梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

竹薮の話(だけでもないが)

2013-01-21 14:57:10 | 雑記
私の生まれた家の直ぐ裏には竹薮になっていた、元々屋敷跡だったと言う事で1.5m位の石垣があって凡そ50坪程度の平らな土地で、その奥も屋敷跡だったが此方は大きな杉の木が植わっていた。
竹薮は多分「破竹」という種類で親父は「ハチコウ」と読んでいたが村でそう読んでいたのか親父の洒落だったのか解らない。
背丈は10m近くなるが太さは根本で5~6cm程度、節間は15~16cm程度だ、密生して生えるのと根張りが強いので竹林の中は余り他の植物は生えていない、
エビネ蘭とシャガ、熊谷草に千両が生える程度で一面に枯れた笹の葉が敷き詰められている、此れは孟宗の竹薮も同じだが此方は枝の生え始まりがかなり上の方なのでもう少し明るい、
幹は竹箒の柄に、小枝は掃く部分になる、枝の部分はこの辺りでは「よどろ」と呼んでいたが方言かも知れない、
小枝を集めて加工工場に持ってゆくと小銭を呉れる、重さで貰っていた筈だが大体二抱え位の束に纏まると背負って県道まで持って行きそこから先は転がして行く、
今行って見ても殆ど車は走っていないが当時は更に来ない、1時間に一度の路線バス以外の自動車と言う物は来ないので安心して2つも3つも転がしてゆく、たしか1つで80円程度だったと思うが貨幣価値からすると結構な稼ぎだった、
竹薮は我が家の納戸になっている6畳間の上まで覆い被さるように伸びている、後から親父が増築した部分だから天井板は無く直接杉の皮で葺いてあったが雨漏りがし始めて全体を波板トタンで覆ったのだが上に枯れ笹が落ちてきて風が吹くとさらさらと音を立てて移動する、田舎の夜は静かなのである、
ハチコウの竹林は村を流れる川岸で増水すると必ず水没するような低地には殆ど生えていた、しかし水田や畑を守るように作られた土手に生えているのは篠竹である、恐らく土を盛り上げただけの堤を補強する為に人為的に植えられたのだろう、これは川が市内の先で他の川に合流するまで延々と続いていた、この藪の周りには必ず彼岸花が生えていて春秋に真っ赤な花を咲かせていた。
篠竹林は川が大きく曲がる内側でかなりの幅広の竹林になる、背の高さは精々3m程度までだが直径が1cmも無い笹竹は全く向うが見えないほど密生して生える、余談だが此れが「見通しが利かない」と言う意味で藪医者と言う例えになったらしい。
小学校の頃この竹薮を上手に刳り貫いて真ん中辺りを切った笹竹を折りしいてその上に筵を敷いて隠れ家にしたと言う思い出がある、周囲は密生した笹竹で空が丸く見える格好の隠れ家だったが一体誰と入ったのか思い出さない、此処で漫画を読んだりしていたのだが若しかすると自分だけだったかもしれない、
家の裏の石垣には中央付近に半分は石垣に埋もれる様に井戸が有った、この井戸の正面になる様に刎ね出した屋根が有って勝手口が付いていた、当時では村中どの家庭も水道などは無い、井戸から小ぶりのバケツで流しの脇に置いた大バケツに水を入れておいて此れで調理する、
井戸口から土間に入ると左手に此れも親父手作りの竈があった、二つ口で高さは精々50cm程度だったと思う、竈「かまど」とは言わないで「ヘッツイ」と言っていたが変換すると同じ字が出るので同じ物なんだな、きっと、
お袋が死んで親父と2人の生活になった頃親父が「石油コンロ」を買ってきた、石油ストーブと七輪のアイノコの様なこの道具は実に便利でそれ以後竃に火を入れる事は無くなった。
それでも風呂は木製の風呂桶で焚くのは臍釜なので薪割りの仕事は村を出るまで続いた、暗闇の中で小さな臍釜に薪をくべながらぼんやりとしている時間は結構好きだった、
その頃近所の多分3歳か4歳の女の子が来て釜焚きをしている自分の足の間に座って自分の親が帰るまで一緒に居たのを思い出す、何の話をしたのか覚えていないが暫く毎日来ていた、
寒くなった頃夕飯を三畳間で取るのが如何にせん寒い、暖房は囲炉裏か火鉢である、そこで一計を講じて火鉢の上に乗せられる矢倉を端材でつくりその上に古い掛け布団を乗せてコタツ代わりを作った、
親父も「此れは良いな」と言ってくれたのだが少々背が低すぎたらしい、端材の板が焦げて煙が出てきたのは驚いた、中学の3年間はこんな風に親父と暮らしたのだがあまり苦労していると言う意識はなかったな、廻りは廻り、家は家と考えていたし友達も生活の差を感じさせる様な奴らは殆ど居なかった、その代りと言っては変だが同情する奴も大変だろうと言う奴も居なかった、あいつは忙しいから遊びにいけないと言う程度の認識だったと思う、まあそう言う意味では良い奴らだった

