2006年9月に卵巣・子宮摘出手術を行い、息子の幼稚園も決まり、また元の子育て生活に戻った。
ナベルビンは奏効し始め、マーカーも下がり、画像上はどこにもがんが認められない状態 = 寛解が約3年間続く。
今思えば、奇跡の3年間であり、私と主治医の間では語り草だ。
「ホントに良く効いたよね、ハーセプチンとナベルビン様様だね。」
さて、手帳を見ながら、ナベルビン時代の治療と子育てと日々の生活のことを、ワープせずに振りかえってみます。
2006年ももうすぐ終わり、病気発覚後3度目のお正月を迎える。今回も年末年始は、主人の実家の大阪で過ごす。
大阪では、義父(おじいちゃん)が、家の廊下にお手製のバスケットゴールを作ってくれて、
息子はおじいちゃんに抱きかかえられながら、キャーキャー騒ぎながらボールをゴールに入れる遊びが楽しくて
しかたなかった。おじいちゃんは何でも器用に作ってしまう。
でもこれがお正月でのおじいちゃんとの最後の思い出になるのを、この時はまだ知らない。
そして1月末には、我が家の超ビッグイベント、沖縄旅行が実現した。
私もダンナも沖縄に行ったことが無く、是非一度行きたかった。ダンナが休みが取れたこともあり、
しかも時期的に料金が安い、ということで思い切って行くことになった。
トラベルエージェント・アッピアの再登場。やはり離島も押さえたいので、本島3泊石垣島2泊で計画。
結果は、とても楽しくわくわくの旅行だった。首里城やグスク(城址)巡りも好きだったし、
息子は豚肉たっぷりの沖縄そばにハマッたし、何と言っても石垣島の海の美しさと言ったら!
しばらく滞在して、この透き通る海をいつまでも眺めて過ごしたかった。
石垣島は、底地ビーチの石垣シーサイドホテルが気に入り、いつかまたこのホテルに連泊して
今度は夏に思い切り海に入るぞ、と決意した。実は昨年(2011)のGWにそれが実現しそうになったが、
すったもんだで西表島になったのは、すでに記事にしたとおり。
もうひとつエピソード。本島で泊まったホテルのお隣の部屋は、なんとヤクルトの大矢監督(当時)だった。
丁度春季キャンプが始まったばかり。コーチが夜な夜な監督の部屋の前に来ては、部屋のドアの下に資料のような
紙を差し入れていた。選手のデータか?
朝のビュッフェでは、選手たちがたくさん食べに来ていた。そばで見るとみなデカいわ。
夢のような沖縄旅行も終わり、4月の幼稚園入園に向けて準備だ。
まず、実家で巨大な置物と化していたピアノを我が家に移設し、分解そうじやら調律やらメンテをした。
正直安めのピアノが買えるぐらいのお金がかかった。ピアノは、まず私自身が30年振りにまた始めたかったし、
息子も興味を持ってくれれば、習わせたかった。
保育園も卒園になる。私の入院時もすごく心配してくれたベテラン保母さんに、お礼の手作りケーキを差し上げた。
息子もいよいよ幼稚園入園。新しい社会に入っていくんだね。
幼稚園の真新しい制服を着せると急にお兄ちゃんに見えてきた。
さて、治療の方は順調に推移している。副作用は、やはり白血球減少と口内炎と血管痛だ。
しかし毎週の通院はもう、週一仕事に行く感覚で淡々とこなしている。生活にすっかり組み込まれた感じだ。
2007年4月、幼稚園の入園式も無事終わり、これからの幼稚園生活に、私の方が期待と不安が入り混じる。
幸い幼稚園は歩いて3分の近さ。毎日の送り迎えも苦にならない。
ただし給食はなく、週4回お弁当を作らなければならない。これは母の仕事、がんばるしかない。
