思い出した、大森に有った酒屋は「中屋」と言う卸酒屋で今の様に安売りの店が無い頃から安く売っていた、特に輸入物が安く種類も豊富だった、今はマンションになっている様だ。此処でウィスキーもジンもウオッカも手に入れていた、ブランディはフランス産で聞いた事の無いが実に安い物が幾つかあった、ナポレオンだったりVSOPだったりはたまたXOだったりするがそれでも3000円台で手に入った、時々思い切って有名ブランディも買ってみたりしたが基本的には安い奴だ多かった、カミュ、グルバジェ、ヘネシー、等を買うとVSOPもしくはスリースタークラスが大体7000円位だった、XOなどは優に万尾を超える、しかし安い奴はXOでも3000円位だった、ブランディは香りを楽しむので手のひらで暖めてからとか書かれていたが大抵は氷を入れて飲んでいた、強い割りにやさしい甘さが有って嫌いではない、プレーン炭酸で割ったブランディサワーは女の子にもうけた、サントリーとニッカでも出ていたが結構高い、サントリーのVSOPは当時5000円位していたが3000円のXOの方が飲みやすかった気がする、ニッカはこの頃作っていたブランディはカルバドスだった、今調べてみると普通のブランディになっていたが私はカルバドスの方が好みに合っっていた、今はカルバドス自体あまり売っていない様だ、アップルワインそのものは飲んだことが無い、アップルワインと言うもの自体出廻っていないので外国産の物もカルバドス専用に作っているらしい、変種のブランディと言えば地方に行くと特産ワインと言うのが結構土産店に出ている、試しに買ってみるのだが大抵は甘ったるくて自分には合わない、中には「どうして此れがワインになるんだ?」と言った物もある、焼酎もそうだが基本的に糖度の低い物はアルコール化しにくい筈だ、焼酎は香り付けに入れる物も有るようだが醸造酒のワインではあまり褒められた物とはならないんじゃないかと思う、ワインで言うと房総で枇杷が有るが此れは糖度はそこそこ有るから問題ないだろうが伊豆地方の蜜柑はどうだろう、買って見たがかなり甘い、柑橘類は酸味があるので其のままでは難しい、砂糖を多く加えるのでそうなるのだろうがはたした「ワイン」と呼べるかどうか疑問が残る、梨に関しても有るようだが洋梨(今はラフランスと言うのか?)は確かに昔から有るのだが日本の梨は果たして醗酵するんだろうか?其の手を何度か買ってみて後悔した事が多かったので最近は買わないようになってしまった、余談だが焼酎は凄い、房総の落花生、栃木の栗は香りを期待して飲んで見たが全くわからない、恐らく何も言わないで飲ませたら普通の焼酎と変わらないだろう、地方の特産と出すのは良いのだがあまり粗製濫造だと返って買う前から敬遠してしまう、酒を買うのは酒の好きな人間がやはり主になって来る、旅の楽しみでも有るから話題を狙っての酒は遠慮して貰いたい
もう時効だろうからと言う事は結構ある、ぶどう酒についてもある、まあ密造酒と言う事になるのだが自分で飲むのを作っただけだからあまり罪悪感は無かったし殆どそんな事は考えていなかった。山梨の友人に教わって「適粒」と言って出荷用に形を整えた時に出る葡萄を貰って来た、10kgはあったと思う。彼の指導に従って新しい晒しを買って来て包んで潰したら2人掛かりで絞る、1升瓶に4本位採れた、一升に付き砂糖を何グラムか入れる、正確に量は憶えていない「多くすれば度数が上がるが甘くなる可能性もある」と言う事で標準で作る、彼の実家は新宿の高野と契約栽培をしている葡萄農家なので単価はかなり高い、原料は殆どピオーネで「重さで言うと1升あたり3万以上になる」と言う物になった。醗酵をさせる為に栓は新聞紙を丸めて埃が入らないようにビニールの袋をかぶせて台所の下に置いた。恐らく9月末か10月頭だった筈でその後時々見にいった友人が「いい感じだよ」と言っていた、年末最後の日に1本だけ皆で試飲する事になった、「此れは美味い、」と言う出来で「未だ少し若い、」と彼が言うとおり少し砂糖の甘みが残っていた、「後3ヶ月寝かせば最高のワインになるな」と残り3本は手を付けずに置いた、が、其のままうっかり忘れてしまい「そう言えばあれはどうなった?」