JR東京駅、丸の内地下南改札口前から東京中央郵便局跡地に建設中のJPタワーへ向かいます。巨大な柱が何本も林立している丸の内南改札口周辺は広大な地下空間が広がっていて、修学旅行生向けの集合スペースなどに活用されています。
今までは丸の内南改札口より南側は行き止まりであったので気にも留めていなかったのですが、JPタワーの地下エントランスへ通じている真新しい地下通路が完成していました。壁や床、天井などの意匠が周囲と違っていたのですぐに気がつくことができました。
緩やかな斜面の床となっている真新しい地下通路。行幸地下通路や丸の内地下中央改札口と同様に円柱が何本も配置されているのは変わっていないみたいです。
壁面には地下部と地上部の模型が展示してありました。地下部の模型の中で何かせり出している部分がありますが、これは総武快速・横須賀線の東京地下ホームの換気塔のスペースになっているからであると推測します。
地下通路の最奥部はJPタワーの地下エントランスとなっています。東京駅の地下ホームから地上へ出ないで直接地下通路を歩いてJPタワーのオフィスや郵便局へアクセスすることが可能になります。
地下エントランスの近くでは円柱ではなく四角い柱が立っていましたが、何のために柱の形状を変える必要があるのかは不明です。
なぜ地下通路の床面が斜面になっているのか不思議でしたが、おそらくはバリアフリー対策のためにわざと階段が存在していた地下空間を新たに削ったのでしょう。
すぐそばで撮影した地下エントランスの入り口。入口前には警備員さんが立っていました。
広大な地下空間が広がっているJPタワー前の地下通路ですが、八重洲地下街のようにお店を設けないのかが不思議です。
地下通路をくまなく散策していると、仮壁になっている個所を発見しました。この先にも地下通路は続いているのでしょうか?模型図を確認すると、動線的にこの先も東京国際フォーラム方面へ伸びているように見えます。
壁面には地下通路や東京駅を紹介している写真パネルが多く展示してありました。上の写真は昭和12年に撮影された地下道の工事の風景写真で、上に丸の内駅舎が見えます。昭和12年(1937年)といえば確か大陸で盧溝橋事件が起こったり、国内では政党政治が形骸化していったり、そんな時代だったのですね。
「地下街の通り初め」。第一次世界大戦において航空機が登場して以来、「都市防空」という観念がこの時代に登場していましたが、地下道や地下防空壕は航空機による攻撃に対して有効な防御手段であると見なされていました。この地下道もそれを見越して造られたのかもしれません。
JPタワー開業後は多くの人たちで行きかうことになると思います。
地下道の至る場所で東京駅の復原工事のPRがなされています。丸の内駅舎は今年(2012年)の10月に開業します。
地上へ出てみると、JPタワーの地上部の正面玄関が出来ていました。