梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

熟成した文化を見直す時期だ

2012-03-19 17:29:56 | 雑記
熟成した人間社会は「相互扶助」と言う文化を育て上げて来た、多くの時間と紆余曲折を繰り返し、民族間の争いから世界中を巻き込んだ大戦を多く経験しながらその悲惨な結果を回避する方法として社会的動物が恐らく一番良いだろうと思われる方法として教育以前の精神構造として選らんだものの筈だった、どうも最近この事が壊れかかっている様な危惧を感じている。
社会主義と自由主義、共産主義と資本主義と言う政経の対立する主義では有るが社会構造としてこのどちらかを選んで国家経営を営んでいるわけであり、世界の趨勢は略「自由資本主義」に固まりつつある、
社会主義の崩壊も自由主義の暴走もその根源は恐らく人間の本質を余りに理想的に「性善説」に立脚している所にある、
人間はそれ程立派に生きてゆける訳ではなかろう、常に「欲」が付いて廻るのだ、仏教で言えば「煩悩」から脱却する事は難しい、
生き物として言えば社会を形成しない動物達は弱肉強食が生きる事の基本になっている、当然相互扶助なぞ有る訳はない、最小単位の社会と言えるか種の保存の為に子供を生んで育てる間は親が子に扶助を与えるがそれも成獣となれば食料の奪い合いも当然のように起きる、
この形態が恐らく自由資本主義の原型である、しかし人間社会の自由資本主義と違うのはあくまで生きる為だけに弱肉強食の自由を行使しているだけで満腹になれば狩は終わりである。
一方草食動物等の弱者は強者から身を守る為に群れになる、コロニーの形成はその統一を図る為にルールが発生する、しかし社会と言える程の熟成を持たない動物は群れる事の有利さだけがコロニーの原理で教われる場合にも最弱者が犠牲になる間に群れが逃げると言う様な形をとる、しかし餌場や水場に関しては相互扶助の関係が成り立っている、
類人猿の様なある程度社会を形成している動物は明らかに相互扶助をしている事が見られる
しかし、人間社会は文化を発展させる段階でこの相互扶助は徐々に欠け落ちてしまったようだ、
未だ未開発の民族、未開発であった我々も含めて社会秩序を維持する為に宗教と言う形でその相互扶助を維持してきたが社会主義・共産主義はこの宗教を排除して理論として「働けるだけ働いて国を支え、国は必要なだけ国民を支える」と言う様な理想的な論理で国家経営、社会形成をしようとしたが「働けるだけ」と「必要なだけ」を誰が決めるのかも確定できず、一方で「どう働いても貰うものがおなじ」と言う事は文化の発展を著しく阻害してしまった、
一方の自由資本主義は人間の「欲」を加速させ肥大化させてしまい満腹であっても手の届く所の獲物は手当たり次第に狩ると言うモンスターを作ってきた、其処には弱者を同じ人間と見る意識は無い、
此れも仏教で「知足」と言う言葉が有る、「足るを知る」と言う事である、歴史のあるヨーロッパにも
賢人の言葉に「満足する方法は2つ有る、物を増やすか欲を減らすかだ」と言う名言がある、
アメリカと言う未だ熟成していない文化が欲望を肥大化させて世界の人々に蔓延させてきた、
やっとアメリカ国内でその事に気づいた人達が現われたが日本はその毒気を増幅させている様だ