と見に行ったのは梅雨に入った頃だった、何と此れが全部見事に酢に成っている、醗酵を止めなくてはならないのに紙の栓だったので醗酵はどんどん進み見事に3升で10万円のワインビネガーになったわけだが既に滓はカビが生えている、結局トイレに流したがもう一度やってみる事は無かった、今山梨では原種である「本甲州」は粒が小さくて種が多いので全く出荷はしていない」らしい、しかし「此れが山梨の原点だから」と大抵の葡萄農家は何㎡かは残している、此れを使って客が自分で絞り醸造所に醗酵を依頼し、出来上がった物を受け取る様な事は出来ないだろうか、仕上がりはあくまで自己責任、好みで他の葡萄を混ぜたりして作るのも面白そうだ、マイワインで誕生日を祝うなんぞは面白いんじゃないか、日本酒は素人がどうこう出来そうも無いが葡萄酒に関しては有る程度楽しめそうだ。ワインの摘みと言うのは変だが自分は何か無いと酒は進まない、チーズが良い、特に私はナチュラル系が好きでカマンベールが賞味期限すれすれになって流れそうな奴に少し塩を振ってクラッカーに乗せて白ワインを飲むのが何とも言えない
ワインと言えば初めて飲んだのは「赤玉ポートワイン」だったので甘ったるい物だと思っていた、結婚式で出たものを飲んで此れが間違いだと知ったのはかなり後だった、しかし自分で買うと言う事は余り無く、(高い酒)だと言う印象だったが友人のお陰で大きく変わった、友人は山梨の塩山出身で彼の実家に何度か泊りに行った、その頃自分の田舎にはもう誰も居らず正月だと言うのに実家に呼んでくれた。此処で飲んでいたのが「地酒」単に「酒」と言われるワインだった、普通の一升瓶に入って居てラベルもワインの文字は無く、醸造所と名称が書かれている、物によっては「地酒」とか「葡萄酒」と書かれて居る物もあるが此れが正月の食卓に出るのだ、「日本酒は先ず使わない」そうで昔から此れが普通らしい、しかし此れが実に旨い、少し酸味が有るが気にならない、通の人達からしたら酸味が無いと言う程度の物だ、寒い所なので縁側か土間に置いてあると適度に冷えている、炬燵に入って正月料理を食べながら飲むのだが刺身でも揚げ物でも御節でもなんでもとにかく良く合う、この付近の酒屋には普通に売って居るのだが葡萄農家は買わないで生産した葡萄の出荷に向かない物を近くの醸造所に頼んで酒にするらしい、この付近は税務署が出来上がる葡萄を確認しに来て出荷との差を計算し、捨てるのを確認しないと酒税を掛けられるらしい、それが馬鹿らしいのと捨てるのも勿体無いから酒にする事が多いらしい、その為の醸造所見たいな小さな醸造所もかなりある様だ、最近は農協の売店が20号線のバイパスに有って此処でも売っているし勝沼の「葡萄の丘」でも売っているがどう言う訳か都内では手に入らない、赤もロゼもあるが適度に冷やした奴は実に美味しく料理にも合う、焼き鳥(モツだと焼きトンと言うが全国名称かは解らない)には最高だ、刺身にも良い、揚げ物も油が口から落ちて箸が進む。都内では売って居ないので仕方なく安いワインを探して飲むのだが最近は安い物も随分出て来た、チリとスペインが安くて自分には合うな、
一時「濁り酒」という奴に凝った時期がある、きっかけになったのは福島の「白虎」と言う酒だった、その頃私は小さな機械の代理店に勤めていて其処の社長が会津の喜多方出身だった、偶々会津の会社に機械を納める事になり立会いが有った時、社長も同行して実家に泊まる事になった。そこで薦められたのがこの「白虎」と言う濁り酒だった、1合の壜に入った真っ白な酒で見た目は甘酒風だが辛口でほんの少し隠し味のように酸味がある、口当たりが良くてどんどん行ける、何本飲んだか憶えていないが飲んでいる時は楽しく酔ったと言った処だったが夜中にトイレに起きたら足元が覚束ないのに驚いた記憶が有る、しかし此れは美味かった、帰りに土産にと思ったら生酒なので醗酵が止まっていない、暖房の効いた車では破裂してしまうと言う、販売も10月から3月までで当然会津地方から外では売っていないと言う、しかしそれから15年以上経った頃義母が老人会で会津に行った帰りにお土産に買ってきてくれたので今では違うのかも知れない。この時から濁り酒に凝ってしまい売っていると買って見たがやはりあの酒を越えるものには中々会わない、メジャーなのは「五郎八」と言う物が有るが少し甘く酸味も強い、麹の粒子が残っていてそれらしいのだが味はどうも甘酒に辛口の原酒を混ぜた物ではないかと言う感じだ、違っていたらすみません、私の感想ですから、神奈川県の海老名か橋本に「橋本」と言う濁りが有ったが飲んだ感じは辛口だが後で口に残る、よく見たら糖と酸味を加えてあった、やはりそれなりの味になってしまう物だと妙なところで感心した。