元祖「君の名は」は1952年(昭和27年)に始まったラジオ放送で「その時間になると銭湯の女湯が空になる」と言われるほどの人気で
松竹から映画になった、
昭和20年5月24日の東京大空襲の時数寄屋橋で互いに命を助け合った男女が「半年後同じ場所で会おう」、と約束をして別れると言うドラマで所謂すれ違い物の走りだったらしい
男性後宮春樹を佐田啓二、女性氏家真知子を岸恵子が演じて彼女のスカーフを「真知子巻」と呼ばれ当時の女性ファッションとしても一世を風靡した
有楽町駅を降りて晴海通りを新橋側にわたり通りを4丁目の方に進むと小さな公園があった、その先は東芝ビル、半球数寄屋橋店でその前の路地を右に抜けると
藤村や北村透谷の通ったと言う名門泰明小学校に抜ける、その前の通りはみゆき通りである
その三角形の公園には小さな噴水があってその脇に小さな石碑があってそこには「数寄屋橋ここにありき」と書かれていてが如何にこの放送が売れたかが良く解る
此処は元江戸城外堀でそこに掛かっていた橋を昭和33年に埋めたてて高速道路にした際にこの橋が無くなった
いま「君の名は」と検索するとアニメの「君の名は。」が出てくるが今ブームとなっている「聖地巡礼」とやらはこんな時代にもあった
世紀の二枚目と言われた佐田啓二は本当に整った顔をしたスターだった、その息子が中井貴一である
現代ではこっちの方が彼の方が受けるのかもしれないがやはり昭和の老若男女に受ける色男は佐田啓二の方だろうな
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