今日本はどうなっているのか

2012-03-18 08:09:09 | 雑記
悲惨な事件が多い、親が子供を殺す、幼い子供を放置して帰って来ない、年老いた夫婦が孤独な死を迎える、最近は夫婦では無く親子も増えて来た。
政府は見守りとか地域の見守りを推進しなければと言っている、しかし今までの日本はそんな事を政治が声高に言わなければならない事だったのだろうか、大阪で裁判が始まった23歳の女性が幼い子供を40日以上放置して餓死させたと言う事件だが「子育ての悩み」と言う理由らしい
こう言う記事を見ると此の女性の家族はどうして居たのだろうと思わざるを得ない、
少し前にもこういう女性は其れなりに居たが大抵の場合子供を親に預けて居なくなる、居ても何もしないと言うケースが殆どで、親が居なければ隣の家に一言言って置いて帰って来ない、或いはそうはしなくとも子供が1人だけになれば隣近所が何とかした物だが、
此の女性の中に子供が飢えると言う感覚は無かったのか?飢えても気にならなかったのか?気になっても自分の事が優先されたのか?全く理解が出来ない、
此の女性の親はどう言う気持ちになったのだろうか、命が大切だとか子供を愛せとかそんな事を改めて言葉の解る年齢になって教えなければならないなら何が変わってしまったのだろうか?
貧しい時代、貧しい国、弱い生き物達は当たり前の様に助け合い繋がりを持って社会を維持している、日本も敗戦までは庶民はそうして来たし資産階級も何処か必ず其処に対して慈しみの心を持って居た様な気がする、
貧しい国に文化が入ると必ずこう言う事が起きる、貧富の差と利己的な社会への偏向だ、日本も敗戦の後アメリカが持ち込んだ「自由主義」と言う未だ熟成して居ない文化方式が日本をこんな風にしてしまったのだろう、一見平等に見える「自由主義」には弱者救済の精神が欠けて居る、
歴史の有る文化はその永い時間で「野放しの自由は人間社会には適さない」と言う事を充分に学んで来た、それを文化として、或いは宗教として社会の基本にして来たのだが軍部の暴走で占領政治と言う文化破壊に遭遇した為にこんなになったのだろうと思う、
もう一度日本は敗戦前に立ち返る必要がある、二千年以上培ってきた日本文化は300年しか無い文化とは違う事を誇り持って生きて行きたい

ぬか喜び?

2012-03-16 17:42:23 | 雑記
娘の懐胎はわずか2日で消えた、元々妊娠に気が付いたのは出血からだったらしい、其れで無ければ2ヵ月にならない内に解るのもおかしいのだが医師から「危険は有るが80%大丈夫」といわれたと後で女房から聞いたが結局翌夕に又出血があって急いで行ったが結局流産になったという、
「妊娠したと言う時には泣いていたのだけど今度の電話は元気が無かっただけで泣いては居なかった」らしいがそれだけショックは大きかったのかも知れない、残念だが義姉の生まれ変わりは出来なかった様だ、
元々考えても居なかった事の訳だが妙に残念な気持ちになるものだ、今度娘に会ったらどんな話しをすれば良いのか解らないがまあ向こうから言わなければ黙っているのが得策かも知れない、
私が17歳の時夏休みで姉の家に泊まっていたら姉が倒れてしまい仕方無しに産まれたばかり出未だ3ヶ月位だった甥の面倒を見る羽目になった事が有る、今考えると義兄が仕事を休めないからと自分が赤子の面倒を見ると言うのもおかしな話だし17歳で随分無鉄砲な事をしたものだが確か近所のおばさんの手を借りてミルクやオムツはおろか入浴までさせて何日か過ごした経験がある、お陰で孫の入浴係はずっと自分だった、娘も女房も赤子の頭を掌に乗せて耳を塞いでガーゼで洗うと言うのが出来ない、産まれたら又やる事になるなと思って居たのだが、少々残念である

