梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

やっと少し落ち着いた

2012-03-13 10:31:31 | 雑記
やれやれ、やっと落ち着いてきた、引越しだけは前から決まって居たのだが自分の体調から義姉の容態急変から逝去まで全部が同じ日に集中してしまった、
何しろ引越しの全前日に息を引き取ったのだが急変したのはその2日前の深夜12時少し前、そのまま女房は病院に残り、姪と交代の為に一旦帰宅して3時間くらいの仮眠をとって再度病院に着いたのが午前11時頃、苦しみと痛みが酷くなって延命を諦めて大量のモルヒネを入れたのは2時半頃、結局4時過ぎに息を引き取った、
3日に引越しの準備をして4日の朝から引越し、5日の夕方に通夜だが親族なので早くから出て翌6日は告別式、その間に電話の工事やらエアコンの工事やら兎に角何をし他の課覚えていない位のスケジュールで過ぎた、おまけに坐骨神経痛はこの雨と忙しさで悪化の一途である、
しかしこのせいで非常にウェットな我妻は最後の肉親を失った悲しさに押しつぶされる事が避けられた、実は「余命が後半年」と聞いたのは既に3ヶ月が過ぎようと言う頃、義姉本人から聞いた、
その時から今まで9ヶ月、2~3日に一度訪れていたので心の準備は出来ていたと思うのだが恐らく他界したら暫くひどく落ち込むのではないかと心配していたのだが今度のどたばたで悲しんでいる時間が取り上げられてしまったので心の平衡を保てたのは有難かった。
既に夫婦共に65歳になったが女房は1人暮らしをした事が無い、遅く生まれた末っ子でそのせいもあって気が強いのだが直ぐに落ち込む、若い頃はそれでも開き直ったりしてやり過ごしていたがそれも今回亡くなった姉に愚痴を溢し慰められたり怒られたりして来た、
兄弟は姉と兄の3人だが兄の方は6年程前に突然亡くなった、未だ70にもなって居なかったが今回義姉が亡くなって肉親と言える人は居なくなった、年齢から言えば当たり前なのだが当人にはかなりショックの様だ、
私は子供の頃から肉親に縁が薄く17歳には両親が無く、姉の連れ合い、次兄を亡くしたのも20代中で親族との行き来が殆ど無い半生を送っているので良いか悪いか判断し難いのだがあまり甲言う事に関して感傷的になれない性分だ、
女房は残りの人生を私と過ごすのだが人類の寿命で言えばどうやら私の方が先に逝きそうな気がする、その後の事を考えると少し不安ではある、女房も「絶対に私より先に死なないで」と言ってはいるが此れだけは神のみぞ知るという事だ、
息子も「お父さんは大丈夫だろうがお母さんは1人になったら呆けてしまうと思う」と言う位だから強ち思い上がりではないだろうがまあそんな先のことを考えても仕方がない、今の不景気の方がずっと問題だ、
所で引越す前のマンションにこんな植物がずっと生えていた、枯れる事も無いが大きくなる事も無い、肉厚の葉の様な気もするのだが余り見た事が無い



