懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 島根県広瀬町三郎谷の民家

2012年06月20日 | 日記
撮影場所  島根県広瀬町三郎谷

国道432号線で広瀬町から八雲村に抜ける峠道を走っていた。
九十九折の狭い道、車一台の通れる細い道、三郎谷に差し掛かったら茅葺き民家が見えた。

こんな道を走ったのも茅葺き民家に出合うため、苦労しても茅葺き民家に出合わない事もよくある。
しかし、出合った時の喜びは大きい、こんな出合いは決して忘れない。
そんな喜びの一軒だった。
現在は新しい道が付いて走りやすくなっている。
峠越えのトンネルの名前が駒返しトンネルである。
駒返しの地名は沢山ある。登りがきつくなり馬では越えられず人が歩いて荷物を担いで登った。
鳥取県の智頭町から岡山県の西粟倉村に抜ける峠には駒帰の地名がある。

時間とガソリンを使い脇道、細道、怖い道ばかり走ってきた。
こんな事をやっても誰も誉めてくれない。誉めてくれなくてもよい。人から評価を受けるためにやるのか
自分の人生を楽しみ、たくさんの巡り会いと感動をもらうめにやるのではないか


昭和の古い町並み写真展 その37 「昔ながらの店  呉服屋」 倉敷市本町

2012年06月19日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その37 「昔ながらの店  呉服屋」 倉敷市本町

倉敷市本町にあった呉服屋さんの中を撮影させてもらう。
柱時計に陳列棚、家の梁に時代を感じる。
暗いので三脚を使い自然光で撮影した。

撮影しながらこんな商売がいつまで続けられるのだろうと思いながら撮影した。
それでも倉敷の古い町並みの中に呉服屋は三軒あった。

呉服というのは絹織物の反物を指す言葉だそうだ。
麻や綿織物は反物の巻きが太くなるので太物と呼ばれている、それを扱う店は太物商といわれていた。
呉服屋と言うと服を売っている店と誤解している人がいる。
呉の国から来たは服部(はとりべ)の略が由来の意味だそうだ。
中国の呉の時代に絹織物が日本に伝来した。絹織物を編む技術集団を服部と言われていた。
部が付くのはその当時技術集団で陶器や瓦を焼く須惠部、土師部などが今も言葉として残る。

蒸気機関車  通勤列車

2012年06月18日 | 蒸気機関車
撮影場所 筑豊本線直方

直方操作場は広いヤードである。
標準レンズで撮影するためにはヤードの中に入り込み広い場所で行き交う機関車を撮らざるをえない。鉄道ファンとしてあるまじき行為をしないと撮影できなかった。いまのようなズームレンズのないカメラの時代には

入れ替え用のC11型蒸気機関車が近づいて来た。誘導担当者が旗を振りながらすすんできた。
通勤姿の人が乗っている。思わずシャッターを切った。
前にも後ろにも人がしがみついている。

直方駅から操作場の職場まで正規の道を歩くと30分近くかかるのであろう。
入れ替え用の機関車を足代わりにつかっているのであろう、
これは明らかに就業規則違反であるがそんな事は大目に見る時代であった。

茅葺き民家 新見市の煙草農家

2012年06月17日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県新見市法曹

新見市のカルスト台地では稲作が出来ないので煙草の生産が盛んであった。
しかし、禁煙者の増加で煙草の生産農家は二割にまで減少し果樹栽培などに転作する農家が増えている。
カルスト台地は石ころだらけ石灰岩が地表に露頭したカレンフェルトがあちこちでみられる。
茅葺き農家の裏の畑にも石灰岩が露頭している。
家のまわりには煙草を植えている。夏場だったのでそろそろ収穫の時期である。
茅葺きが小屋を入れて二棟その横には煙草の乾燥小屋がある。
この乾燥小屋も沢山残っていたがこれも取り壊されたところが多い。

四月に煙草を植え付けた後は三角帽子で霜除けをする。
その写真は撮影する人は多いが成長から収穫、乾燥の工程まで撮影した写真はすくない。
私も茅葺き民家が撮れればよい程度の感覚で撮影している。煙草の栽培や収穫まで撮る気はなかった。
その点、民俗学の写真を撮っている人は農作業、農家の暮らしを記録するのに主眼を置いているので写真に説得力がある。
写真だけを撮影する人はコンテストに合格する写真だけを撮るので記録性に乏しいと思う。


石灰岩の露頭したカレンフェルト



煙草栽培



昭和の古い町並み写真展 その36 「昔ながらの店 醤油店 自転車 岡山県高梁市片原町

2012年06月16日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その36 「昔ながらの店 醤油店 自転車 岡山県高梁市片原町

醤油屋の前に配達用の自転車がおいてあった。
配達をするために瓶が割れないようにイグサで編んだキャップをかぶせていた。
今ならばクッション材は沢山ある。
容器も一升瓶、党紀磁器の瓶、木製の樽が一般的だった。
酸と塩に強い材質でないと使えない。
昭和50年以降はペットボトルと紙パック、アルミ缶、スティール缶の出現で重い瓶や甕は激減した。
ペットボトルは廃棄物の問題、ゴミの問題で商品化に時間がかかった。
東南アジアではペットボトルではゴミ問題で販売禁止の国もあるそうだ。

軒下に空瓶を積んである写真を見た人がこれも昭和の風景ですねといった。

蒸気機関車 さよなら三重連

2012年06月15日 | 蒸気機関車
撮影場所 伯備線井倉鉄橋

昭和47年3月布原の三重連も廃止されDD51(ディゼル機関車)におきかえられた。
47年2月になれば運転手の訓練のためディゼル機関車による運転がおおくなった。蒸気機関車の多くは3月のダイヤ改正で本州から姿を消した。

