田中真紀子氏が大学新設に不許可を出した、その数日後の新聞に「少子化の中で何故?」と言う記事が出た、大学認可が緩和されてから30%以上大学数は増えたらしい、
大学進学率も20年前は一桁台だった物が今では50%になると言う、
しかしその内実はひどい物だと言う、理数系の大学合格者に微積分が解らない者が居るのはまあ「難しいからな」と言う事もあるだろう、しかし「パーセントの意味が解りません」とか「国連とはなんですか?」と言う者は一体どうして入学してきたのだろう、
最近の大学は粗製濫造である、従って卒業証書の価値も相対的に下がって来る、昔は学士様である、今はとても学士とは言えないだろう、もっとも私が20代の頃アルバイトで使っていた青山学院生に「サイン、コサイン、タンジェント」と言う話をしたら「習っていないから解りません」と言われたことも有るので個人差なのかも知れないがいずれにしても日本の入学制度と修学制度はいびつである、
勉強をしたい者には門戸を開けて修学が成らない者には進学をさせないと言うのが筋だろう、学業とはそう言う物で卒業したと言う事はそれだけの学識を得たと言う事だ、
しかし今の受験制度は合格すれば後は大抵卒業できる、授業を受けた時間単位が整えば自動的と言えば語弊が有るがそれに近い、
入学試験も見る限りあれは「記憶力テスト」に近い、理解し応用すると言う観点は殆ど見受けられない、所謂「詰込学習」である、その為に「ゆとり教育」が言われたのだろうが高校・大学入試がどれだけ「詰込まれ」ているかと言う方法なら義務教育がやらなければ教育産業が儲かるだけである、まあ「円周率は概ね3」などと言う教科を本気で考えているのだから基本なぞ解る訳も無い、「何故円周率は3.1413~なのか」を考えるのが本来の勉強で「概ね3」でも延々と何千桁を記憶しても数学的な思考は育たない、
「大学は8年間で卒業しなければならない」事も意味が無いだろう、理解できるまでやれば良いのだ、だからその対極に「飛び級」がある、
しかし日本人のノーベル賞受賞も多く出ているので日本人の能力が特に衰えていると言う事は無い、教育業界と言う教育と葉正反対の連中にこれ以上振り回されない事だ
求人があっても大手で無いから働かないと言う大卒者は結局どうしようもなくなる、其れが末路と言う事になるだろう
大学進学率も20年前は一桁台だった物が今では50%になると言う、
しかしその内実はひどい物だと言う、理数系の大学合格者に微積分が解らない者が居るのはまあ「難しいからな」と言う事もあるだろう、しかし「パーセントの意味が解りません」とか「国連とはなんですか?」と言う者は一体どうして入学してきたのだろう、
最近の大学は粗製濫造である、従って卒業証書の価値も相対的に下がって来る、昔は学士様である、今はとても学士とは言えないだろう、もっとも私が20代の頃アルバイトで使っていた青山学院生に「サイン、コサイン、タンジェント」と言う話をしたら「習っていないから解りません」と言われたことも有るので個人差なのかも知れないがいずれにしても日本の入学制度と修学制度はいびつである、
勉強をしたい者には門戸を開けて修学が成らない者には進学をさせないと言うのが筋だろう、学業とはそう言う物で卒業したと言う事はそれだけの学識を得たと言う事だ、
しかし今の受験制度は合格すれば後は大抵卒業できる、授業を受けた時間単位が整えば自動的と言えば語弊が有るがそれに近い、
入学試験も見る限りあれは「記憶力テスト」に近い、理解し応用すると言う観点は殆ど見受けられない、所謂「詰込学習」である、その為に「ゆとり教育」が言われたのだろうが高校・大学入試がどれだけ「詰込まれ」ているかと言う方法なら義務教育がやらなければ教育産業が儲かるだけである、まあ「円周率は概ね3」などと言う教科を本気で考えているのだから基本なぞ解る訳も無い、「何故円周率は3.1413~なのか」を考えるのが本来の勉強で「概ね3」でも延々と何千桁を記憶しても数学的な思考は育たない、
「大学は8年間で卒業しなければならない」事も意味が無いだろう、理解できるまでやれば良いのだ、だからその対極に「飛び級」がある、
しかし日本人のノーベル賞受賞も多く出ているので日本人の能力が特に衰えていると言う事は無い、教育業界と言う教育と葉正反対の連中にこれ以上振り回されない事だ
求人があっても大手で無いから働かないと言う大卒者は結局どうしようもなくなる、其れが末路と言う事になるだろう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます