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緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

10月の外神田:三組坂交差点から不忍通り・湯島中坂下まで PART2

2020年02月12日 06時01分00秒 | 台東・上野周辺


「清水坂」の坂上一帯から、西側に広がっている文京区の湯島二丁目地区の市街地を見渡して撮影しました。中低層マンションや個人住宅の街並みが広がっていました。




「清水坂」の歩道を北側へ向かって歩いていくと、前方に「三組坂上交差点」が小さく見えて来ました。




南東側から「三組坂上交差点」の全景を撮影しました。交差点から東側へ向かって伸びているのが、名前の由来となっている「三国坂」となっています。




「三組坂上交差点」から東側へ向かって伸びている「三組坂」の下り坂道の全景を撮影しました。坂道の周辺は、文京区の湯島三丁目地区の市街地が広がっています。




「三組坂上交差点」の横断歩道を渡っていきます。




「三組坂上交差点」の北側歩道を、東側(坂下方向)へ向かって歩いていきます。「三組坂」の坂上の一帯には、格安で泊まれるようなビジネスホテルなどが集まっていました。




元和2年(16161年)の徳川家康の死去にともない、家康お附きの中間(ちゅうげん)・小人・駕籠方「三組の者」に、当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えます。その後、元禄9年(1696年)に三組の御家人拝領の地である由来を大切にして 町名を「三組町」と改めた経緯があります。この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられました。




「ホテル江戸屋」の敷地脇を通り抜けていきます。JR御徒町駅や地下鉄銀座線の上野広小路駅前の繁華街に程近い場所だからか、ホテルや宿泊施設が多く集まっています。




北西側から、「三組坂」の途中に建っている「全国家電会館」の建物の全景を撮影しました。




東側へ向かってまっすぐ伸びている「三組坂」の歩道をひたすら歩いていきます。「日本薬科大学御茶ノ水キャンパス二号館」の建物前を通り抜けていきます。




東西方向に通っている「三組坂」の一帯は、文京区の湯島三丁目地区の市街地がどこまでも広がっていました。




「全国家電会館」の建物前から振り返って、西側(三組坂上交差点方向)へ向かって伸びている「三組坂」を見上げて撮影しました。




「東京都電機健保会館」の建物前から、東側へ向かって伸びている「三組坂」の坂道を撮影しました。




「三組坂」の坂下前にやってきました。更に50メートルほど東側へ向かうと、不忍通りの「三組坂交差点」前に出ることができます。




坂下前から振り返って、「三組坂」の南側一帯の湯島三丁目地区の住宅密集地帯を撮影しました。



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10月の外神田:三組坂交差点から不忍通り・湯島中坂下まで PART1

2020年02月12日 06時00分00秒 | 台東・上野周辺


文京区の湯島二丁目・三丁目地区内を南北方向に通っている「清水坂」の上り坂道を北側へ向かって歩いていきます。歩道内から西側一帯の湯島二丁目地区の市街地を見渡して撮影しました。




「清水坂」の上り坂道の歩道を北側へ向かって歩いていくと、湯島三丁目地区内に建っている「妻恋神社」の案内板が見えて来ました。歩道内から東側へ向かって伸びている通りへ進みます。




湯島二丁目地区内の住宅密集地帯の中に「妻恋神社」の境内の敷地が広がっています。周辺は個人住宅や中低層マンションなどが密集して建ち並んでいました。




南西側から、湯島二丁目地区内に建っている「妻恋神社」の敷地の全景を撮影しました。湯島地区の丘陵地帯の東端部の急斜面に立てられている神社なのですね。




「妻恋神社」の正門鳥居前にやってきました。江戸時代には関東総司稲荷神社とされており、「關東總司 妻戀神社」と称していました。また、日本七社(日本七稲荷)の一つとなっています。




神社境内の中には小さな本堂と、神社関係者用の事務所の建物が建っているだけの小さな敷地となっていました。平日の午前中に時間帯だったので、敷地内はひっそりとしていました。




伝説によると、日本武尊が東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき大暴風雨に会い、妃の弟橘媛(弟橘姫命)が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救います。 その後に東征を続ける尊が湯島の地に滞在したので、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝えられています。




本堂と事務所の建物脇には「妻恋稲荷」という名前の小さな稲荷社が設置されていました。




「妻恋神社」の敷地内から退出して、敷地南側を通っている通りに戻ってきました。この通りには「妻恋坂」という名前が付けられています。




「妻恋坂」の通りを西側へ向かって進み、「清水坂」との交差部にやってきました。歩道内から振り返って、南側(清水坂下交差点方向)へ向かって伸びている「清水坂」を見下ろして撮影しました。




北側へ向かって伸びている「清水坂」の急な上り坂を上っていきます。




清水坂の坂上周辺から、西側に広がっている湯島二丁目地区の閑静な住宅密集地帯を撮影しました。この辺りまで来ると、最寄りの鉄道駅は東京地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅ということになるのでしょうか。




「清水坂」の両側には中低層マンション以外に、オフィスビルや雑居ビルなども建ち並んでいました。




この辺りが「清水坂」の坂上周辺ということになりますね。




「清水坂」の通りを更に北側へ向かって歩いていくと、前方に「三国坂上交差点」が小さく見えて来ました。



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