちゃんと配達を受ける人は、多くを話さずともビザを手渡し、受け取ります。

また、ウーバーイーツは、「置き配」が多く、配達員と依頼人は顔を合わすことなく、ことが済んでしまいます。

人と人が分断され、それを受け入れていくうちに、心がすさみ、自分が孤立していると感じる。

戦後復興は遂げましたが、今の時代、心は新たな「焼け野原」とも言えます。

ウーバーイーツの配達員がそうであるように、この孤立感を感じる人は、とくに今の若い人に多いのではないかと想像します。

冷たくなっていく心の風景は、あたかも「焼け野原」のようです。

そう思ったとき、わたしは学校教育の役割が大きいのでないかと思います。

集団生活の中で、人と人がかかわりあい、他者とつながる楽しさや喜びを知らせるのが、心が「焼け野原」になりがちな今の時代だからこそ、学校がやらなければならないことです。

外国につながる子のいま

2021年08月13日 07時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の時代、さまざまな理由や事情で、日本の公立学校で学ぶ外国人の児童生徒がいます。

教育界では、その児童生徒のことを国籍を問わず「外国にルーツをもつ子」とか「外国につながる子」と呼びます。

その子たちは、日本語以外の言語を母語とする場合が多いのです。

言葉の壁で日本の学校の授業がわからず、文化や習慣がちがうことで、友だちから孤立することもあります。

どれほど、その子にとってたいへんなことか。

その子の担任の先生なら、その子の苦しみや悲しみをわかってほしい。

「日常会話が日本語でできているから、あの子は大丈夫ね。」

こう考えないでほしいのです。

生活言語はなんとかなっても、授業を理解するには、学習言語を知らないとできないのです。

その子たちに日本語を教えて、授業がわかるように支援することを「日本語指導」といいます。

その充実が望まれます。

また、日本人の子どもから、からかわれたり、悪口を言われたりすることもあります。

暴力で受けた体の傷はいつか治るでしょう。

でも、言葉で受けた心の傷はずっと治りません。

外国にルーツをもつ子が、信頼できるおとなから生き方を学べる。

そんな教師であってほしいと願います。




次世代を絶望の淵に立たせない

2021年08月12日 07時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ

毎年、8月になると、広島、長崎では原爆犠牲者の慰霊の集いが行われます。

1945年8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ、アメリカ軍が原爆を投下しました。

20万人以上の人びとが犠牲になりました。

そして、放射能を浴びた人が、現在もなお後遺症に苦しんでいます。

広島市立基町(もとまち)高校の生徒は、「原爆の絵」という活動をしています。

被爆した人から体験を聴きとり、想像を膨らませて絵にする活動です。

その「原爆の絵」の一つに、次の作品があります。

真っ暗な闇の中で、赤く燃える炎が立っています。

原爆の中、生き残った兄と妹が、被爆死した父をひつぎに納め、木切れを寄せ集め火葬した体験を聴きとり、絵にしたものです。

赤く燃える炎のそばで、絶望の淵に立つかのような、兄妹の表情を描いた絵です。


私も教諭の頃、中学生に平和学習を毎年行いました。

中学生の心は柔らかく、戦争の悲惨さや原爆の残酷さをまっすぐに受け取ります。

長崎修学旅行では、爆心地公園に立ち、平和祈念セレモニーを学年で行いました。

平和を願い全校生徒で作った折鶴を3年生が持っていき、捧げました。

また、被爆体験者からの聞きとりは、平和学習の中心の活動でした。

こうした若い世代に対して、教師は戦争体験や被爆体験を継承する取り組みを行なってきました。いまも行われています。

しかし、いま世界に目を向けると、その取り組みとは正反対の核兵器拡大競争が進行しています。

唯一の被爆国である日本は、「原爆の絵」のように、子どもを絶望の淵に立つような体験を二度とさせてはならない。

深く思います。





いまの地域づくり

2021年08月11日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
かつて、私たちの地域には、人と人のつながりがありました。

