梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

五番街のマリー

2023-04-11 10:27:27 | 雑記
”マリーと言う娘と遠い昔に暮らし、つらい思いをさせた”
遠い昔か、いったいどの位を遠い昔と言うのだろうか、
歌詞から思うと恐らく詩の当人は40代くらいか、だとすれば10年か10数年の昔の話
自分はと言えば古希を5年も超えて思いを巡らせればその頃は還暦だ
色んな女性とすれ違って来たが既に半世紀も昔の話だ、そんな思い出に憧れを持つ時期はとうに過ぎたが彼女の声を聴いているとその時代に引き戻される
まあ客観的に見たらかなりおぞましい画ではあるが勝手に思う分にはいいではないか

都会の路傍で春の名残を探してきた
これは楓の花、紅葉は愛でるが花は地味である、この後実がなると風車の様にクルクルと散る

タンポポの綿毛、風が有って中々被写界深度が取れなかった
これはマリーゴールドか?
桜は八重に替わる時期になった


映画街とあの頃

2023-04-09 11:15:17 | 漂泊の記
日比谷映画通りを抜けると突き当りは帝国ホテル、右に折れると向かい側は日比谷公園である、
公園入口の右側が日比谷花壇でその後ろが日比谷公会堂だ
左に行くとガードが有り、その先左に泰明小学校で最初の路地を新橋方向に折れる角に「銀座ACB」銀座アシベが有った、
通りの名は「みゆき通り」で昭和40年代か。この通りに屯するみゆき族と言う連中が居た、
黒のロングタイトスカートに麻袋が流行のファッションで思い切り細いタイトスカートなので腰をひねる様な独特な歩き方をしてこの通りを行ったり来たりしていたようだが私がこの辺りで働いていた頃はもういなかった、
劇場にアイスクリームを卸して歩くのは売子さんの居る時間に合わせて納入する
売子さんは各劇場の休憩時間を渡り歩くので休憩時間に合わせて車を止めて待っている
ある時みゆき座の前で納入待ちをしていたら若い女性が脇を通り過ぎた
その時一陣の風、である、見事に背中の上までスカートがめくりあがった、
スカートを押し下げて振り返った彼女と眼が合った、
「見た!」と彼女、
「白!」と俺、
「すけべ!」と彼女
中々粋な娘さんだった
休日に映画館街に屯していると色んなことが起きる、
弘田三枝子が「人形の家」のキャンペーンをやっていて(邪魔だな)と思いながら脇で見ていたら彼女が「あっアイスクリームだ、ちょうだい!」と言われたことがあった、
和製ブレンダリーと言われた丸まっちい女の子ががっちりメークで再登場したのでアナウンスを聞くまで気が付かなかった、
無論、あげはしなかった、持っているのは50個入りのケースだ、
有楽座ではなんかの撮影があって開館前の観客席と入口通路で若い女の子が二人、スタッフが探しているのを面白がってドアを出たり入ったりしてふざけていたのは小山ルミとジュディオングだった、
油にまみれて工場の仕事からこんな世界に来てしまったのは人生どうなるか解らない、
この頃から行き当たりばったりの先の事を考えない漂泊人生が始まった

日比谷映画街と、敵基地攻撃能力に一言追記

2023-04-07 11:03:53 | 昭和の頃
千代田劇場の向かい側は東京宝塚劇場、これが東宝劇場である、
半地下から3階迄吹抜けの大劇場はレコード大賞の舞台に使われたので当時大晦日は此処から紅白歌合戦の会場まで車が大行列だった
その上は4階がスカラ座、5階は東宝演芸場になってた、スカラ座には「チキチキバンバン」「メリーポピンズ」「ドリトル先生不思議な旅」の様なファミリー映画が多かった
自分が働いていた時期に研ナオコがここのエレベーターガールをしていたと後で知ったが全く記憶にはない、
個性的な顔なのでおぼえて居そうなもんだが(失礼!)
日比谷通り沿いに有ったのは日生劇場だが此方は東宝とは関係ないので入れない
晴海通りを渡った丸の内警察署から少し駅に向かったビルには「スバル座」があったが
此処は独立系で東宝ではなかったがアイスクリームは置かせてもらっていたのでここもフリーパスだった、
銀座のはずれにあったのは「テアトル東京」、そして八重洲通り沿いには「銀座東映劇場」があった、因みに帝国劇場も東宝である
日比谷映画街以外では渋谷駅ハチ公前からガードを潜って最初の角向かい側ビルにあったのが「渋谷東宝劇場」通称「シブトウ」で「イチゴ白書」は確かここだった、
新宿は言わずと知れた「新宿コマ劇場」と同じビル内の「コマ東宝劇場」コマトウが有った
コマ劇場で記憶に残るのは和田アキ子、たしか初めて東京でショーを行ったのがコマ劇で舞台合わせを2階席から見下ろしていた、
ジーンズにTシャツで、裾に両手を入れてぐるりと巻き付けてすこし前屈みで監獄ロックを歌っていたが迫力のある歌声でファンになったのだがその後は彼女の魅力は生かせなかった気がする、自分としては「土砂降り所雨の中で」位までかな、
ゴット姉ちゃん当たりから今のキャラクタになって腰が引けた、
この仕事のおかげで東宝関連の映画はただで見れるようになったがそのおかげで「病膏肓」となり松竹系に掛かる「ウェストサイドストーリー」や「アラモ」など見に行くのに入場料を払うのに抵抗があったのは否めない
段々凝って来て古い映画を見たくなり「名画座」系も随分見居て歩くようになった、
鍜治橋近くにあった「名画座」が無くなったのはいつ頃だったか
東宝を辞めてから貸ビデオの時代を過ぎ、今ではネットでかなり見られるのだが古いヨーロッパ映画はあまり見る事ができないのが残念なのだがこの間の「波止場」のジャン・ギャバンの様な掘り出しも時々あるのが面白い、
余談、我々は喧嘩が強くなりたいのではなく、喧嘩を避けたいのだよ、岸田さん!

穿った見方をすれば

2023-04-05 16:47:08 | 雑記
保険証をマイナンバーカードに統一して現在の保健証は廃止すると決まったらしい、
東京新聞によると「特養の要介護4以上の場合は本人に管理能力が無いので施設が一括して預かって必要時に間違いのないように二人で取り出して使用している、
しかしマイナンバーカードになったら患者の個人情報が全部詰まった証明書を施設が預かると言う事になるのは責任が重すぎる」と言う意見が出ていると言う、
顔認証と暗証番号になるが当人が外出できず、痴呆の為に暗証番号を覚えておくことが困難な場合はそれも職員が預かるとなると確かに責任が重すぎる、
町医者と言われる規模の医院は「設備の費用が負担だし、手続きも面倒そうだから廃業する」と言う医院が増えてきている、特に高齢になって子供が継がなかった町医者は顕著の様だ、
これは厚生省が奨励している「掛かりつけの医者」を急激に減らす事になる
ある程度の規模の病院は今ですらかなり混雑しているのだが町医者が減ればそれらを吸収しなければならず更に集中する
今の大病院の殆どが初診患者は受け付けず町医者の紹介状が無ければ門前払いである
「マイナンバーカードは生活を便利にする」と言っているが逆に不便になってゆく
「セキュリティは万全」だった筈だがコンビニで住民票を取ったら赤の他人の住民票が発行されたと言う事が複数発生している、
世間から「マイナンバーカードの利便性」を聞くことは無く、取得した人の大半はマイナンポイントがきっかけであり、「運転免許書より多くなった」と言った時の取得動機は先に書いた「保険証の廃止」と言う脅しが原因だった、
どの報道を見ても聴いても欲しくて取得したと言う話は聞かない、飴と鞭に掛かった予算は兆に近い、いや超えているのか
なぜこんなに政府は前のめりなのか考えてみた、マイナンバーシステムは一体どの会社が受け持つのか、公募入札のはずだがいつやったのか、
恐らくインフラ並になり且つ究極のセキュリティが要求され、なおかつ半永久的にその企業が受け持つ事になる、
随契で決まっているとすれば延延とこれから税金が流れ込む企業と言う事になるだろう
政府とこの企業の図式が見えるではないか、
脅してもすかしてもこれはやらなければならない、憲法の解釈を変えて、更に憲法そのものも変えたい、その為には個人情報の絶対把握は重要だ、
インフラも金融システムも身分証明もこのシステムが把握していて何時でも侵入し意図的な操作が出来る、
それが目的ではないのか、特定秘密保護法は「特定だから内容も秘密」だと言う
公文書開示も全文黒塗りで秘密文書である、アメリカでは「30年たったら公文書は全て開示」だと言う、
ヨーロッパ諸国は「原則開示」の国が多い、自由民権運動は大正ロマンではなく現代こそ必要だ、
自由民主党とは「国民が主で自由は保障される党」ではなく「国民の主」であり「自由勝手に国を運勢する」党だと言う事か、