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東京大学本郷キャンパスの敷地は「本郷台地」と呼ばれている山の手の高台の中に広がっていますが、キャンパスの敷地内であっても高低差が激しく、斜面や坂などが至る場所に点在しています。安田講堂の建っている高台の南側の窪地に広がっている「三四郎池」を散策していきたいと思います。
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安田講堂の南側の地形は急激な崖の地形となっていて、その崖の縁に広がっている三四郎池を取り囲むように木々が森林地帯を形成しています。一目見ただけでは大学キャンパスの敷地であるとは到底思えないですね。
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三四郎池の南東側(東大病院側)から時計回りに散策していきたいと思います。江戸時代、この地の大部分は加賀藩上屋敷によって占められていました。
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元和元年(1615年)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家が幕府から現在の東京大学の敷地を賜ります。寛永3年(1626年)前田家3代利常の時に、徳川3代将軍家光訪問の内命を受け、殿舎や庭園の造園にかかり完成までに3年を要しました。このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池の名前は心字池と名付けられました。
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南側から撮影した三四郎池の全景です。池の北側と東側を取り囲むように高い崖の地形が広がっており、崖の上の高台の上に各学部のキャンパスが建てられているのです。
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東京都心部には至る所に江戸時代の大名屋敷の庭園が残っていますが、ここまで地形の起伏が激しい場所に造成されている日本庭園は例がないですね。
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加賀藩以外にもいくつかの藩がこの地に屋敷をおき、現在附属病院が設置されている場所は富山藩・大聖寺藩、弥生・浅野キャンパスは水戸藩・安志藩の屋敷地でした。これらの屋敷地は明治維新に際してほとんどが新政府に収公され官有地となったのです。
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池の中の木橋を渡って散策を続けていきます。
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池の周囲の木々が水面の上にせり出している状態なので、快晴の天気の中を散策しているはずですが、ものすごく薄暗くひっそりとした雰囲気に包まれていました。
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本郷キャンパスの敷地内には、江戸時代の加賀藩の上屋敷出会った頃の建物の遺構が至る場所に残っています。御守殿門である赤門もそうですし、石垣なども残されています。
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三四郎池の周囲は散策道がしっかり整備されているので歩きやすいです。
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明治時代になり、1876年には藩屋敷の跡地に東京医学校(東大医学部の前身)が移転、ついで翌1877年には医学校と東京開成学校(神田錦町に所在)を統合して法理文医4学部からなる(旧)東京大学が発足します。
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その後順次、神田から法・文・理学部がここに移転(1884-85年)、ついで法学部との合併により司法省法学校が、工芸学部との合併により工部大学校が本郷に移転し、1888年には法医工文理5分科大学(学部)の校舎からなる東京帝国大学の校地として整備されました。
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三四郎池の中央には浮島があり、松の木が植えられていました。
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高台の斜面の滝の前を通りすぎていきます。周囲には滝の流れ落ちる音だけが響き渡っていました。
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夏目漱石の名作『三四郎』は東大本郷キャンパスが主な舞台であり、この池が何度も出てくることから「三四郎池」と呼ばれるようになったのです。
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1923年の関東大震災による校舎・施設の壊滅で、いったんは代々木など他地区への校地移転が検討されたものの、結局東大はこの地区に存続することとなります。
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