よその子でも叱ってくれる近所のおっちゃんがいました。

夕飯のおかずを「おすそわけ」と持ってきてくれるおばちゃんがいました。

井戸端会議に熱中する人たちがいました。

井戸端会議が多い地域では、空き巣などの被害が少ないと言われてています。

でも、いまは地域のつながりが弱体化しています。

そこに、コロナ禍が重なり、地域の人びとが集まる夏祭りをとりやめることも多い昨今です。

このまま地域のつながりが弱まると、人びとから「地域の一員」としての自覚もなくなります。

住民の心は離れあい、地域はたんにマンションや民家がたてならぶ場所になってしまいます。

そうなると、助け合いや協力が消え、地域への愛着をもつことなく、子どもはおとなになっていきます。

地域の暮らしやすさを知らずにおとなになる。

教育的に見ても、子どもは、さまざまなおとなとの触れ合いで、人としてどうふるまうか、人として何を大切にするかなどを学んで身につけていくのです。

でも、悲観ばかりしていては始まりません。

いまの時代でも、地域のために活動している人はいます。

自治会で、地域のための活動をしている人がいます。

学校の児童の登下校を見守る人がいます。
地域の子どもの成長に優しいまなざしを向けてくれる人がいます。

そんな地域の先輩の気概を受け継いで、次につないでいく。

そのような地域づくりをあらためて行い、人と人のつながりを取り戻していくのが、いまのおとながやるべきことです。

そして、学校はキーステーションとして、人と人が出会う「交差点」であるべきです。

大阪にある平和のミュージアム

2021年08月10日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪にはピース大阪という戦争博物館があります。

1991(平成3)年に平和のまち大阪の実現をめざし、大阪府民・市民の協力のもと、世界平和に貢献することを目的に開館しました。

私は自分の研修として、また中学生を引率して、何度か訪れました。


戦後76年を迎え、戦後に生まれた人が多くなり、戦争の記憶を風化させることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、平和の大切さを伝えていくのがピース大阪の役割です。

展示はおもに「大阪空襲」の写真や映像を取り扱っています。

次世代の子どもたちが、大阪で起こった空襲の実相を知り、戦争の悲惨さ、戦争の背景を理解するよう配慮されています。

訪れた子どもたちにより、大阪の人びとの戦争の歴史は思い起こされ、語り直されることで、新しい世代が過去に目を開く羅針盤になります。

今年でちょうど30周年を迎えます。

9月12日(日)には、開館30年を記念し、橋爪紳也さんの講演があり、大阪の歴史とともにピースおおさかの歩みをふりかえります。

また相愛学園の平和コンサートも行います。

自分につながる歴史を見直したい。ピース大阪の役割はますます大きくなります。









 

産まれたあの日に立ち戻る

2021年08月09日 06時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
加藤登紀子さんの曲に、「君が生まれたあの日」(2011年)があります。


君が生まれたあの日 僕は君に手紙を書いた
窓の外は吹雪 寒い朝だった

白い空を見上げて 僕は言葉をさがした
あふれる想いそれは うれしさと何故か涙

強くなくてもいい 熱い心を持て
幸せばかり追いかけるな 思いきり今日を生きてゆけ

初めて歩いたあの日 僕は思わず祈った
小さな手を離して 君を見守りながら

運のいいやつになれ 太陽を味方にして
誰も君を守れない 君だけの人生だから

時の流れがいつの間にか 君を大人にしてゆくだろう
急がずに恐れずに つまずきながら歩いてゆけ

二十歳になった今日 贈る言葉が見つからない
静かに盃を上げて 君を送り出そう

海はあまりに広く 舟はちっぽけだ
風をいっぱい帆に受けて 外海へひとり出てゆけ

時の流れがいつの間にか 君を大人にしてゆくだろう
急がずに恐れずに つまずきながら歩いてゆけ
急がずに恐れずに つまずいても歩いてゆけ




子育てで、子どもが大きくなるにしたがい、

「もっとうまくなったら」

「もっと勉強ができたら」

「もっと器量よしになったら」

欲が出てきます。


人は自分が生まれた日のことやわが子を産んだ日のことを思い出すようにすれば、人生の大切な節目に想いを馳せることができるのではないでしょうか。

子も親も、しんどいときには生まれたあの日に戻るのがいいのです。

多くの人は、赤ちゃんが産まれた日の喜びを感じます。
でも、多くの人はその喜びを忘れてしまいます。

だから、ときには、赤ちゃんが産まれたあの日にたち戻ってみるのがいいのです。

日本語を介した共生

2021年08月08日 06時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は、英語科の教員で、今まで英語は世界共通語と思ってきました。