もう一つ此れはと言う酒に会ったのは長野県の大町だった、NTTの仕事で大町の金型工場に行った帰り、列車の待時間が余ったので駅前の商店街に有る酒屋に寄って見たら一升瓶の濁りが置いてある、「大雪渓」と言う名前で進められるまま少し試飲させて貰ったら此れは美味い、やはり生きていて壜のキャップには針穴が3つほど開いている、「それでも温度管理が悪いと破裂するよ、ここらは寒いので倉庫に置いているのだが昼間気温が上がりすぎると何本も破裂する事がある」と言われたが此れは買わない手は無いと2本買ってきた、網棚に上げて置いたが暖房が効いていたので破裂したら如何しようとその下から全員で別の席に移動して戻って来たが無事持ち帰る事が出来た、これも「冬場だけで近郷から外では売っていない」らしい、此れを大き目のぐい飲みか小柄の茶碗で飲むのが楽しい、その後も眼に付くと買っては来るのだが当然醗酵を止めた奴しか無い、それを買いに大町まで行くのも中々出来ないが機会があったら又手に入れたい酒の一つだ
村木局長の裁判が結審する、裁判所で検察の証拠を殆ど採用しないという、公人と言う種類の人達はかなりの権限を持っている、特に高級官僚と言われる人達が持っているものは強大だ、末端も少ないとは言えかなりの権利を持っている、一般人に比べたら絶対的な権力だ、例えば警察官でも一般人と警察官の解釈が対立したら絶対的に警官の方が強い、無論法に従わない犯罪者に対する物だからある程度は仕方ない、しかしそれは解釈の違いと言う事より有る程度柔軟性のある部分、悪い言い方をすれば見逃すと言う部分と別件逮捕の様な非合法すれすれの事もある、判断するのは公人のほうである、判断する権利を有している訳だ、しかしそれが間違いであっても責任を負わされない事になっているとしか思えない、菅谷さんの事件でも彼の半生を言わば意図的に奪った事に対して通り一遍の会見と「国家賠償法に基づく補償」で終わる可能性が高い、賠償金は決して安いとは思えない、数倍支払っても仕方ない位だと思う、しかし菅谷氏は「過ちを認めて此処で謝って欲しい」と言っている、この強制力は無い、つまり彼の半生を台無しにする権利は有ってもそれが間違いだった時に取るべき責任は無いのだ、一般社会では「責任者」と言う言葉は有っても「権利者」と言う言葉は法律用語しか存在しない、会社の代表取締役は会社の責任の代表者と言う事だ、責任を持って運営をする為にその責任範囲での権利を有しているに過ぎない、中小以下の企業はその為に個人的に責任を負う補償をしている、大手会社でも当然地位を掛けて責任を負う、今回の村木局長の件でも新聞に「目が廻るほど忙しい検察がわざわざでっち上げなどしない」と言う記事があったが「事件を早く片付ける為に検察がこうだろうと思った形の調書を作る」と言うのは被告の話を一々聞いて確認するよりずっと楽だろう、最初から犯人を決めて其処にあわせた供述を作成し、自白を迫る。此れは殆ど伝馬町と同じだ、この間厚生省の仕事に及ぼした影響は大きい、恐らく此れで無罪となっても検察は良くて「判決を真摯に受け止めて今後この様な事が起きないように」と言ったコメントで終えるだろう、民事では裁判に負けた側が争議に掛かった費用を負担するのが原則である、この費用は全て税金なのだ、検察の責任者は自らの資産を持って補填しべきではないか、薬害エイズ問題でも同じ様な事が有った、日本は新薬の認可に時間が掛かる事は有名だが知人が発明した物を厚生省認可を取ろうとしたら丸3年掛かった、それも伝を頼ってある程度の努力が必要だった、しかし此れが無いと日本では法律違反になる、医療に関わる物を認可する権利を持っているのに認可した物に問題があっても責任が無いと言うのは全く矛盾している、運転は自分がするが事故がおきても自分の責任ではないと言う事に等しい、最高学府をトップで下りてそのまま一般社会を経験せず権力の側に座る、しかも大抵は親の代から座っている、社会一般の常識があるとは思えない、このシステムを如何したら変えられるのか、精神論は現在では通用しない