大きなお世話だが良く解らない事がある

2013-01-20 08:39:17 | 雑記
大抵休日は夫婦で朝食を取りに出かける店がある、日当たりが良くてそこそこ美味しい、フリードリンク付きで二人合わせても千円程度なので楽しみに行くのだが此処で合う不思議なお客が居る、
服装は毎回同じで最近は剃っているが無精ひげに蓬髪、踝の上までしかないパンツは皺だらけで前歯が欠けている、一見した所ホームレスなんじゃないかと言うよな(大変失礼)風貌なのだが行く度に必ず合う、我々がいかない時にはどうなのかわからないが恐らく行かない時も含めると相当な回数だろうがその回数というのがすごい、
行った時にいる時もあるが居なくとも数十分の間に必ず来るの、そしてモーニングセットを注文するとトーストの耳を残して中だけ食べ本の10分程度っで帰ってしまうのだがそれから2~30分すると又入って来る、そして又同じように注文し10分程度で出てゆく、
これをいる間だけでも数回繰り返す、時には帰って行く時に又来る所に会うこともある、
昨日は凄かった、自分が入った時は来ていなかったのだが5分ほどして気がついたら座っている、オーダーした物が来てドリンクを取りに行ったらもういない、
トーストにバターを塗り終えて何となく見たらまたいる、そしてドリンクを換えに行ったらもう居ない、椅子に座って女房に「もう帰ったんだな、また来るのかな?」と囁いたら女房が膝下で指を3本立てている、驚いたもう座っているのだ、あの時間だったら外に出たら100mも行かないで戻って来ているはずだが、しかも我々が帰る頃には既に居ない、夏休みに孫が来ている時に孫も気が付いていてアルバイトの店員に聞いてみた事があるが彼も「良く解んないんですよね」と言う返事だったが、一体何をやっている人なのか?なんであんなに頻頻と出たり入ったりするのか?一度入ったらフリードリンクだからそのまま居れば良いはずなのにその度に金が掛かる訳だから相当金を持っているんだろうが何であんな格好なんだろう?せめて歯ぐらい入れろと言うのは大きなお世話だが、
一度後をつけてみた位の気分である

吉本興業大阪市制

2013-01-19 16:16:16 | 雑記
体罰自殺問題で橋下大阪市長が今年の入試を止めろと発言したと言う、一部教師の暴走と其れを止める事の出来なかった学校側に大きな問題が有ると言う事は間違い無いだろうと思う、しかし在校している生徒やその父兄、来年この高校を目指している受験生の事を全く考えていない発言である、
政治家を目指した時からこの方を殆ど評価していない、言う事は理屈にあっている事だが物事はそう単純ではない、単純では無い物事を向う受けする部分だけを過激に言い立てているだけなのだが其れが返って複雑化した現在の閉塞感に受けた、
「快刀乱麻を断つ」と言う言葉が有る、文字通り複雑に交錯し解放すのは不可能の問題をばっさりと切ってしまえば確かに気持ちが良いだろう、
しかし交錯した麻糸の先は必ず何かに繋がっている、一旦一刀両断しても交錯した部分を均したら又もとの糸同士を繋いで行かなければ成らない、
彼の論理はばっさりと切って見せるだけでその後整理して復元すると言う事を考えていない、いや考えているとしても解りやすいものだけ繋いだら解り難いところは「不要だ!」と棄ててしまうと言う考え方のようだ、第一元々交差している事が必要な物が殆どなのだ。
インパクトのある発言をするのは確かに皆の耳目を集める、しかし声が大きいからとそちらを見る人々も何時も大声を出して叫んでいると(ああ、又あいつか)としか思わなくなる、そろそろそう言う時期に来ているのだろう、発言の過激さが増してきた、彼なりの計算かもしれないがそろそろ底が見えてきた、
大体大阪と言う土壌はなんでこうタレントが好きなんだろう?横山ノック、横山やすしと続いた知事が一度大田女子を挟んで又タレントである、まあ今までの2人は吉本興業だが今回は一応弁護士先生だから其れは違うと言うのかも知れないが政治的な手腕は全く初心者である事は同じだし、元々その知名度はテレビである、それもシリアスなキャラクターとは随分かけ離れたタレント弁護士であった、
もし彼が東京都知事に立候補してもとてもまともな票は取れまい、もう1人のタレント政治家である東国丸氏もその辺りは充分理解している様だ、
政治家を指向して随分勉強をし宮崎県知事になっても国民票や都民票では当選出来ない事は重々理解している、そしてそれが有権者の良識と言うものだろう、
反論、反発はあるだろうが言わせて貰うが「そろそろ関西人と言うより大阪県民の方々は真面目に政治担当者を選んでほしい」と言う事だ
まあ、パフォーマンスが功を制している時に一斉に既存政党から乗り換えた政治家諸氏も余りのポリシーが無い、だんだん怪しくなった維新の会に鞍替えした諸氏は今頃あたふたしているんじゃないかと内心ほくそえんでいるこのごろである