だから、英語圏でない外国人と話すときも、英語を使えばなんとかなると思っていました。

でも、それはその人たちにとって母国語ではない英語を学習している場合に限られます。

新型コロナウイルスの感染拡大で、街から外国人観光客の姿が消えました。

でも、定住外国人は今まで通りの生活を送っています。

今、街で出会う外国人のほとんどが、私たちと同じ地域で暮らす生活者なのです。

彼らといっしょに暮らしやすい街をつくることが求められます。

そのとき必要になるのは日本語です。

じつは、その人たちは英語ではなく、日本語を使おうとすることが多いのです。

英語はわからない」と言う人も少なくはありません。

在留外国人は、日本語学校で日本語を学習し、日本語を使おうとします。

そんな人たちに、英語で話しかけるのはその気持ちに添いません。

ただ、日本語でコミュニケーションをとるには、コツがいります。

たとえば、一つの会話には、一つの情報だけを入れます。

また日本語は一つの動作を表すにもたくさんの表現があることが多いです。

たとえば、「話す」には「述べる」「語る」「おっしゃる」「言う」などたくさん類義語があり、日本語を難しくしています。

だから、できるだけ平易な「話す」を使い。難しい漢字はひらがなで表記するなどして、日本語理解を助けます。

今の時代、在留外国人にとってわかりやすい日本語は、日本人の子どもにも、高齢者にも。誰にとってもわかりやすい日本語なのです。

わかりやすい日本語を介して、日本人と外国人が同じ地域で暮らす人同士として、気持ちを通じ合い生きていく。

こういう地域が共生社会と言えるのかもしれません。



余計なプレッシャーはいらない

2021年08月07日 06時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ
オリンピックでは、世界の人びとの注目が集まるなか、選手は国を背負って出場しています。

そのため、選手のメンタルには、かなりの重圧がかかります。

また、矛盾するようですが、無観客というのは、応援や声援がない分、やりにくさもあるようです。

事実、体育祭で中学生が言っていました。

「リレーの決勝で、全力で走っていたが、その前には別の生徒が一位を走っていた。最後のコーナーに入ったとき、ぼくを応援する声が聞こえた。
その瞬間、さらに力が入り、ぼくはトップに出て、そのままゴールした。」

観客の応援や声援は、プレッシャーになるよりも、選手が自分の力の限界を超えたプレーを発揮する支えにもなるようです。

その意味で、無観客は、選手には何か張り合いにかけ、やりにくかった。

こんな感想をもつアスリートもいたようです。

とはいえ、オリンピックのような大会は、応援のもつ意味を離れたところでは、まわりの期待が重圧になるのは確かなようです。

そこで、今年からオーストラリアでは、メダル獲得数を国としてあげませんでした。

余計な重荷を与えなくても、大会で選手は全力を尽くすものだから、という理由です。

大坂なおみ選手がメンタル不調を訴えたりして、いまスポーツ界でも選手のメンタルヘルスの大切さが注目され出しました。

高いストレスがかかる大会では、パニックになる選手もいます。

選手が余計な重荷を感じることなく、自分の力を出せるよう見守ることが、私たちに求められていると思います。


共に生きるとは、いっしょに楽しむこと

2021年08月06日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本で健常者と障害者が、スポーツを通じて
共に生きるというとき、その障害者はパラリンピックで活躍するアスリートを思い浮かべることが多いのではないかと思います。


