緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

厳冬の青山霊園:高台に広がる青山霊園と、枯れ木桜の並木道 PART1

2013年02月11日 12時38分50秒 | 城南・港区全域


2月の上旬の平日、港区の西麻布二丁目地区を通っている外苑西通り「西麻布交差点」にやってきました。「笄川(こうがいがわ)」という名前の河川が作り出した谷津地形の中を少し歩くと、高台の上に広がっている「東京都立青山霊園」の広大な緑地帯が見えてきます。




低地の中を通っている外苑西通りから青山霊園の高台の中へまっすぐ伸びている「霊園中央通り」を散策していきます。青山霊園入口であるこの場所の東側には在日米軍基地(赤坂プレスセンター)の敷地が広がっているのです。




中央通りの桜並木道の最南端部に「東京都立青山霊園」の看板が設置されていました。この看板が設置されている場所は笄川の谷津低地から高台へと伸びている急斜面に位置しています。




上記の通り、中央通りの並木道は急な上り坂となっていて、意外と高低差の激しい場所に霊園が造営されているのがわかります。たまに通りをタクシーなどが通り抜けていくのですが、エンジンを唸らせながら走っていきます。




車道から桜並木道を撮影してみました。青山霊園の敷地を南北方向に一直線に続いている目抜き通りとなっていて、道の両側にはソメイヨシノの桜並木道が整備されています。2月の今の時期では枯れ木の並木道となっていますが、4月の上旬になると見事な桜のトンネルの中を歩くことができます。




「西十八通り」の脇を通り抜けていきます。青山霊園の敷地は南北に通っている中央通りと、東西方向に横断しているみゆき通りによって、四つのブロックに分けられています。




一番南側から北へ向かって東西方向に伸びている通りが「西十八通り」「西十七通り」・・・の順番に続いているのです。




そして青山霊園の墓地内の区画は「一種イ」「一種ロ」「二種イ」「二種ロ」の四つに区切られているのでわかりやすくなっています。




「一種イ12号」地区の中を少し見ていきたいと思います。青山霊園は1872年(明治5年)に美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設されました。当初は神葬祭墓地であり、1874年(明治7年)には市民のための公共墓地となったのです。




墓地の中は非常に起伏が激しく、平坦な地面などは一切存在していないほどです。斜面の中にお墓が建てられているなど、非常に立体的な霊園であることがわかります。




この辺りには戦前の軍人や政治家、藩士の人たちのお墓が多く集まっていることがわかりました。全体的にみるとお墓一つ一つがものすごく古いように見えます。




何といいますか、戦前の時代の墓地がそのまま残されている雰囲気ですね。各界の著名人の人たちのお墓が数多く集まっていて、ある意味「ブランド化」している青山霊園は(墓地として)人気が高いそうです。




場所的にも六本木や西麻布の住宅地に隣接しており、平日の昼間であっても大都会の喧騒と無縁な雰囲気に包まれています。




標高25メートル前後の高台の上に造営されている青山霊園の敷地内からは、六本木の高層ビル群などを眺めることもできます。ただ、ベンチや休憩所などはほとんど設置されていなかったです。




お墓の雰囲気が戦前そのものですが、改修工事などは実施されているようであり、「朽ち果てるまま」ではなかったです。霊園の散策も中々面白かったです。




東京都公園協会の青山霊園の区画図を拝借してきました。現在地は「一種イ12号」区画の「西十七通り」です。



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