☆アッピア夫です。
ここのところ朝晩がめっきり涼しくなり、随分秋めいてきましたね。
そう言えば、コオロギや鈴虫、松虫など秋の虫の鳴き声を随分と聞いていないように思い、
窓を開けて耳を澄ましてみたら、リーンリーンとスズムシの鳴き声が聞こえました。
実は、結構身近で鳴いているのに、こちらが気づいていなかっただけなのでしょうね。
久し振りに聞いた鈴虫の鳴き声にはかなり癒やされました。
さて、前回は息子の学校の学園祭で「三原色」と言う演劇を観たことを書きましたが、
今回はその劇で始めて知った「『三原色』の不思議」について書きたいと思います。
「三原色」は、その組み合わせで全ての色を作り出せる基本色ですが、「色」と「光」とでは異なります。
「色の三原色」・・・黄色、マゼンタ(赤紫色)、シアン(青緑色)
「光の三原色」・・・黄色、緑色、青色
そして、この三原色をそれぞれ混ぜ合わせるとどうなるかと言うと、実は真逆の結果となります。
「色の三原色」は混ぜると黒くなり、「光の三原色」は混ぜると白くなる・・・
前者は、子供の時に誰もが経験したことがあるかと思いますが、
良い色を出そうとして、絵の具の色を混ぜれば混ぜるほど黒っぽい汚い色になりましたよね。
後者は、普段見ている太陽光と虹の関係を考えてみると分かります。
虹は、雨粒など水滴のプリズム現象で光が屈折して反射されることで七色に分解されて見える現象ですね。
つまり、太陽光には元々色々な色が混じっている・・・
元々色々な色を含んでいる太陽光は、それが混じっている状態では白く(白っぽく)見えると言うことになります。
なぜ「色」と「光」では真逆になるのか、その具体的な理由が知りたくて調べてみたところ、
人が身の回りの物を見る時、通常はその物に当たって反射した光でその物の色を認識しているようです。
赤色の物体は赤色と言う光の反射を見ている・・・逆に言うと、その物体は赤色以外の光は吸収している。
赤色と青色の絵の具を同量混ぜると、赤色も青色もそれぞれ反射が半減し、吸収が増えた結果紫色となる。
これに他の色を混ぜることを繰り返していくと、全ての色を吸収して三原色の反射が0%となり黒くなる。
私達は、その物の反射する光でその物の色を認識している。
そして、違いは光の反射で物を見ているか、スマホ・PC・TVなどのように光そのものを見ているか・・・
こう考えると、「色」も「光」も何とも不思議な存在に思えます。
「色」として強く印象に残っているのが、スピルバーグ監督の名作映画「シンドラーのリスト」で、
全編モノクロのシリアスな画面の中で、赤い服を着た女の子だけがカラーで写っている印象的な映像・・・
また、「光」として印象的なのは、「レンブラント」と「フェルメール」の二人の画家・・・
特にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」等の室内の自然光は、光の暖かさも感じるほどのリアルな光の存在感・・・
私達が毎日、様々な「色」と「光」に囲まれて生活し、それらを光の反射として認識していると思うと、
身の回りのものの見方さえも変わってくる気がします。
2018年9月14日
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ここのところ朝晩がめっきり涼しくなり、随分秋めいてきましたね。
そう言えば、コオロギや鈴虫、松虫など秋の虫の鳴き声を随分と聞いていないように思い、
窓を開けて耳を澄ましてみたら、リーンリーンとスズムシの鳴き声が聞こえました。
実は、結構身近で鳴いているのに、こちらが気づいていなかっただけなのでしょうね。
久し振りに聞いた鈴虫の鳴き声にはかなり癒やされました。
さて、前回は息子の学校の学園祭で「三原色」と言う演劇を観たことを書きましたが、
今回はその劇で始めて知った「『三原色』の不思議」について書きたいと思います。
「三原色」は、その組み合わせで全ての色を作り出せる基本色ですが、「色」と「光」とでは異なります。
「色の三原色」・・・黄色、マゼンタ(赤紫色)、シアン(青緑色)
「光の三原色」・・・黄色、緑色、青色
そして、この三原色をそれぞれ混ぜ合わせるとどうなるかと言うと、実は真逆の結果となります。
「色の三原色」は混ぜると黒くなり、「光の三原色」は混ぜると白くなる・・・
前者は、子供の時に誰もが経験したことがあるかと思いますが、
良い色を出そうとして、絵の具の色を混ぜれば混ぜるほど黒っぽい汚い色になりましたよね。
後者は、普段見ている太陽光と虹の関係を考えてみると分かります。
虹は、雨粒など水滴のプリズム現象で光が屈折して反射されることで七色に分解されて見える現象ですね。
つまり、太陽光には元々色々な色が混じっている・・・
元々色々な色を含んでいる太陽光は、それが混じっている状態では白く(白っぽく)見えると言うことになります。
なぜ「色」と「光」では真逆になるのか、その具体的な理由が知りたくて調べてみたところ、
人が身の回りの物を見る時、通常はその物に当たって反射した光でその物の色を認識しているようです。
赤色の物体は赤色と言う光の反射を見ている・・・逆に言うと、その物体は赤色以外の光は吸収している。
赤色と青色の絵の具を同量混ぜると、赤色も青色もそれぞれ反射が半減し、吸収が増えた結果紫色となる。
これに他の色を混ぜることを繰り返していくと、全ての色を吸収して三原色の反射が0%となり黒くなる。
私達は、その物の反射する光でその物の色を認識している。
そして、違いは光の反射で物を見ているか、スマホ・PC・TVなどのように光そのものを見ているか・・・
こう考えると、「色」も「光」も何とも不思議な存在に思えます。
「色」として強く印象に残っているのが、スピルバーグ監督の名作映画「シンドラーのリスト」で、
全編モノクロのシリアスな画面の中で、赤い服を着た女の子だけがカラーで写っている印象的な映像・・・
また、「光」として印象的なのは、「レンブラント」と「フェルメール」の二人の画家・・・
特にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」等の室内の自然光は、光の暖かさも感じるほどのリアルな光の存在感・・・
私達が毎日、様々な「色」と「光」に囲まれて生活し、それらを光の反射として認識していると思うと、
身の回りのものの見方さえも変わってくる気がします。
2018年9月14日
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