懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家  母子

2012年06月10日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県奥出雲町

田植えの準備で田起こしをやっている父親の姿を見に母親が子供をつれてきていた。
茅葺きが後ろに見えたのでバックに入れて撮影する。

父親の両親と同居しているそうだ。山間部の農家に嫁いで両親と同居は難しい。
山間部では嫁探しも難しい。
山間部に行くと東南アジアの女性嫁に来てほしい旨のポスターが貼られている。

両親との同居は特に難しい、嫁姑の問題はいつの時代でもつきまとう。
私の近所に新築した家がある。新築の家で若夫婦が母親と同居する事になった。
入居して半年したら嫁と子供の姿が見掛けないので聞いたら離婚して嫁は子供を連れて別に暮らしているそうだ。何のための新築同居であったのかと考えさせられる。

NHKの番組に鶴瓶の家族に乾杯という番組がある。日本の家族のよさや地方で逞しく生きる人々に出合いいつも楽しみに見ている。

茅葺き民家を撮りながらも家族、夫婦を撮れればよいと思っている。何世代も同居している家族の姿が珍しくなるかもしれない。




昭和の古い町並み写真展 その34 「昔ながらの店 醤油店 瓶」 

2012年06月09日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その34 「昔ながらの店 醤油店 瓶」 岡山県高梁市片原町

高梁市の古い町並みに醤油屋があった。昔ながらに瓶で量り売りである。
戦後、私の子供の頃の光景がそこにあった。
これは写真に撮り記録しないといけないとおもった。
店の方に挨拶に行き三脚で撮影させてもらった。手持ちでは撮影できない暗さであった。

瓶だけでなく木製の台、帳場、古時計が懐かしい。
生活の風景を記録する事は意識しないと撮影しないものだ。
「皆が撮影しないものは撮影しない」ではなく「皆が撮らないから自分は撮る」、他人が何を撮ろうと惑わされない。自分が今後きっと役に立つと信念をもって撮らないと庶民生活の記録はのこらない。

昔は流通手段が発達していなくてどこの町にも酒や醤油、味噌の製造所があった。
土地の資産家の主な産業でもあった

私も断片的にしかこんな店を撮影していない。やる以上は岡山県の醤油屋さん、酒屋さんなど昔の工場をすべて探して記録に残しておけば価値があるものになったと思う。
自分の反省としてテーマをきめて始めたらちょろっとかじって終わるのではなく徹底して完結するまでやり遂げないと作品にならないと思う。
手始めに自分の住んでいる岡山県を探訪して完結させる。次は中国地方を探訪する。さらに西日本、全国へと展開していく。いきな全国からやると挫折する公算が大きい、やれるところから始める。

それと途中で挫折しない短期目標、長期目標をきめ日々フォローしていく
事でしょうか。


蒸気機関車  踏切 その2

2012年06月08日 | 蒸気機関車
撮影場所 伯備線倉敷郊外

倉敷駅を発車して家の間を抜けて田園地帯を走る伯備線
駅から歩いて15分くらいの場所、こんなところはゴミゴミして絵にならない。
撮影ガイドブックにはほとんど紹介される事はない。
人間はガイドブックがあればガイドブックに沿った行動をしがち
現在ならばネット情報で調べればすぐに調べられる。
自分だけしか知らないだろうと思ってもみんながそれに沿って同じ行動をする。

こんな何の変哲もない踏切をよく撮ったものだ。
電柱はまだ木柱、家の外壁も板張りである。新建材でなく落ち着きがある。
車も古い、この時代でも車を持っている人が結構いたのだ。私は免許さえ持っていなかった。


最近はネットの影響が大きい。
投稿動画を見ていると踏切の動画に人気がある。
私の家に来てくれる介護の若い女性の利用者の孫が鉄道好きでパソコンで「踏切動画」と入力してくれとせがむそうだ。五歳でキーボード背の入力はできないようだ。
踏切動画見ていても面白い、警笛の音や電車の音の違いがわかるし電車の通過する風景も楽しい。
ビデオ撮影の機材も安く買えるのが昔と大きく違い誰でも投稿できる背景にある。

