彼岸花
出勤途中に森の中にある様な美容院が有る、道路際から建物の上の方まで色んな蔓や花木が覆っていて少し引っ込んだ入り口のガラス扉に書いてある文字を見ないと何の店だか解らないと言うより店が有るかすらわからない、
道路にはみ出して置いてある陶器製の樽の様な花器にまた彼岸花が咲いている、
赤と白がバックの濃い緑色に浮き上がっている、白い彼岸花の白は明るい象牙色に少し薄く黄色を加えたような色だが遠目に見ているとやはり白だ、
昔は彼岸花と言えば緋色に近い赤だったが最近は白花がかなりみられる、
最初に見たのは房総半島の中央付近、ぶらぶらと愛車で田舎道を転がして居た時にゆるゆると登って来た道路が丘の上に出た時にまっすぐに延びた道路の両側に市松模様になるように咲いていた、残念だがこの時の写真がない、
この道路の真ん中辺から左手に降りると小さな小川が有りその先に「八房の墓」と有ると立札が有った、
「南総里見八犬伝」は滝沢馬琴の小説だから当然ある訳はないのだが群馬の方に行けば「風車の弥七」や「木枯し紋次郎の村」が有るんだから驚くには当たらない、
これはかれこれ30年くらい前の話だが先一昨年から仕事で通っていた静岡の掛川から二俣に向かう天浜線沿いの道路周りに広範囲に赤と白の彼岸花が咲いていた、
昭和30年頃曼珠沙華の歌謡曲があった、曲名は解らないのだが「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る」と言うのが有ったのでこの頃は彼岸花は赤の代表だったのだろう、「濡れて泣いてるジャガタラお春」と言う歌詞から恐らくこれは「唐行きさん」の唄だろう、
村の青年団が夏祭りで出し物をやることが有って真っ暗の道を母親に負ぶわれて見に行った事を思い出したが母親の背中の匂いが一緒に何となく思い出された、
この歌謡曲で何かやっていたのだがアテブリの踊りだったのか芝居になっていたのかも覚えていない、
真っ暗な山道が急流を渡ると左側に神社がありその神楽殿でやっていた、
真っ暗な中の明るい舞台が子供には印象的だったがあの時の照明は電灯だったのかそれともカーバイトランプだったのか、
当時の夜店は殆どがカーバイトランプだが大抵の農家も何個か置いてあった、
カーバイトは農協で売っていてランプの下側に白い石の様なカーバイトを入れて上半分に水を入れハンドルの下にあるねじを緩めると下のカーバイトに滴り落ちてアセチレンガスが発生する、
向かい合ったノズルからシューっと音がしたら火をつけると青白い炎がでて驚くほど明るくなるがこの匂いは何となくわくわくさせられた、
農家がこれを持っている理由の一つは「夜ぼり」と言う漁である、
暗くなってからガス灯をつけて銛とタモを持って川下から上流に向かって魚を獲ってゆく、
今帰ってみると本当に狭くて浅い川なんだが当時は結構魚が撮れた、
明かりに寄って来る魚も有るが音をたてないように進んで行くと淀みの中に魚が寝ている、
瞼は無いので眼を開いたままだが全く動かないで水の中に留まっている、此れをそーっと掬い取る、
鰻も居た夜行性なので昼間は殆ど見られないが夜は結構流れに出ている、此奴は銛で突く、
無論子供だけでは許されないので大人が「行くぞ」と言うのにくっついていったが必ず声を掛けてくれたので夏休みの楽しみだった、
現代ではそんなことをする大人がいるかどうか、結構あれは大人と子供のいいコミュニケーションだったんだがな
出勤途中に森の中にある様な美容院が有る、道路際から建物の上の方まで色んな蔓や花木が覆っていて少し引っ込んだ入り口のガラス扉に書いてある文字を見ないと何の店だか解らないと言うより店が有るかすらわからない、
道路にはみ出して置いてある陶器製の樽の様な花器にまた彼岸花が咲いている、
赤と白がバックの濃い緑色に浮き上がっている、白い彼岸花の白は明るい象牙色に少し薄く黄色を加えたような色だが遠目に見ているとやはり白だ、
昔は彼岸花と言えば緋色に近い赤だったが最近は白花がかなりみられる、
最初に見たのは房総半島の中央付近、ぶらぶらと愛車で田舎道を転がして居た時にゆるゆると登って来た道路が丘の上に出た時にまっすぐに延びた道路の両側に市松模様になるように咲いていた、残念だがこの時の写真がない、
この道路の真ん中辺から左手に降りると小さな小川が有りその先に「八房の墓」と有ると立札が有った、
「南総里見八犬伝」は滝沢馬琴の小説だから当然ある訳はないのだが群馬の方に行けば「風車の弥七」や「木枯し紋次郎の村」が有るんだから驚くには当たらない、
これはかれこれ30年くらい前の話だが先一昨年から仕事で通っていた静岡の掛川から二俣に向かう天浜線沿いの道路周りに広範囲に赤と白の彼岸花が咲いていた、
昭和30年頃曼珠沙華の歌謡曲があった、曲名は解らないのだが「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る」と言うのが有ったのでこの頃は彼岸花は赤の代表だったのだろう、「濡れて泣いてるジャガタラお春」と言う歌詞から恐らくこれは「唐行きさん」の唄だろう、
村の青年団が夏祭りで出し物をやることが有って真っ暗の道を母親に負ぶわれて見に行った事を思い出したが母親の背中の匂いが一緒に何となく思い出された、
この歌謡曲で何かやっていたのだがアテブリの踊りだったのか芝居になっていたのかも覚えていない、
真っ暗な山道が急流を渡ると左側に神社がありその神楽殿でやっていた、
真っ暗な中の明るい舞台が子供には印象的だったがあの時の照明は電灯だったのかそれともカーバイトランプだったのか、
当時の夜店は殆どがカーバイトランプだが大抵の農家も何個か置いてあった、
カーバイトは農協で売っていてランプの下側に白い石の様なカーバイトを入れて上半分に水を入れハンドルの下にあるねじを緩めると下のカーバイトに滴り落ちてアセチレンガスが発生する、
向かい合ったノズルからシューっと音がしたら火をつけると青白い炎がでて驚くほど明るくなるがこの匂いは何となくわくわくさせられた、
農家がこれを持っている理由の一つは「夜ぼり」と言う漁である、
暗くなってからガス灯をつけて銛とタモを持って川下から上流に向かって魚を獲ってゆく、
今帰ってみると本当に狭くて浅い川なんだが当時は結構魚が撮れた、
明かりに寄って来る魚も有るが音をたてないように進んで行くと淀みの中に魚が寝ている、
瞼は無いので眼を開いたままだが全く動かないで水の中に留まっている、此れをそーっと掬い取る、
鰻も居た夜行性なので昼間は殆ど見られないが夜は結構流れに出ている、此奴は銛で突く、
無論子供だけでは許されないので大人が「行くぞ」と言うのにくっついていったが必ず声を掛けてくれたので夏休みの楽しみだった、
現代ではそんなことをする大人がいるかどうか、結構あれは大人と子供のいいコミュニケーションだったんだがな