宿題の代行と言う商売があるらしい、まあ昔から個人レベルではあったとは思うが表だった商売と言うのはさすがにまずいんではないかと言う事なんだと思う。
否両論だが宿題の目的は自宅学習と言うことだと思う、解答用紙が埋まっていればよいという事ではない筈である、「個人レベルで適切な問題を出さなければ意味がない」と言うコメントがあったが基本的には気味教育は学習要項に従ってある程度のレベルを揃えなくてはならない筈だから長期間の休みはその調整期間として有益な期間だろう、先に進んでいるレベルの子供はさして大変ではあるまい、遅れている子供は大変でもここで少しでも追いついておけば2学期からの授業にはついていける可能性がでる、本人はともかく親は何を考えているのだろう、成績が良いと言うのは勉強ができると言う事とは違くと言う事か、もっとも今の学業の在り方は知識を記憶させているだけで知恵ではない、知識を記憶させるだけなら現在はネットでも簡単に調べられる、卒論もほとんどがコピペで造られていると言うのでは大学を降りたところで就職出来ないのも無理はない、まあ優勝な人間は当然居るのだろうが大学を降りた人間がすべて優秀と言う訳ではない事の証左の様なものだ、学ぶ校舎と書いて学校だろう、そこに通った証左ではなく「学業を修めた事を」証明するのが卒業証書だ、毎日通っていれば良いなら学食の従業員は大学院生より優秀だ
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