梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

古い物は作る事が出来ない、共通の遺産を「汚す」な

2015-06-03 18:43:29 | 雑記

神社仏閣など歴史的建造物に油の様な物を掛けられると言う事件が続いていた、「子供の悪戯」にしては全国に渡り時間も金も掛る事から一体目的は何なのだと思っていたら容疑者が確定されたらしい、逮捕状まで出ているからかなり確定的な事なんだろう、

50代の医師で信仰宗教の主催者だと言う、現在アメリカ在住だそうだが態々日本に来て日本全国の文化財に油を掛けて歩いたと言う事らしいが本人のHPで「清めの油を注いだ」と書かれていたと言う、キリスト教系の宗教だと言うがキリスト教でそんな事をする事は聞いた事も無い、子供が生まれた時に神父(牧師?)が洗礼を行いクリスチャンネームを付けるがその時に新生児の額に少量の聖油を付けると言う事は聞いた事があるが神社仏閣に「清めの為」に行うなどと言う事はどう言う発想になるのだろう、

キリスト教からすれば神社も寺も異教徒のシンボルである、それをなぜ「清め」ると言う行動になるのだろうか、日本の文化財は穢れていると言いたいのか?此れがISやアルカイダなら破壊になる処だが「浄化」するというのは良く解らない、

日本人は宗教には寛容である、あらゆる宗教を受け入れ日本向けに変え同化して来ている、仏教渡来の時やキリスト教の禁教の時も政治的な思惑で押さえたと言う事は有ったが「信教」と言う意味で日本人の中では共存して居た様だ、

産まれは神教で結婚はクリスチャン最後は仏教、行事はなんでも(もっともこれは商業的な部分が殆どだが)と言うのが日本の有様で此れはなにも文明開化で始まった訳でもない、庶民は天皇の子で有り、幕府の人民で有り、神社の氏子で有り、更に人別帳と言う戸籍として檀家でもある、此れ全部をひっくるめて「日本教」の様なものなんだろう、つまり宗教的には他のやり方に口を出す事は無かった、創価学会が急激に信者を増やした時に仏壇を撤去し先祖の位牌を「ご本尊様」と言う髭題目に変えたと言う時が有ったが此れも学会の方針と言うより熱病の様な新信者による物だった様だ、

しかしこの50代と言われる日本人はどう言う考えなんだろう、自分の信じる処は自由だが一般人が大事にして来た文化、心を清めるどころか「穢して」周る事がどういう事か理解できないなら社会に関わる時「犯罪者」となるのは止むをえまい、 他の宗教の盲信者が協会を清めると称して何かを撒いたらどうなるか位解りそうなものだ

「新しい物は幾らでも作れるが、古い物は絶対に作れない」文化を歴史を大事にする事は過去が現在を、未来も作ると言う事を理解しなければならないと思う