幼稚園が始まると、さっそく保護者会や親子茶話会などがあり、私も本格的なママ友社会にデビューした。
だが正直言って苦手だ。私は大学も会社員時代も男社会の中で生きてきたので、女性同士のコミュニケーションや気遣いが
よくわからないのだ。しかもママ友の平均年齢は、私より10歳ほど下だ。話が合うのだろうか。
結果は、何の問題もなかった。理由は、私の精神年齢が低いからか。
ところで、病気の事は誰かに話すべきなのだろうか。個人面談の時に担任の先生には正直に話した。
最初の数週間ぐらいは、幼稚園にちょくちょく覗きに行っていた。息子がみんなと楽しそうに遊んでいるか、
気になるものだ。5月にはミニ運動会や家族参観などがあり、元気な姿を見せてくれた。
こうして親子共々、順調な滑り出しであった。
6月からは、息子はカ○イ音楽教室に通うことになった。この時から5年後の今までピアノは続いているのだから、
一応褒めてやりたい。ピアノは、だんだん難しくなるこれからが勝負だけどね。
そういう今年(2012)も、6月初旬に発表会があり、現在それに向けて練習真っ最中である。
今回は初のブルグミュラーの曲に挑戦する。
さて、6月には私も半年ぶりの造影CT検査があった。マーカーが低値安定なので特に不安はなく、
果たして問題はなかった。
6月はもうひとつ、実はとてもショックな知らせがあった。
それは・・・つづく。
一日一回クリックお願いします。励みになります。
ナベルビンは奏効し始め、マーカーも下がり、画像上はどこにもがんが認められない状態 = 寛解が約3年間続く。
今思えば、奇跡の3年間であり、私と主治医の間では語り草だ。
「ホントに良く効いたよね、ハーセプチンとナベルビン様様だね。」
さて、手帳を見ながら、ナベルビン時代の治療と子育てと日々の生活のことを、ワープせずに振りかえってみます。
2006年ももうすぐ終わり、病気発覚後3度目のお正月を迎える。今回も年末年始は、主人の実家の大阪で過ごす。
大阪では、義父(おじいちゃん)が、家の廊下にお手製のバスケットゴールを作ってくれて、
息子はおじいちゃんに抱きかかえられながら、キャーキャー騒ぎながらボールをゴールに入れる遊びが楽しくて
しかたなかった。おじいちゃんは何でも器用に作ってしまう。
でもこれがお正月でのおじいちゃんとの最後の思い出になるのを、この時はまだ知らない。
そして1月末には、我が家の超ビッグイベント、沖縄旅行が実現した。
私もダンナも沖縄に行ったことが無く、是非一度行きたかった。ダンナが休みが取れたこともあり、
しかも時期的に料金が安い、ということで思い切って行くことになった。
トラベルエージェント・アッピアの再登場。やはり離島も押さえたいので、本島3泊石垣島2泊で計画。
結果は、とても楽しくわくわくの旅行だった。首里城やグスク(城址)巡りも好きだったし、
息子は豚肉たっぷりの沖縄そばにハマッたし、何と言っても石垣島の海の美しさと言ったら!
しばらく滞在して、この透き通る海をいつまでも眺めて過ごしたかった。
石垣島は、底地ビーチの石垣シーサイドホテルが気に入り、いつかまたこのホテルに連泊して
今度は夏に思い切り海に入るぞ、と決意した。実は昨年(2011)のGWにそれが実現しそうになったが、
すったもんだで西表島になったのは、すでに記事にしたとおり。
もうひとつエピソード。本島で泊まったホテルのお隣の部屋は、なんとヤクルトの大矢監督(当時)だった。
丁度春季キャンプが始まったばかり。コーチが夜な夜な監督の部屋の前に来ては、部屋のドアの下に資料のような
紙を差し入れていた。選手のデータか?
