懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

ラーメンと蛍見物

2016年06月24日 | 日記
今年も蛍見物に行った。
子供が小さかった頃は毎年蛍見物に行った。子供が喜ぶさまが見たくて毎年行った。
子供の手が離れても夫婦で毎年見に行っている。

岡山県も総社市から上にはきれいな、いつも流れている川ならばいるようだ。
私は豪渓の槇谷川に見に行く。
私も家内も健康に不安がある来年も夫婦で見えるかと思いながら毎年、恒例行事になっている。

今年は平日だったので三組しか見に来ていなかった。
家内は15年前に友達を連れて蛍を見に行った。その友達は田舎に住んでいるのに50歳まで蛍を見たことがなかっという。その時、大変感動して自分で毎年見に行くようになった。

息子は東京勤務の時に子供を連れて何時間も掛けて相模湖の周辺に見に行ったが蛍は少なかったと言っていた。
その後息子は岡山の勤務になり孫を連れて毎年蛍見物に行っている。
子供の頃の実体験は必要だと思う。キャッキャ言って喜ぶ姿が子供には必要とおもう。

蛍見物に行く前に総社市の国道180号線沿いのトンペイというラーメン屋でラーメンを食べる。美味しいのだが客は余り多くない。この日もわたしら夫婦だけだった。
間もなくしてもう一組の夫婦がきて安心した。この店で座れず待った事など無かった。
一度だけ車が10台停まっている日があった。それでも席は空いている。
こんな時は今日は客が来ているとこちらが嬉しくなるものだ。
年間に四、五回しか行かないが今日は客が来ているかとこちらが気を使う。
地方都市では人口のパイが大きくない。
一杯550円のラーメンを頼んだ。普通サイズのラーメンをやっと食べた。若いころは大盛ラーメンにおにぎり二個が定食だっのに

昭和の遺物たち  屋根 その2

2016年06月24日 | 昭和の遺物たち写真展
倉敷市下津井の小高い山に登り町並みや海の風景を撮影した。瀬戸大橋の建設が始まると風景はどう変わるのであろうか。漠然とした思いで撮影した。
ただひとつ定年になったころに自分はどんな時代に生きたのかを検証するため現状をカメラに残した。

会社に入ったころは会社の案内に何年かすると電蓄が持てるようになると書いてあった。
電気蓄音機が持てる。今の人に言ったら笑われる。
電蓄はその後はステレオとかコンポとよばれた。
車を持てるとは夢にも思わなかった。しかし、10年後にはサラリーマンでも車を持てる時代がきた。 昭和47年2月の蒸気機関車のサヨナラ運転に乗用車で撮影に来ている者が多かったこと。
この前まで国民服の中国がファッションに身を包み車を持つ時代になった。
時代は大きく変わっていくものだ。

下津井も瀬戸大橋が出来て海岸は埋め立てられ広い道路が海岸に沿い走っている。
本瓦葺きの民家は江戸や明治期のものが多く解体補修の必要な物が多かった。
今は解体された家も多いと思う。

写真展をしたときに80歳を過ぎた男性が瓦屋根の写真を撮っているので場所を教えてほしいと言ってきた。現在も残っていると思ったのか折角やる気があるのに腰を折るのは悪い思い教えたが何事もタイミングである。若いころになんで興味を持たなかったのかとおもう。
光陰矢の如しである。時代は引き戻せない。今からでもやれることは何かあるはずだ。