何の変哲もない踏切と思っていたが今となっては当時の生活感がでていて好きな光景である。








茅葺き民家 津軽

2012年06月07日 | 茅葺き民家
写真は津軽地方

津軽地方の風景や茅葺き民家を集めて見た。
定年まで勤めていた会社のOB会の文化展があり津軽の風景を出品した。
津軽を表現するには雪の風景が欠かせないが私の体では冬の津軽は無理である。
雪用のタイヤなど持っていないし運転実績もない。

津軽の風景を求めて何度も通ったがまだ撮りきれない。
二週間ほど留まればかなり回る事ができる。

津軽のいいところは民間信仰が残っている事、神社や街角の祠にも人々の暮らしが残る。
百万遍信仰や身代わり地蔵、虫追いの行事、神社には馬像が奉納されていたりお稲荷さんのキツネには寒いからかほっかむり。
サスペンスドラマに津軽の鳥居は赤い、お稲荷さんでなくても皆赤いと知った。、
高速を走っていても延々と続くリンゴ畑、太平洋側に比べて夏場の「やませ」の影響が少ないので広い田園地帯。茅葺き民家も残っている。
ガイドブックにない風景を求めて撮影をしている。

津軽の象徴はなんといっても岩木山である。
うちの家内は東北道を走っていて岩木山の見えるPAで停まったときに「まだ岩手山があるところを走っているんだ」と言った。地図が全く頭に入っていない。岩手にあるから岩手山、岩木山は松村 和子、
西日本に住む女性で岩木山と岩手山の違いが判る人は少ないようにおもう。
岩手山も岩木山も火山
北海道から関東につながる日本海溝、プレートが滑り込んでいる
海溝から200kmから300km離れたところにプレートが破断する地震域、そこから平行に200km
離れたところに火山帯がある。東北から関東までつながる火山帯の下では今もプレートが接触してマグマをつくっている。何百年、何千年の周期で活動をする火山です。

私は全く歩けないから車の中からいつも撮影する。
車の中から撮影すると写真が斜めになったのが多い。
立って撮影している人は引力で垂直に立てるので傾く事はないが。
車から撮ると坂道や振り向いて撮るとほとんど水平に撮れていない。

歩けないのは写真撮影には大きなハイディである。
しかし、諦めては折角の人生が楽しくない。
健康な人のようにやろうとおもわない、自分のできる事は何かを考える、健康な人が気付かない感性で撮影する。
歩けなくても、まだ「口」がある。話しかけて歩ける人に車の際まできてもらえばよい。立ってる者は親でも使え。
人は正面に撮影するぞとカメラを構えると身構えてしまうが車のなかから話なから撮影すると自然体で撮れる。家内にしゃべらせて私は撮影に専念する事ができる。

ばんえい競馬 昔は五所川原にもばんえい競馬があったそうだ。今は娯楽でやっていると土建屋の社長さん






雪囲い


身代わり地蔵



蕪島のウミネコ  

2012年06月06日 | 旅行
青森県八戸市の蕪島は八戸港にある。周囲800メートルで今は陸続きで下まで車でいけるが近くに置くと車の上にウミネコがとまり糞をしていく。いい車の人は離して停める。

ウミネコの一大繁殖地で四万羽と言われている。
産卵場所が無いので所かまわず産卵している。人に全く警戒しない。
それでも猫の餌食になる鳥もいるであろう。
いつ行っても蕪島には海猫はいるのだろうと思ったら四月から六月の産卵期だけ集まり後は各地に散乱するそうだ。冬場は渡り鳥として南の国に行くもの、北国で散乱したものは日本の南部に移動するそうだ。
地元の監視している人の話では毎年同じペアーで同じ場所に帰ってくるそうだ。
あのオシドリもペアーが変わる事もよくある事らしい。
海猫が毎年同じペアーは疑わしい気もする。

海猫の卵は鶏の卵ほどある大きいものだ。
ウミネコは飲んだ魚を吐く習性があり屋根や広場に魚が散乱する事がある。いつかオタマジャクシが散乱し色々な説がでた。竜巻説、いたずら説まででたが犯人はウミネコが最有力と言われている。