そのファンサービスの一環として岡山から新見まで三重連の客車が運行された。
二、三回開催されたのではないかとおもう。
客車に乗って楽しむ人や沿道はカメラを持った人でごった返した。
対岸から撮影しはないといけないので遠回りして橋をわたった。
普段はダイヤを見て鉄橋を渡って歩いていた。
大勢の手前こんな事も出来ず橋を使い対岸に渡った。

この日は風も少なく蒸気機関車の姿が水面に写った。
シャッターがバチバチ切られ機関車が通り過ぎた後からはため息ともどよめきともとれる声が聞こえた。うまく撮影出来なかったのであろうか。
もう三重連の姿は撮影できなくなった。 私も一抹の寂しさを感じながら帰路についた。

国鉄伯備線 美袋駅

2012年06月14日 | 鉄道
国鉄伯備線 美袋(みなぎ)駅

この当時から古臭い駅である。今もダルマポストはあるのだろうか
現在もほとんど変わらないと思う。現在は有形文化財に登録されている。・
蒸気機関車の写真を撮りに立ち寄った。
ホームに停車するSL普通列車でも撮っておけばよかった。

美袋の町は松山往来(高梁市への道)の途中で休息や宿泊で立ち寄よる町であった。
茅葺き民家などあり古い町並みがあった。
汽車の時間がなくまた来ようと思って40年が過ぎた。
思ったらすぐに行動に移さないといけない。
後でというのはやらないに言っているようなものだ。
人生長くやっていると反省ばかり

茅葺き民家 小屋のある風景

2012年06月13日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県神戸市

神戸市の郊外の農家の多い地域にあった小屋。
豪壮な茅葺き民家もよいがこんな小屋も生活感があって好きだ。母屋と同様、数多く撮ってきた。
農作業に必要な資材が収納されている。
民家を撮影している人は屋根や周囲の風景を見ただけでどこの地方の民家か当てる。
昔からの民家であれば屋根の勾配、屋根の材質、葺き方、飾りでどの地方の民家をあてる事ができる。
旅行をしていてもただ漠然と外を見るのではなく地方、地方の特徴を確認、記録しながらやっているのだろう。

この小屋の造りや周囲の風景から神戸市近郊の民家である特徴がでている。
1.池の周りの小屋は棟飾りが「めわら」である。
2.後ろの蔵の丸い明かり窓は摂津、丹波地方の特徴である。




昭和の古い町並み写真展 その35 「昔ながらの店 醤油店 職人」 岡山県高梁市片原町

2012年06月12日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その35 「昔ながらの店 醤油店 職人」 岡山県高梁市片原町

醤油の製造しているところを撮影させてもらった。
昔ながらの製造機械がおいてあった。
今ならば琺瑯びきの鉄製の容器がプラスチック製の容器が使われるのであろう。この当時は木の樽である。
味噌や醤油は塩が入っているのでステンレス製は使えない。
樽のいいところは酵母菌が付着している事である。
醤油の発祥の地と言われている和歌山県の湯浅町の醤油蔵は酵母菌が建物の梁などに付着していて
醤油造りには欠かせないと旅行番組でよくやっている。

プレス機は梃子の原理で石の重さで力を調整している。
職人さんも一緒に撮影させてもらう。
自然光で三脚を使い露光時間は一秒前後で何枚か撮影する。

撮影する前はねじり鉢巻きだったが撮影する段になりとってしまった。わたしとしては鉢巻きのほうがよかったのだが、鉢巻きをはずすのが礼儀なのかとおもった。
高齢の女性を茅葺き民家の前で撮影させてもらった時も姉さん被りをはずした。
昔はそれが礼儀だったのであろう。
余談だが鉢巻きというのは頭の額や頭蓋骨を「はち」という。そこを巻くので鉢巻きというそうだ。
ばったり会ったり、頭が当たりそうになる時に「はちあわせ」になるという。


同じ職人さんこの撮影の時が若かった
この建物は壊されて現在はない。

蒸気機関車 室蘭本線沼ノ端

2012年06月11日 | 蒸気機関車
室蘭本線上り客車

撮影場所 蒸気機関車 室蘭本線沼ノ端

訪れたのは六月であった。
北海道には梅雨がないという言葉に乗って北海道にきたももの毎日梅雨模様だった。
北海道と青森はどれほど離れているものか、北海道の南部には梅雨があってもおかしくない。
小学校の頃には梅雨は北の高気圧と南の高気圧の間に前線が出来て曇りや雨の日の梅雨となると習った。
しかし、気象衛星で雨雲を監視するようになり梅雨はインド洋で発生する大量の雨雲がヒマラヤを越えて中国や日本まで運ばれる事がわかった。
はるかインド洋から運ばれるのだから北海道まで届いても不思議ではない。
何事も自分で体験してみることだ。

いつも冬場に北海道を訪れたので夏場に訪れる事にした。
室蘭本線は平坦で直線が続く夏場は煙も蒸気も出さずC57の客車は快速に通り抜ける。
昔の手動フィルムカメラで標準レンズでは一枚だけ撮影する。
二枚三枚と欲張って撮っても失敗作、ぶれているかピントが合っていないが機関車がはみ出しているかだ。

この周辺は湿地でウトナイ湖にも近い冬場は白鳥や鴨の越冬地
春には水芭蕉が沢山咲いている。10年ほど前に春にこの近くを訪れた事がある。
北海道ならこんな平地にも水芭蕉が咲くのだ感心した。

汽車を待つ時に電線にカッコウが止り大きな声で鳴いていた。
カッコウは身体に似合わずよく通る大きな声でなく。電線に止りなくのは北海道だと思った。


室蘭本線下り客車