梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昭和の子供の話とヤングケアラー

2021-05-18 13:17:29 | 雑記
又、紫陽花の季節がやって来た、今年の梅雨はずいぶん早かった、




待ち遠しい梅雨明けだがここ数年猛暑が続く、早く入梅したぶん早く梅雨明けが来て延々と9月いっぱいの猛暑なんかはごめん被りたいがじめじめの長いのも嫌だしな、



これは欄の一種か、
「ヤングケアラー」中学生の約17人に1人 国 初の実態調査
中学生以下で家庭で家事や介護などを日常的に行っている子供たちをこういうらしい、
中には毎日4時間以上の家事等を行っている子供もいるらしい
遊ぶことはもとより勉強の時間すら削られる事が殆どだと言う
社会の格差が大きくかつ広範囲になっていると言う証左だろう、
義務教育時期に十分な教育を受けられなければ社会に出てからのハンディは更に格差の幅を広げてしまう
憲法に保障された「人は等しく幸福を追求する権利を有する」と言われても貧困は間違いなく「人は平等に生まれて」来ない、
ヤングケアラーと言われる子供達の多くは家事であり兄弟の世話が含まれている
年老いた親や曾祖父曾祖母の介護も増えているがこれが平均寿命が延びた弊害か、
昭和の時代、都会は知らないが田舎の農村ではこんな事は当たり前だった、
農繁期休みと言うものがあった、田植え休み、稲刈り休み、静岡では茶摘み休みもあって子供は当たり前に労働力だった、
農家では長男が全財産を相続し、下の兄弟はその労働力であり経済共同体になるか都会に出て別世帯をい営む、
相続法での相続者が均等に分けると言う事は農業の基本、スケールメリットと季節集中型の労働力形態には合わない、
一説に「たわけ者」は「田を分けることの愚かさ」を示していると言う様に「でんばた」は分ければ効率が落ちて衰退する、
税制も農地は相続税を課していないのもそういう理由によるのだろう、
小学校の頃から学校が終われば家事をするのは子供の役目で下の子供を見るのは当然だった、
これは昭和の漫画を見れば都会でも当たり前だった様だ、
家の事を全くしないで済む子供と言うのは殆ど居なかったし居たとしても稀有の存在で浮いた存在だった、
だが今の子供達の事となるとやはり「何処か社会の歪」の犠牲者と言う印象がある、
我々団塊の世代では農家の次男坊以下は集団就職で都会に押し出され金の卵と言われ、低劣な条件で働いてきた、
しかし頑張ればそれなりに生活は向上し、学歴は無くとも手に職をつけて独立して会社を興す人も多かった、
今の大田区や北区の工場地帯の工場主はそういう人たちが多い、
高度成長期と言う時代のおかげで真面目に地道に努力すれば地道ながら結果は得られる時代だった、
しかし、今では大学まででても正規就業者にもなれず、学歴と言うパスポートを手に入れるには相当な経済力が必要であり、パスポートの無い人は次のステージには乗る事すらできない、
そして「苦学」をする時間さえ家事介護に奪われてしまう
今流行語になっている「上級国民と下級国民」では90%の下級国民の資産と残りの上級国民の資産が同じだと言う、
しかし税金は個人単位で圧し掛かる、「割合だから同じ」ではない、年収が最低生活を維持できない人間にとってそこから10%と言う事は餓死すら意味する
ヤングケアラーの将来は「負のスパイラル」でしか彼等をケアする事は大切だがそれは対症療法でしかあるまい、
根本的に社会を見据えた国家を変革しなければ恐らく貧困のケアは鼬ごっこ、表面化する感に多くの犠牲を出し続ける、


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