朝のビュッフェでは、選手たちがたくさん食べに来ていた。そばで見るとみなデカいわ。
夢のような沖縄旅行も終わり、4月の幼稚園入園に向けて準備だ。
まず、実家で巨大な置物と化していたピアノを我が家に移設し、分解そうじやら調律やらメンテをした。
正直安めのピアノが買えるぐらいのお金がかかった。ピアノは、まず私自身が30年振りにまた始めたかったし、
息子も興味を持ってくれれば、習わせたかった。
保育園も卒園になる。私の入院時もすごく心配してくれたベテラン保母さんに、お礼の手作りケーキを差し上げた。
息子もいよいよ幼稚園入園。新しい社会に入っていくんだね。
幼稚園の真新しい制服を着せると急にお兄ちゃんに見えてきた。
さて、治療の方は順調に推移している。副作用は、やはり白血球減少と口内炎と血管痛だ。
しかし毎週の通院はもう、週一仕事に行く感覚で淡々とこなしている。生活にすっかり組み込まれた感じだ。
2007年4月、幼稚園の入園式も無事終わり、これからの幼稚園生活に、私の方が期待と不安が入り混じる。
幸い幼稚園は歩いて3分の近さ。毎日の送り迎えも苦にならない。
ただし給食はなく、週4回お弁当を作らなければならない。これは母の仕事、がんばるしかない。
幼稚園が始まると、さっそく保護者会や親子茶話会などがあり、私も本格的なママ友社会にデビューした。
だが正直言って苦手だ。私は大学も会社員時代も男社会の中で生きてきたので、女性同士のコミュニケーションや気遣いが
よくわからないのだ。しかもママ友の平均年齢は、私より10歳ほど下だ。話が合うのだろうか。
結果は、何の問題もなかった。理由は、私の精神年齢が低いからか。
ところで、病気の事は誰かに話すべきなのだろうか。個人面談の時に担任の先生には正直に話した。
最初の数週間ぐらいは、幼稚園にちょくちょく覗きに行っていた。息子がみんなと楽しそうに遊んでいるか、
気になるものだ。5月にはミニ運動会や家族参観などがあり、元気な姿を見せてくれた。
こうして親子共々、順調な滑り出しであった。
6月からは、息子はカ○イ音楽教室に通うことになった。この時から5年後の今までピアノは続いているのだから、
一応褒めてやりたい。ピアノは、だんだん難しくなるこれからが勝負だけどね。
そういう今年(2012)も、6月初旬に発表会があり、現在それに向けて練習真っ最中である。
今回は初のブルグミュラーの曲に挑戦する。
さて、6月には私も半年ぶりの造影CT検査があった。マーカーが低値安定なので特に不安はなく、
果たして問題はなかった。
6月はもうひとつ、実はとてもショックな知らせがあった。
それは・・・つづく。
一日一回クリックお願いします。励みになります。
やるべきことを次々とテキパキこなしてゆくアッピアさん!
予定表管理はパソコンですか。
旅行の計画や行き先決めはどのようにしているのかな。
震災以降、心身共に引きこもり気味な自分です。
アッピアさんのブログから元気もらっていますよ。
でも行動に行かない自分が情けない
旅行先はですねえ。
新緑のきれいなGWは、関東以西の海沿いの風光明媚なところ。
今まで、伊豆、広島県の宮島、伊勢志摩、沖縄など。
夏は、標高か緯度の高涼しい所。信州の高原系など。
時間とお金と体力が充分あれば行きたい所は、ヨーロッパ、特にイタリア。
今までで一番お気に入りの風景は(聞いてないか)、エーゲ海のサントリーニと島からみた夕日。
思いだすだけで、免疫UPしそうです!
行動できない時期は、ゆっくりしていてOKです。動けるまで充電しておきましょうよ。
湿疹も夜飲みのほうが出ますね。
今日は病院でした。
私はタキソールをやめて7ヶ月たつのですが、
じわりじわりとマーカーが上がっていて、
今月はCEAが6から8に上がったところで、ハーセプチンもやっぱりやっておこう!ってことになりました。ハーセプチン併用作戦成功?!
完全に併用はできないのですが、一ヶ月ごとに交互に行くので、重なりつつやるようです。
でも、皮膚の様子は悪くありません。
ガンが盛り返してくる気配を微塵も感じられず。。。。
ガンに縛られず、今こそ自分らしく行かないと!
アッピアさんの闘病記は山あり谷ありを乗り越えていく方法が書いてあるので、本当に心強いですね。
私は、下痢・湿疹落ち着きつつあるので、もうしばらく夜飲みでやってみます。
でもやはり謎だ。
なしくずし的ハーセプチ併用療法、大賛成!
きっと効果あるよー、エビデンスにも出ているし。楽しみにしててー!
がんがあってもなくても自分らしく!意識していると、コツが掴めてくるものですよ。
楽観的でもなく、絶望もしない。
こういう心持ちで過ごしたいですね。
私もそろそろ一人旅したいなあ。