そこには、誤解を恐れずに言うならば、「障害者なのにがんばっている」という考えがあります。

でも、障害者はがんばらないと、共に生きることはできないのでしょうか。

ドイツ市民の車いすバスケットをやるサークルでは、健常者も障害者も車いすに乗って、いろいろな年齢の人が、いっしょにスポーツを楽しんでいます。

そこでは、プロスポーツではなく、リクレーションとして、市民の間に浸透しているのです。

障害があるなしにかかわらず、いっしょに活動を楽しむところに共生の社会は開けるのではないかと思います。

人の営みの源流を想う

2021年08月05日 06時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私は家の前の畑で野菜を育てています。

畑といっても20㎡の小さな土地です。

もとは、父がつくっていた畑で、父の亡き後引き継いで耕しています。

じつは他にもっと広い農地はあるのですが、そこでは何も作らず、荒らさないように管理はしています。

休日にしか農作業はできないので、狭い畑ですが十分です。

いま、その畑では夏野菜が勢いよく育っています。

毎朝、何かは採らないと、大きくなりすぎるのです。

それにしても、大きくなったキュウリやトマト、ゴーヤ、 ピーマンなどを見る思うことがあります。

天の恵みがもたらしてくれた恩恵を思うのです。

農地を耕し、たわわに実る野菜を食べて、わたしの先代は生きてきたのです。

自分の力で耕し、育てたものを自分で食する。

いわゆる自給自足です。

これは人の営みや行為の中でもじつにシンプルなものです。

スーパーに行けば野菜があり、それを買って料理する。そして食べる。

このような行為は川にたとえれば、「川下」にあたり、わたしがやっているのは「川上」にあたる、生きるための源流、基本です。

あらためてこの源流の大切さを想うのです。



校則の見直しが進む

2021年08月04日 07時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ
全国的に、学校の校則の行き過ぎが問題になるなか、いま、学校の校則が見直しされ始めています。

学校の校則は画一的にならないのが望ましいというのが、基本的な考えです。

神戸市の見直し例です。

(性の多様性に配慮がないもの)
女子はスカートを着用する
→性別ごとに設定し、選択の余地がない

男子の髪は耳にかからない長さとする
→性別ごとに違う髪型を定めている

夏服は半そでシャツのみ
→肌を隠せない

(健康上の配慮がないもの)
マフラーやタイツの禁止
→体調維持の面で問題がある

給食はきめられた時間に食べる
→健康被害につながる

・・・・・・・・・・・・・・・

このような指針を定めました。

各学校は、これをもとに校内組織をつくり、毎年度児童生徒が話し合う機会を設けます。

また、保護者にアンケートを行います。

アンケートの結果は公表して、どう見直したかを明らかにします。

校則を厳しくしたのは、学校が荒れた時代に、生徒指導上の必要から生まれ、今も残っているものがあり、時代に合わなくなっています。

今の時代に応じた校則のあり方が求められていると考えるべきでしょう。








インタビューは選択できるように

2021年08月03日 05時48分00秒 | エッセイ
オリンピックでは、メダルを取るとか勝つことに世間の注目が集まります。

それは仕方のないことかもしれません。

ただし、そのムードでは、選手には国民の期待が集まり、相当なプレッシャーがかかります。

最近、こういった選手が受ける重圧を告白した人もいます。

メディアは試合後に選手に駆け寄り、インタビューをしようとします。

あたかも、「選手なんだから、答えて当然だ」というモードでマイクを向けます。

インタビューでは、話す専門ではない選手が気の利いた話やコメントをしなければならないのです。

うまく言えなかったときには、「あのときこう言えばよかった」と後悔する人もいます。

これは、やはりおかしいのではないかと思います。

これはメディアの圧力です。

本業でいい結果を出すことに重圧がかかるうえに、インタビューでもいいコメントをしなければならないのは重すぎます。

インタビューに答えるのを当然とせず、応じたい選手にはマイクを向け、ちょっと控えたい人にはインタビューを止めるなどの配慮があっていいのだと思います。

苦しむからいい

2021年08月02日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ



子どもは未熟なもの。

当然、失敗や間違いをします。

だから、失敗や間違いをしたら、やり直せばいいのです。

ただ、失敗や間違いをしたら、苦しむこともあるでしょう。

そんなときには、苦しむのもいいと思います。

なぜなら、苦しまない人ほど同じ失敗や間違いを繰り返すのです。