蕪島の上には神社がありここに登るにウミネコの糞を落とされるので傘を貸してくれる。

東日本大震災では八戸の港も津波に襲われた。
蕪島の横の車やドラム缶資材が流された映像が流れた。ゆっくりした流れが次第に速くなり埠頭にある物をどんどんながしていった。自分の訪れた場所が被害にあうのは痛ましい。









昭和の古い町並み写真展 その33 「昔ながらの店 醤油店 帳場」 

2012年06月05日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その33 「昔ながらの店 醤油店 帳場」 岡山県矢掛町

矢掛はかっての山陽道の宿場町で本陣、脇本陣が残る。
古い町並みが残っていた。

そんななか本瓦葺きの醤油店があった。
石井醤油店である。この店は現在もある、15年ほど前に醤油を買いに行った時も撮影当時の帳場は残っていた。しかし、裸電球は蛍光灯に替わっていた。

撮影した当時は土間は三和土(たたき)で梃子式の絞り機もあった。
店先での販売は瓶に入った醤油を量り売りしていた。
子供のころに見た風景がそのまま残っていたのには感動した。







蒸気機関車  直方機関区D50,D60機関車

2012年06月03日 | 蒸気機関車
直方機関区のD50,D60機関車を投稿します。
D50とD60が仲良く並んだところを撮影する。

D50蒸気機関車は380両製作されたが老朽化で昭和40年頃から大量に廃止され私が撮影していたころは筑豊線と東北の一部に残っているだけだった。
保存されているのも二台で写真のD50140号機は梅小路に保存されている。

廃止を早めのは石炭産業の衰退と余剰になったD51蒸気機関車の存在であろう。

国産蒸気機関車の第二期、まだリベット打ちが見られる。
煙突もツバ付きで武骨な姿が好きなファンも多かった。
D60蒸気機関車はD50の軸重軽減をはかった改造車






茅葺き民家 棚田にある民家

2012年06月02日 | 茅葺き民家
山の斜面の棚田にある集落です。
撮影は兵庫県

京阪神へ通勤できるこの地域、新興住宅の団地がありもう茅葺き民家などないと思ったが地図を見ると奥に集落がありそうなので山道を登っていく。
斜面は棚田になっていて水田と共に民家が斜面に建っている。
百戸ばかりの集落に茅葺き民家も点在している。

昔からの集落があった。住環境としては厳しいところだ道も狭く行きどまったら引き返せない。
道の狭さとひしめくように建っているいるのが昔からの集落の特徴でもある。

集落の入り口の比較的広いところに車を止めて歩いて撮影た。

代掻きの終わった田をならす作業をしている男性を撮影させてもらった。
私は撮影させてもらった茅葺き民家の住所と氏名を記録している。
氏名を知ることで集落の姻戚関係や氏名から家の歴史を知ることができる。

ここの集落は7割はひとつの氏名、あとは3つくらいの氏名であった。
強いつながりを持ってこの集落に生きてきた事がわかる。












昭和の古い町並み写真展 その32 「街から消えた店 呉服屋」 倉敷市本町

2012年06月01日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その32 「街から消えた店 呉服屋」 倉敷市本町

倉敷市本町にあった呉服屋
昔ながらの本瓦葺きの古い民家に暖簾の呉服屋であった。
70代の夫婦で店をやっていた。
この頃はまで嫁入り道具に着物を持たせる時代だった。
成人式も着物が多かった。
昭和50年代はみんな車に乗る時代になり着物から活動的な服装になった。

たしかこの呉服屋さんは大川さんと言った。
それでむ暖簾に大の字が入っているのか。
関東織物で呉服屋をあらわしたのであろう。
絹織物の本場の関東織物を扱っているという意味であろうか

犬が放し飼いになっていた、今風にいえば看板犬というのであろうか
ひと眠りしたかったのだが私が立っていたのでうろうろととしてやっと座った。暖簾の下に座ったので撮影した。

最近は観光客ために暖簾を掛けるところが多くなった。勝山の古い町並みにも暖簾で町起こしをしている。地域おこしのためにはこんな演出もしないと客はこない。
しかし、演出された町並みは好きになれない。私は観光客もいないそのままの町並みが好きであるがそんな町並みは昭和時代に消えたのであろうか