懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

死ぬまでにやっておきたい五ッの事

2016年06月05日 | 日記
死ぬまでにやっておきたい五ッのこと

以前、映画で「死ぬまでにやっておきたい10の事」というのがあった。若くして末期がんの女性が残される夫や子供のために10の事を実践した物語だった。

私は56歳で歩行障害になった。定年の60歳では杖が必要になった。それでも定年後二年半は再雇用で勤めたが杖二本で何とか歩行しながらの勤めだったがついに解雇になった。
何度も入院して検査と治療したが改善しなかった。
医者からは神経の難病と診断された。足から手、目と抹消部が次第に悪くなっている。
特効薬がないから難病に指定されるのだと思った。
会社を辞めてからは車椅子生活になった。
私の先輩や同僚は70歳までは半数が仕事をしていた。私も定年後は70歳までは働くつもりだった。
家庭でも仕事でも社会でも何の役にも立たない人間になった。生きてゆくためには出来ない事を悔んでも仕方が無かった。こんな自分でも何ができるかを考えた。

人生の総決算に自分史を残す人が多い。しかし、自分には自分史に残せるものは無かった。勉学も仕事も家庭も精一杯やったかとなるとあやしい。生きる工夫やノーハウの蓄積もあまりない。
過去に図書館で自分史を何冊か見たがあまり面白くない。失敗や愚かさやトラブル、夫婦の不仲、セクハラやパワハラはなかったのか。人間叩けばホコリもでるでしょうとおもった。
一万二千人買春した横浜の中学校長の自分史も綺麗ごとを並べるのであろう。
だから自分史なんか絶対に書きたくなかった。

自分には長年撮影してきた写真しか遺すものはなかった。
写真はカメラを覗きシャッターを押すだけと思われがちだが四十年も経過すると写真がメッセ―ジを発してくれる。
過去の写真を整理していると写真は自分の思考の記録だなと思った。ボンクラでも撮る必要性や将来予測をしてシャッターを押しているのだ。それは本人が亡くなっても未来永劫、本人の化身としてメッセージを発するのである。(写真が時代を語るものは人々の生活の写真にかぎられる。自然はだめ)

私は長年、茅葺民家の写真を撮っている。写真の整理と共に死ぬまでにやっておきたい五つの事を設定した。

1.茅葺民家を四千軒撮影する。
人間は数値目標にしたほうが頑張りやすいし「見える化」される。これは24年間掛けて4500軒撮影できた。撮影に要した延べ日数は460日。車椅子生活者が撮影を続けるのはハンディであるし家内に全面的に手伝ってもらわないとできない。しかし、やるのに健康は関係ない。情熱があるかやり抜く精神力があるかで決まる。健康でも何もしない人は大勢いる。 私よりはるかに茅葺民家を撮影した人はいるが、私はこれで満足している。撮影を始めたのがイチローのオリックスに入団した頃だった。イチローの安打をライバルに頑張った。

2過去に撮影したフィルムのフィルムスキャンをする。
ネガなど今の時代残されても子供は迷惑なだけ。パソコンで見られるように電子化の必要がある。フィルムスキャナーを購入しコツコツとほぼ毎日30枚以上やった。今は外注でスキャンをやってくれるが高画質スキャンだと250万円かかる。フィルムスキャナーは需要がないので高いがそれでも自分でやるとはるかに安い。仕事を辞めて七年半ですべてのスキャンは完了した。

3.スキャンした写真をプリントし写真展を定年後、五回以上行う。
昨年9月に五回の写真展を実施した。一回目、茅葺民家、二回目、昭和の古い町並み、三回目、昭和の蒸気機関車、四回目、岡山の茅葺民家 五回目、昭和の遺物たち
9月に六回の写真展を行う予定                   

4.写真のアルバムを作る。
A4プリントをクリアーファイル50冊作る。A3サイで500枚プリントする。アルバムにすることでみんなに見せやすい

5.撮影のため訪れた土地の紀行文を残す
 ワードで文と写真 300箇所

難病になって14年、死ぬまでにやっておきたい五ッのこともほとんど終わりに近い。これが健康であれば終わっていたか疑問だ。健康であれば整理作業など面白くないカメラを持ち日本中、世界中を駆け回っているに違いない。健康な人は体を動かした方が楽しい。何の整理もしないために亡くなって処分される人も多いと思う。健康ならば女あそびで妻に愛想をつかされる熟年離婚していたかもしれないな。

人間死ぬ間際がくるといろいろ生きた証に作品を残すがこれは残された子供たちにとってありがたい事かどうか疑問におもう。押入れを一つ占領する資料の量、遺書に書いておかねばならない。
興味が無ければ人にあげるかゴミとして処分してほしいと。


蒸気機関車 日豊線南延岡の8620形

2016年06月05日 | 蒸気機関車
大正時代に製造の8620型蒸気機関車にはいとおしさを感じる。
蒸気機関車の終焉まで残ってくれたのは嬉しい。
現在も復活した8620型蒸気機関車もあるようだ。

8620型は南延岡に開業当時から終焉まで所属していたそうだ。
細島線や入れ替え作業に使っていた。
門鉄デフタイプの8620型も南延岡には所属していた。
写真の一台はプレートに型式が入っていた。

過去に撮影した蒸気機関車を一人でこっそり眺めていると心が落ち着く。
高齢になっても若い頃の思い出として私のように楽しんで人もいるだろう。

病院に入院している時に自分の撮った写真をDVDに入れて見た事があった。