梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

日本映画の話と映画音楽

2020-07-06 09:48:19 | 映画
何年か前にトランペットソロの「上海帰りのリル」を聞いた記憶がある

時々思い出すのだがネットでは.トランペットのソロは出ていない

映画音楽と言えば日本の映画でも結構色んな曲があったが基本的に順序は逆で曲が売れるとこれを下敷きに映画が出来る事の方が多い

この曲が大ヒットした2年後に歌詞を下敷きにできたらしい、

「旅の夜風」でヒットしたのもそうかと思ったがこれは主題歌として同時だったようだ

今はアニメの方が有名になっているが「君の名は」はもともとラジオドラマで銭湯が空になるというくらいの流行だったがこれもテーマ曲だった

旅の夜風と悲しき子守唄は「愛染かつら」松竹映画の主題歌として永くカラオケなどでも歌われていた

この映画が流行したころはこれでもかと言うくらいすれ違う「すれ違い映画」と言う奴が流行った、

観ながら「ああ。行っちゃダメ!」と声を出してみている観客が居たくらいだったがそれがわかっていて受けたものである、

宣伝文句も「紅涙を絞る」という様なのが多かった

もっともそれより少し前、「瞼の母」なんぞが流行った頃は「お涙頂戴」と言う文句すらあった、

映画はいわゆる大衆娯楽の大様だという事になっていた時代がある、

映画前に大衆娯楽としてその地位を持っていたのは恐らく芝居と落語の演芸だろう

地方に出て興行を打つ旅芝居と言うものと常設小屋の芝居を含めて日本人の大衆演劇・演芸と言うジャンルが映画にシフトしたのだろうがそれがTV→ネットと移行していって結果として映画が衰退していったのだろう、

しかし映画全盛の時代には「映画だから」成立し、映画以外では表現できないというものが 間違いなくあった気がする

日本映画ではやはり黒澤監督の作品にそれを感じる

娯楽要素が表になっているが主題になっているものは構成も映画と言う構造だから、或いは映画でなければ表現できないという作品がいくつかある

「生きる」などはその最たるものの様な気がする、そのインパクトがきつくて中々再度見る体力がない位の映画だ、

羅生門も芥川龍之介の「藪の中」だそうだが舞台であれを表現する事は確かに可能ではあるが 殆どがモノローグになる事になる、

画像の背景と個々の役者の演じる個性が全体でもある

黒澤監督の作品は舞台を映画に置き換えているものが多いが「蜘蛛巣城」はマクベスを下敷きにしていると言うがまさに舞台だが映画だからこその舞台芝居である

「どん底」はゴーリキーの作品だが元の作品とは違う作品になっている気がする 、もう一度「映画」でなければ出来ないという作品を期待したいものだ

「カメラを止めるな!」が素晴らしいと評判だがやはり頭を見ただけで入り込めなかったのは歳のせいだな


















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