熟成した人間社会は「相互扶助」と言う文化を育て上げて来た、多くの時間と紆余曲折を繰り返し、民族間の争いから世界中を巻き込んだ大戦を多く経験しながらその悲惨な結果を回避する方法として社会的動物が恐らく一番良いだろうと思われる方法として教育以前の精神構造として選らんだものの筈だった、どうも最近この事が壊れかかっている様な危惧を感じている。
社会主義と自由主義、共産主義と資本主義と言う政経の対立する主義では有るが社会構造としてこのどちらかを選んで国家経営を営んでいるわけであり、世界の趨勢は略「自由資本主義」に固まりつつある、
社会主義の崩壊も自由主義の暴走もその根源は恐らく人間の本質を余りに理想的に「性善説」に立脚している所にある、
人間はそれ程立派に生きてゆける訳ではなかろう、常に「欲」が付いて廻るのだ、仏教で言えば「煩悩」から脱却する事は難しい、
生き物として言えば社会を形成しない動物達は弱肉強食が生きる事の基本になっている、当然相互扶助なぞ有る訳はない、最小単位の社会と言えるか種の保存の為に子供を生んで育てる間は親が子に扶助を与えるがそれも成獣となれば食料の奪い合いも当然のように起きる、
この形態が恐らく自由資本主義の原型である、しかし人間社会の自由資本主義と違うのはあくまで生きる為だけに弱肉強食の自由を行使しているだけで満腹になれば狩は終わりである。
一方草食動物等の弱者は強者から身を守る為に群れになる、コロニーの形成はその統一を図る為にルールが発生する、しかし社会と言える程の熟成を持たない動物は群れる事の有利さだけがコロニーの原理で教われる場合にも最弱者が犠牲になる間に群れが逃げると言う様な形をとる、しかし餌場や水場に関しては相互扶助の関係が成り立っている、
類人猿の様なある程度社会を形成している動物は明らかに相互扶助をしている事が見られる
しかし、人間社会は文化を発展させる段階でこの相互扶助は徐々に欠け落ちてしまったようだ、
未だ未開発の民族、未開発であった我々も含めて社会秩序を維持する為に宗教と言う形でその相互扶助を維持してきたが社会主義・共産主義はこの宗教を排除して理論として「働けるだけ働いて国を支え、国は必要なだけ国民を支える」と言う様な理想的な論理で国家経営、社会形成をしようとしたが「働けるだけ」と「必要なだけ」を誰が決めるのかも確定できず、一方で「どう働いても貰うものがおなじ」と言う事は文化の発展を著しく阻害してしまった、
一方の自由資本主義は人間の「欲」を加速させ肥大化させてしまい満腹であっても手の届く所の獲物は手当たり次第に狩ると言うモンスターを作ってきた、其処には弱者を同じ人間と見る意識は無い、
此れも仏教で「知足」と言う言葉が有る、「足るを知る」と言う事である、歴史のあるヨーロッパにも
賢人の言葉に「満足する方法は2つ有る、物を増やすか欲を減らすかだ」と言う名言がある、
アメリカと言う未だ熟成していない文化が欲望を肥大化させて世界の人々に蔓延させてきた、
やっとアメリカ国内でその事に気づいた人達が現われたが日本はその毒気を増幅させている様だ
社会主義と自由主義、共産主義と資本主義と言う政経の対立する主義では有るが社会構造としてこのどちらかを選んで国家経営を営んでいるわけであり、世界の趨勢は略「自由資本主義」に固まりつつある、
社会主義の崩壊も自由主義の暴走もその根源は恐らく人間の本質を余りに理想的に「性善説」に立脚している所にある、
人間はそれ程立派に生きてゆける訳ではなかろう、常に「欲」が付いて廻るのだ、仏教で言えば「煩悩」から脱却する事は難しい、
生き物として言えば社会を形成しない動物達は弱肉強食が生きる事の基本になっている、当然相互扶助なぞ有る訳はない、最小単位の社会と言えるか種の保存の為に子供を生んで育てる間は親が子に扶助を与えるがそれも成獣となれば食料の奪い合いも当然のように起きる、
この形態が恐らく自由資本主義の原型である、しかし人間社会の自由資本主義と違うのはあくまで生きる為だけに弱肉強食の自由を行使しているだけで満腹になれば狩は終わりである。
一方草食動物等の弱者は強者から身を守る為に群れになる、コロニーの形成はその統一を図る為にルールが発生する、しかし社会と言える程の熟成を持たない動物は群れる事の有利さだけがコロニーの原理で教われる場合にも最弱者が犠牲になる間に群れが逃げると言う様な形をとる、しかし餌場や水場に関しては相互扶助の関係が成り立っている、
類人猿の様なある程度社会を形成している動物は明らかに相互扶助をしている事が見られる
しかし、人間社会は文化を発展させる段階でこの相互扶助は徐々に欠け落ちてしまったようだ、
未だ未開発の民族、未開発であった我々も含めて社会秩序を維持する為に宗教と言う形でその相互扶助を維持してきたが社会主義・共産主義はこの宗教を排除して理論として「働けるだけ働いて国を支え、国は必要なだけ国民を支える」と言う様な理想的な論理で国家経営、社会形成をしようとしたが「働けるだけ」と「必要なだけ」を誰が決めるのかも確定できず、一方で「どう働いても貰うものがおなじ」と言う事は文化の発展を著しく阻害してしまった、
一方の自由資本主義は人間の「欲」を加速させ肥大化させてしまい満腹であっても手の届く所の獲物は手当たり次第に狩ると言うモンスターを作ってきた、其処には弱者を同じ人間と見る意識は無い、
此れも仏教で「知足」と言う言葉が有る、「足るを知る」と言う事である、歴史のあるヨーロッパにも
賢人の言葉に「満足する方法は2つ有る、物を増やすか欲を減らすかだ」と言う名言がある、
アメリカと言う未だ熟成していない文化が欲望を肥大化させて世界の人々に蔓延させてきた、
やっとアメリカ国内でその事に気づいた人達が現われたが日本はその毒気を増幅させている様だ