阪神淡路から18年か

2013-01-17 14:54:27 | 雑記
あの日は日課にしていた朝の散歩に出ていた、5時前に家を出てラジオを聴きながら1時間ほど歩く、未だ廻りは真っ暗で何時もと同じ様に新幹線の上を通過するときにラジオが地震の情報を送り出した、
第一報はそれ程大きな災害に成っているとは気付いていなかったのだろう、「今、京都地方でかなり大きな地震があった模様です」と言う物だったがやがて次々と情報が上がって来た、「震源地は神戸付近」「震度は6」「大きな火災が発生」と次々に情報が入る、
当時は社会党の村山総理だったが起こされて国会に出て来たという情報は後から聞いた、
神戸は壊滅的な被害を受けて数日間にわたって街は焼き尽くされた、アメリカ軍が空母を回航するから緊急病院にしてくれと言う事にどう言う理屈かしら無いが政府が断ったことや自衛隊のヘリが政府から許可が出ずに被災地に入れず、ある士官が「俺が責任を取るから」と被災地に入った事、その後救急ヘリが上空に行っても報道ヘリが多すぎて救助に支障が出た事など、政府や官庁の責任回避とマスコミの良識の無さは今でも変らない、
あれから18年が過ぎたが我が人生もこの18年は実に色んな子とが起きた、
その頃は会社を起こして5年目、一年後に家を手に入れたが14年で会社が無くなり、その家も手放す事になった、
その間鬼籍に入ったのは親族だけで3人、友人が2名、知り合いと言う人たちを入れれば更に3名が居なくなった、年齢も明日で65歳、高齢者といわれるジャンルに入る、
子供達も独立して孫も3人授かったし良しとしなければなるまい、神戸の被災者や3・11の被災者に比べれば運が良いと言うべきだろう、
借金も残っているがまだ体が動くし色んな話を持ち込んでくれる人も居る、きっともう一度日の目を見れると思って頑張るしか有るまい、此処で落ち込んでは阪神淡路と東日本震災の被災者に顔向けが出来まい、
75歳の女性が芥川賞を取ったというニュースも入ってきた、彼女に比べればまだまだ若い、
まあ、現実の生活は「後これしか無いけどどうしよう?」と糟糠の妻から相談されている状況だが、深刻に成らないのが我が愚妻の素晴らしい所だ、
「今年こそ今年こそはと思いつつ、明日は三十歳(みとせ)の声を聞く春」と言うのは29歳の年末に捻った句だが「明日は如何にの誕生日」である

女性に限らず

2013-01-16 12:09:54 | 雑記
最近女性の働く環境が劣悪だと言う報道が新聞やネットでよく見られる、言わんとすることはわかるし至極御尤もな話である、
しかし此れは現代の日本企業の80%近くを支えている零細中小企業にとっては実現が非常に難しい問題だ、
従業員が300人程度の企業なら中小企業といってもそこそこの規模になる、しかし職場の単位は恐らく生産ラインで30人程度、事務系では10人に満たない単位の筈である、
1人の従業員が半年休むと言う事は多い職場で1/30、事務系だと1/10程度他の社員の負担が増える、大抵の企業は個人能力の100%で廻るような企業経営である、因みに男性社員の場合は120%位の計算で成り立っている事も珍しくは無い、1人が産休の為に休むと言う事は他の社員で長期間カバーできる範囲では無い、そんなに余裕のある仕事はしていないのである、
それではその間に臨時で雇うとする、慣れない新人を入れると最初の1ヵ月は逆に能率が下がる事は当然である、2ヶ月目か3ヶ月目になって戦力となるが暫くすると産休の社員が戻って来る事によって増員した社員は大きなコスト負担になってしまう、
しかし「半年限りの臨時」と言うと人は中々集まらないしいわゆる「短期派遣」の問題になる、それより何より育った人間が無駄になってしまう、
問題は「働く環境が劣悪」以前に企業の体力が劣悪なのだ、物の価格や工賃は本来全てのコストを積み上げて決まる、しかし今の工賃や価格はまず価格を決めて其れに合わせてコストを割り付けている、原料コストは下げるとしても限度が有る、エネルギーコストは輸入に左右されるから此れも難しい、割付られるコストダウンは人件費に集中する、
直接経費、給与を下げ更に生産効率を上げ、上げ切れない所は長時間労働で補う、
此れが日本の生産現場の現状である、生産現場だけでなく流通コスト、販売コストも同様であり常に末端が被っている、従業員が100人に満たない企業では恐らく経営者が一番所得が低い、政治家も官僚も「女性の働く環境が悪いのは企業が悪い」と言わんばかりの評論家と言う人達も現実を知らなさ過ぎる、消費が無ければ生産の原資も無い、所得が低ければ可処分所得はどんどん減る、そして更に生産が下がり給与も下がる、この悪循環を変えなければ経済の混迷は深まるばかりだろう、