
「谷津干潟」の周囲に整備されている散策道を、谷津干潟の南岸の「谷津干潟自然観察センター」の敷地前から反時計回りに散策していきます。12月上旬の真冬の時期の散策だったので、谷津干潟の周辺は冷たい北風が吹き抜けて行きました。

この日の千葉県北西部の一帯は、雲ひとつない快晴の青空が広がっていて、たまに小さな雲が北側から南側へ向かって流れていく天候が広がっていました。

「谷津干潟」の南岸一帯には、ススキや葦(アシ)の植栽が広がっていました。12月上旬の時期だったので、これらの植栽は枯れ草状態となっていました。

「谷津干潟」の南岸に整備されている歩行者用通路を、反時計回りということで東側へ向かって歩いていきます。12月上旬の真冬の時期だったので、歩行者専用の遊歩道内は人通りは全くありませんでした。

私が現在歩いている「谷津干潟」の南岸の遊歩道のある場所ですが、元々は東京湾の海面だった場所です。1960年代から1970年代の高度経済成長期に船橋市・習志野市の海岸は徐々に埋め立てられていった経緯があります。わかりやすく言えば、国道14号線(千葉街道)の南側一帯は、全部海でした。

南側から、南岸遊歩道内から「谷津干潟」を見渡して撮影しました。正面に広がっているのは、習志野市谷津地区内の「シティ21谷津パークタウン」の大規模マンション群となっています。

南西側から、南岸遊歩道内から「谷津干潟」の東側一帯に広がっている秋津地区の住宅密集地帯と「千葉県立津田沼高校」の敷地を見渡して撮影しました。この秋津地区の一帯も1970年代の埋め立て工事によって生まれた場所となっています。

誰もいない「谷津干潟」の南岸の遊歩道を東側へ向かって歩いて行くと、そろそろ「谷津干潟2号水路」に架橋されている人道橋が見えてくるはずです。

長方形の形をしている「谷津干潟」の敷地の南東角に架橋されている、「谷津干潟2号水路」の人道橋前にやってきました。この人道橋を渡っていきます。

北側から、「谷津干潟2号水路」の河川を見渡して撮影しました。「谷津干潟」の敷地の南東角から東京湾(千葉港)へ向かって流れている人工的な河川であり、東京湾内の潮の満ち引きによって「谷津干潟」の中に海水が流れ込んだり流出させたりする役割を持っています。

「谷津干潟2号水路」の河川の西側一帯は、習志野市の秋津地区の住宅密集地帯が広がっています。水害などが起こらないように、秋津地区の住宅街は高台の上に整備されているのですね。

南東側から、「谷津干潟2号水路」の河川の人道橋上から広大な「谷津干潟」を見渡して撮影しました。この日の谷津干潟は、干潟内の隅々まで海水が入り込んでいる状態となっていました。

東側から、「谷津干潟2号水路」の河川の人道橋脇から「谷津干潟」の南岸に整備されている遊歩道の全景を撮影しました。

「谷津干潟2号水路」の河川の人道橋脇から、次は「谷津干潟」の敷地東側に整備されている歩行者専用の遊歩道を、北側(津田沼地区方向)へ向かって歩いていきます。

「谷津干潟」の敷地東側に整備されている歩行者専用の遊歩道内から干潟内を見下ろしてみると、干潟底部の砂利部分が透けて見えました。「谷津干潟2号水路」へ向かって、干潟内の海水が猛烈な勢いで流れ出始めていて、数時間後には干潟内は干上がってくるのではないでしょうか。

日本政府・財務省が所有しているこの「谷津干潟」ですが、元々は「利根川放水路」という利根川と東京湾とを結ぶ人工河川が通るルートになっていました。なのでこの谷津干潟のある場所は埋め立てが行われずに、長方形の形の「谷津干潟」が残されたという歴史的経緯があります。