義姉と入替わる様に

2012-03-15 14:07:13 | 雑記
家に戻り食卓に落ち着いたら女房が「ちょっと驚く報告が有るよ」と言う、「我が家の話ではない」と言われて何となく「おめでたか?」と言ったら「良く解ったね、」と言われたが年齢的に思い当たるとすれば息子の家かと思ったらなんと娘の方だった、
娘の年齢は37歳だから特に遅いと言う事ではないが2人共男の子で長男は今年から高校生である、次男は今年6年生、私の長男の子も男の子なので数年前まで息子と娘に「次は女の子を作れ」とプレッシャーを掛けて居たのだが両方とも「そんな余裕は有る分けない」と言う返事だった、
娘は「冗談じゃないわよ、お母さんとお父さんが育ててくれるなら考えてもいいけど」言っていた位だし次男の誕生から11年も過ぎて完全に諦めて居たのだ、
娘が最初の子供のときには家が有ったので生みに来ていたが今度はどうなるか、まあ狭いが何とかなるだろう、
今私達は65歳になる、この位から生まれると孫が成人すると85歳、大体こんな物か、
妊娠後どの位か聞いたら「45日位らしい」と言う、今はそんなに早くから解るんだな、と感心したが考えたら義姉が他界した1ヶ月程度前だ、「まるで生まれ変わりの様に孫を授かったな」と夫婦で話した、「此れが女の子だったら本当に姉の生まれ変わりだ」と少ししんみりとする受胎告知になった、
リーンカーネイションを信じている訳ではないがこう言うタイミングだとそんな風に考えたくなる、そう言えばその娘も義理の父が他界する時に女房の腹に居た、おかしな物である
本来の仕事も多少盛り返して来たし、数年前から始めた仕事も何とか見えて来た、又新しい孫を授かったのだ、隠居している場合ではないな、頑張らなければ

自分の思っていた言葉は違っていたのだろうか

2012-03-14 15:23:00 | 雑記
最近良くクイズ形式の番組を見る、色んな形のクイズが増えて来たがかなりオーソドックスな形式なので見ている番組に「Qさま」と言う番組が有る、
内容は多岐に渡り目から鱗と言う物から常識的な問題まで出て結構面白く見ている
しかし、今週の問題にすこし「違うんじゃないかな?」と思われる問題(正解)が有った、無論浅識な自分より局や担当者が良く調べて出す問題だと思うから自分が間違っているのではないかとも思うがどうしても納得出来ないと言う物もある、
1つは「先の言葉の同義語若しくは類似語を答える」と言う物だがその中で「前門の虎、後門の狼」と言う問題があり、答えの1字が「難」と言う問題だった、回答者(伊集院光)は答えれら無かったがその答えが「一難去って又一難」と言う答えだった、しかしこの2つの言葉は意味がかなり違うので無いだろうか、私の解釈では「前門の虎、後門の狼」とは前後に敵を受けて進退窮まったと言う意味に捉えていた、しかし「一難去って又一難」は1つの難関或いは敵を乗り越えたら又難関若しくは敵が」と言う様に解釈していた、「前門の虎、後門の狼」では全く問題は解決していないが一難さっての方はとり合えず難関を乗り越えている、と思って故事ことわざ辞典を見てみたら確かに類義語に出ているのだが、何となく納得出来ない感じが否めない
もう1つ「情けは人の為ならず」の意味に「他人に情を掛けて居ればやがて自分に返って来る」と言う諺の解説が○か×かと言う問題だったが此れは○で正解だった、
しかし本来の意味は徳を積むことは自分の為である、と言ったニュアンスで決して「情けを掛けておけば後で返って来る」と言ったような利己的な物ではなかったと解釈していたのだがやはり故事ことわざ辞典だと此れが正解のようだ、間違いの用法として「人に情けを掛けるとその人のためにならない」と言う用法が書かれていたが「情けをかける」と「甘えさせる」とは元来意味が全く違う、
仏教用語での「慈悲」と言う言葉も哀れむと言うニュアンスが大きくなっているが此れも文字通り
慈しむ心で共に悲しむ、と言う意味だろう、同じ様に「喜捨」という言葉も「与える、施す」と言ったニュアンスが大きい、文字通りに取れば「喜んで捨てる」と言う事で決して上位から施す物ではない、施すと言うことも今では「貧しい物に与える行為」的な意味合いが有るが「施餓鬼」と言う言葉に有る様にそれは優越感を伴う物ではなく偶々持てる者になった人が偶々持たない人達に分けると言うだけの事、施餓鬼の餓鬼とは六道輪廻でまだ人間界に来れない餓鬼道に居る者に施す善行の事で後世のために得をつむ行為でありその事は自ら有り難く思うと言う行為である
衣食足りて礼節を知ると言う言葉の中には子の様な善行、徳行も含まれるのが人の行為だろう