梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

古き良き時代ではなく恥ずべき時代ではないのか

2015-03-06 14:02:33 | 雑記

少し前、「防衛庁」が省に変わった頃から本格的に自民党は「大日本帝国」を目指してきている様な感じがする、「9条変更」あるいは「削除」を形振り構わずと言った態である、それでも国民世論を大きく逸脱すれば選挙に負ける事くらいは解っていたので何度も上程しその都度取り下げ或いは廃案化されて来たが先の民主政権の失態で多少のゴリ押しと言うより世論無視でもいけると言う目算でも付いたのだろう、     専守防衛と言うのは個人レベルに置き換えれば「正当防衛」という事になるのではないだろか、無論簡単に個人レベルに置き換えられるほど単純な話でもないし影響力も桁違いだが、いろんな御託を並べて喧嘩に出かけたいと言う印象しかない今の政権を単純化して見るにはシンプルにして考えるのが良い、道を歩いていたら因縁をつけられた、と言うのが今の中韓露との関係に対して右派勢力の言い分ではないか、因縁をつけられても相手が手を出して来なければ此方から手を出したら此方が傷害罪に問われる、「いわれの無い因縁だ」と言い返すのが正しい世間の常識と言うものだ、もし手を出したら最低限の抵抗は許される、まして生命の危険が迫れば止むを得ない、それが「正当防衛」であり場合によっては「緊急避難」による免責だ、相手の拳が近くに来たからと武器を持って対抗すれば「過剰防衛」と言う罪になる、ましてや「因縁をうつけた連中がなにやら凶器らしきものを持って集まったから此方から先に攻撃しよう」と言うのではやくざの縄張り争いに等しい。

殆どの戦争は他国に軍隊を送り込んだ事から始る、現政府が例に挙げる外的不安を100年足らず前に我が国は行った、しかし犯された国は軍事力を持って抵抗はしなかった、出来なかったと言うのが正確だが「そうならない為に」と言うのは「盗人にも三分の理」所ではない、対外的に行った事を反省の糧に出来なければ同じ事を繰り返すだろう、戦争は軍人が決めて政治家が追従し国民が殺される、近代戦になる前は蹂躙された国の被害だったが近代戦になってからは戦争に行くのは軍人ではなく一般国民だ、更に戦場に行かなくても非戦闘員である一般人がターゲットになる事は近代の戦争を見れば十分に解る、

恐らく今日本を強国にといっている連中は自分の家族を戦場に出す事はしないだろう、まして自分が銃を持つ事もしない、そして仮にそれで一時的にでも果実を得ても戦闘に借り出された一般人にその果実を与える事もしないだろう、

アメリカが世界の警察だと言いアメリカの正義は世界の正義だと言って世界中に軍隊を送り込んでいるのは恐らくアメリカは戦争が無くなれば経済的に立ち行かない経済構造になっているからだ、

今紛争が起きている所の武器の殆どはアメリカとロシア、一部のヨーロッパである事を見れば納得できる、日本が軍備を増強すれば儲かるのはアメリカの戦争企業になる事も、そしてその代金は庶民の税金である事も事実なのだ。


子に残すのは

2015-03-02 18:09:53 | 雑記

川崎の殺人事件、13歳の少年を18歳と17歳の少年が殺害したと言う事件だがこう言う事件が起きるとSNSで必ず犯人(容疑者のうちから)を投稿する事が起きる、今回も被害者が出ると直ぐ容疑者としてこのグループは写真入りでアップされた、逮捕された後はその家族に矛先は向いて画像や家族構成まで次々と上げられていた。
「親の責任だ」と言う投稿がかなりを占めている、同時に被害者の少年の親も「夕飯を食べて出かけて言ったと言うのは駄目だろう」「痣をつけられた時点で何とかしなきゃ」と言う投稿も多い、その事については私も同感だ、中学に入ったばかりの子供が深夜に遊びに0行って帰ってこない、学校に行かない、犯人の少年の処には被害者の友人達が「カミソンに暴力を振るうな」と抗議に言っているにもかかわらずそのまま放置して居た様だ、まあ言っても聞かないと言う事だろうがその結果が殺人犯だ、
しかし、SNSが加害者家族を更にエスカレートして追い詰めるのは意味が無い、犯人もその家族も此れからずっと重い罰をおって生きなければならない、自分の影を隠していてはいくら正論でもやはり「卑怯者」の誹りは免れない、正しいと思うのなら名前を名乗って堂々と発表するのが「正論」の条件だ、
今までも加害者家族を晒しものにする風潮が有ったが本当に必要な事は此れから如何にこう言う犯罪をなくすかと言う事だろう、なぜ起きた、なぜ止められなかったそれを加害者家族に向けるのではなく今子供を育てて居る普通の家族にこそ知らしめるべきだろう、
しかし学識経験者とか言う連中のしたり顔で述べる高尚なお言葉でなく今起きている事をそのまま我が子にも起きうる事と理解し行動する事が重要だろう、殺された被害者が不憫なのは言うまでも無いが親の力が及ばず被害者になった彼等も不憫な「発育不良」の子供達だ、だから許せと言う理論では無い、やった事の責任は全て誰でも負わなければならない、此れを「未だ子供だから、未来を奪ってはいけない」等と言う「学識経験者」「知識人」等と言う輩が居るがそれこそ「立ち直る機会を奪い捻子曲がったまま大人にする、或いは大人になる機会を奪う」事に他ならないだろう、「躓いたら立ち直る機会を与え」と言うなら「躓かない様に」する事の方がずっと重要だ、第一「躓いても立ち直るために」手を貸せば彼等は「躓いても良い」と言う理論にするだろう、犯罪を犯したら相応のペナルティが有る事は理解させるべきであると私は思う、
子供を持つ親は今回の様な事件は他山の石としてもう一度我が子は大丈夫か真剣に向き合って欲しい、子供を怖がってはいけない、もしそれで自分が命を落としても他人の命を奪うよりましだと言う位の覚悟を持って育てなければなるまい、子供に嫌われるのを恐れてはいけない、子供の求める事は大人になる障害になる事の方が多い、子犬にリードをつけるのは突然車の前に飛び出さない為である、子犬の自由を制限してもそれは虐待ではないリードを付けず暴力で対すればけがを負わせるし最悪死んでしまう事もある、仮に肉体的に傷を負わなくともいじけた大人になってしまうだろう、子供を一人前にするのが親が子に残す最大の遺産だろう