今朝、NHKで「就活自殺」と言う話を流していた、大学を卒業したが仕事が無いと悩ん結果自殺した、と言う様な内容だった、父親と言う方が出ていたが見る限り有る程度裕福なご家庭の様な感じを受けたのだがそれにしても「就職先が無いから自殺する」と言うのはどうも自分には解せない動機だ。
親が苦労して大学を卒業させてくれた、しかし働き口が無い、自分が働けなければ両親は大変な事になる、と言うわけでも無さそうだ、昭和初期に小津安二郎の映画で「大学は出たけれど」と言う映画が有った、サイレントの頃だから当然見たわけではないが当時は大卒でも就職率は30%と言う時代だったそうだ、
今とはかけ離れた学士様の時代であるがそれでも7割の学士様は失業者だった訳だ、
しかしそれで自殺したと言う話は聞かない、
今の就職状況で言えば確かに大卒の就職率はかなり厳しくいわゆる就職浪人はかなりの数に上がるらしい、しかし求人が無いかといえばそうではなく中小以下の成績の良い会社では募集に対して応募してくる人数が半分にみたないと言う、
折角就職しても数ヶ月、数週間で辞める人がかなり居る、この間のネットでは「午後からばっくれた」と言う書き込みやもっと酷いのは「入社式なんだが電話して辞めた」と言うのすらある、この連中と「就職先が無いから死ぬ」と言う若者がどうも一致しない、
一方は計画性も何もなく気に入らないから辞める、一方は働く所が1年近く見つからないから絶望すると言う、
正直言って我々の世代からみると余りに考え方が甘い、将来の希望も計画も全く持たないか計画が少し狂っただけで挫折する、
物事が計算通りに行かない事など当たり前だ、自分で思っているほど自分の能力は無いし又、劣っても居ない、石ころに躓いたら歩くのを諦めるのでは何処にも行けない、
かと言って鼻歌で片手間に富士山に登れるものでもない、生きる事は大変なのだ、しかし産まれたからには行き続け子をなさなければ成らないのは生物の掟だ、そんな事は教えなくても解る事の筈だった、しかし今其れを否定するような教育がされているのだろう、
自由と我侭身勝手が混同されている、社会で生きると言う事は自分の自由は他人の自由を侵す事で成り立つと言う事すら解らない、いやそんな事は態々教える物ではなかった
親から子に、社会が言う必要の無いルールとして存在していた、敗戦で入ってきたアメリカ式の自由思想は一緒に入るべきだった「自己責任」の部分をお座成りにした形で戦前戦後を跨いだ年代に入ってしまったのだろう、自由に生きると言う事は全責任を自分で取ると言う事だしそれには自分を其処まで育ててくれた親の世代と此れからの世代を担う子供達を生み育てると言う責任が付いている、
親より先に自殺すると言う事も、働く(社会に生きる)為の努力をしないと言う事もすべて人間の責任を放棄している、それは法律で書かれている事ではなく遺伝情報の様に伝えられた物の筈である、今の教育専門家或いは知識人と言われる方々、特に「学識経験者」と言われるジャンルの方々の話が我々庶民の常識に合致する事は実に少ない
親が苦労して大学を卒業させてくれた、しかし働き口が無い、自分が働けなければ両親は大変な事になる、と言うわけでも無さそうだ、昭和初期に小津安二郎の映画で「大学は出たけれど」と言う映画が有った、サイレントの頃だから当然見たわけではないが当時は大卒でも就職率は30%と言う時代だったそうだ、
今とはかけ離れた学士様の時代であるがそれでも7割の学士様は失業者だった訳だ、
しかしそれで自殺したと言う話は聞かない、
今の就職状況で言えば確かに大卒の就職率はかなり厳しくいわゆる就職浪人はかなりの数に上がるらしい、しかし求人が無いかといえばそうではなく中小以下の成績の良い会社では募集に対して応募してくる人数が半分にみたないと言う、
折角就職しても数ヶ月、数週間で辞める人がかなり居る、この間のネットでは「午後からばっくれた」と言う書き込みやもっと酷いのは「入社式なんだが電話して辞めた」と言うのすらある、この連中と「就職先が無いから死ぬ」と言う若者がどうも一致しない、
一方は計画性も何もなく気に入らないから辞める、一方は働く所が1年近く見つからないから絶望すると言う、
正直言って我々の世代からみると余りに考え方が甘い、将来の希望も計画も全く持たないか計画が少し狂っただけで挫折する、
物事が計算通りに行かない事など当たり前だ、自分で思っているほど自分の能力は無いし又、劣っても居ない、石ころに躓いたら歩くのを諦めるのでは何処にも行けない、
かと言って鼻歌で片手間に富士山に登れるものでもない、生きる事は大変なのだ、しかし産まれたからには行き続け子をなさなければ成らないのは生物の掟だ、そんな事は教えなくても解る事の筈だった、しかし今其れを否定するような教育がされているのだろう、
自由と我侭身勝手が混同されている、社会で生きると言う事は自分の自由は他人の自由を侵す事で成り立つと言う事すら解らない、いやそんな事は態々教える物ではなかった
親から子に、社会が言う必要の無いルールとして存在していた、敗戦で入ってきたアメリカ式の自由思想は一緒に入るべきだった「自己責任」の部分をお座成りにした形で戦前戦後を跨いだ年代に入ってしまったのだろう、自由に生きると言う事は全責任を自分で取ると言う事だしそれには自分を其処まで育ててくれた親の世代と此れからの世代を担う子供達を生み育てると言う責任が付いている、
親より先に自殺すると言う事も、働く(社会に生きる)為の努力をしないと言う事もすべて人間の責任を放棄している、それは法律で書かれている事ではなく遺伝情報の様に伝えられた物の筈である、今の教育専門家或いは知識人と言われる方々、特に「学識経験者」と言われるジャンルの方々の話が我々庶民の常識に合致する事は実に少ない