こんな風に生えている、




義姉の逝去と引越しの大騒ぎ

2012-03-03 20:54:08 | 雑記
1日の昼には血圧が上で50を切ると言う所まで落ちてしまった義姉だったが輸血をしてどうにか55~110程度に落ち着いたと女房は一旦帰って来た、
しかし寝入ったと思ったら姪から電話が入った、時間は0時を少し廻っている、
「近しい人を呼んでおいた方が良い」と医師に告げられたと言うので大急ぎで向かう、下の道路に降りたら丁度タクシーが来た、既に終電は過ぎて居る、急いで此処から信濃町の慶応病院まで向かう。
到着したら時間は12時半を廻って居居た、既に姉の子供達夫婦も来ている、血圧は又持ち直して60~96、脈拍も安定している、意識は少し混濁している様だが会話が成立するので少し安心をする、
2時を少し廻る頃血圧が110に近くなったので自分と姪のご主人、其れに小学校5年生の娘だけ一旦帰る、
明け方女房が帰って来た、姪と交代する為に11時に又信濃町に向かうと言う、自分は引越しの手続きや仕事の段取りを済ませ10時過ぎに戻り女房を起こして軽く食事をさせて送りだした。
16時15分泣きながら女房から電話が入る「お姉さんが後少しで死んでしまう、脳波が切れかかっている」と言って来た、大急ぎで向かうが到着したら既に16時43分息を引き取ったと言う、
自分の娘も来ていたが義姉が霊安室に移ったのを見届け線香を上げて娘と帰る、
その後女房は義姉の遺体と一緒に自宅まで付いて行ったが10時半頃帰宅した、余命半年の宣告を受けてから「丁度1年生きた」そうだ、
明けると3日、今日中に新居のカーペットを入れて引越しが出来る様にしておかないとならない、
自分が神経痛で殆ど歩けないので今年高校に進学する娘の長男に手伝いを頼んで電気量販店でACとシーリングライトを、家具店でカーペットと椅子を買いレンタカーで搬入する、
区の方で「区との連絡員」と言う人の部屋名と名前を受け取っていたのでその部屋を訪れ「明日引っ越してきます」と挨拶をし、区の方から「自治会長とは違いますので聞いて下さい」と言われて居たので「自治会長さんは?」と尋ねたら「1号棟の**さんですが、明日9時から掃除をやりますので出て呉れませんか?」と言われた、聞き違いか、明日引越しと言うのを聞き落としたのかと「明日ですか?明日引越しで忙しいと思います」と言ったら「出てください、9時からですから」と取りつく島もない、明日最後の片付けと荷物の纏めが有る、引越が住んで居ないその当日に先に来いと言うのは少しおかしくないのか?今後住む場所である仕方ない「解りました」と答えたが「此の棟の前に9時ですから」と当たり前の様に言って扉が閉まってしまった、
こんな人間が管理に携わっているとは先が思いやられる話である、
おまけに引越しを頼んだ「サカイ引越センター」から夕方になって「明日の確認」と言う電話が5時ころ入ったのだが「費用は現金先払いです、支払いが住まなければ積み込みは始めません」と言う、現金は当然解って居たが「先払い」は聞いて居なかった、そう伝えると「説明が悪かったようです、申し訳ありません」と丁寧だが全く誠意の感じられない返事、その上「トラックは明日14時から16時頃に到着します」と言う「契約書では14時から15時の筈だ」と言ったら「成るべくそうしますが」と此れも誠意を感じられるとは言えない返事である、
「16時に到着して作業では出発は17時半頃になる、近いとは言え移動は30分以上掛ると下ろし始めるのは18時頃、終了すると20時に近い、此れから住む団地にこんな非常識な時間で引越したら後の生活に支障が出る、最低でも約束時間15時までには到着してくれないと困る」と言ったら今度は「14時前に車が到着しても大丈夫でしょうか?」と言われたがあれで「業界一の品質」とは良く言った物だ、最後の最後でケチのついた転居になりそうだ。

余命宣告を3月過ぎているが

2012-03-01 13:41:01 | 雑記
引越しの準備で忙しいのに神経痛で足が痛い、しかしそんな事は言って居られない、彼方此方手配をして今の住まいを片づける。今まで仕事が全くない月が続いていたが2月になって2口の仕事が出て来た、引越しが無ければ本当に助かったのだが自分で直接するのが難しい、害虫に廻すと殆ど無くなってしまう、しかし此れで又仕事が復活すれば助かるので急いで手配をする、
膵臓癌で余命を宣告されていた義姉が日曜の夜中に吐血して入院したと言う、昨日女房が見舞いに行ったら「少し落ち着いて来たが流動食しかとれなくなった」と言っていたのだが引越しの用意をするために自宅に居たら1時過ぎに姪から電話が有った、急いで近親者をと言って来たのでかなり危険な状況らしい、元々悪性リンパ腫と聞いて居たのでかなり危ないとは思っていたし、6月の時点で「余命は3~5ヶ月」と言われていたらしいのでそれでも余命は伸びたのだが、
恐らく今日を越してもそれ程持たないのではないかとも思うがなんとか持ち直して貰いたい、
義兄が亡くなってから5年、此れで女房は兄姉と居なくなる、気が強いが泣き虫な女房は暫く落ち込むだろうな、しかし此の半年余命宣告をされた本人がしっかりしているので逆に励まされて居た事も有り覚悟はできているだろうとは思うが、何も手に付かないかも知れないし、逆に引越しの忙しさが気を紛らせるかもしれない、